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2017年3月24日(金)、オアハカ近郊現地ツアーに参加、モンテ・アルバン遺跡などを巡る

ホテルの中庭
あー良く寝た・・・とスマホを見ると朝9時15分!やっべー30分後には申し込んだ現地ツアーが迎えに来るよ!と急いで歯を磨き適当に着替えて部屋を出ました。ちょっと焦りすぎたのかあと15分くらい余裕があるのでホテルの周囲をちょっとだけ散歩へ。昨夜はもう真っ暗だったのでオアハカの街をみるのはこれが初めてだけど、シティともグアナファトともちょっと感じの違う街並みのようで、ひとことで言うと田舎感。しばらく歩いていると後ろの方から陽気な音楽が聞こえてきてこれはまた朝っぱらから音楽隊かと思いきやどうやらデモ行進のようでした。<デモ行進の動画

オアハカで朝からデモ
約束の時間にホテルに戻ると、オンタイムで白いバンに乗った青年が登場、昨夜フロントのおばさんが書いてくれた申込書を見せるとさぁどうぞ、と車に案内されてすぐに動き出す。既に何人かお客さんが乗っていていくつかのホテルを回りながら予約客を拾っていくのでした。ちょっと大きめのホテルの駐車場に入るとそこがこの旅行社のオフィスみたいで、ツアーの種別ごとに班が作られそれぞれの車に案内されました。けっこう大きめで新しい白いトヨタハイエース。この旅の初日以来の現地ツアー、そのときは日本人ガイドでラクチンだったわけですが今回日本人は僕だけらしく、しかも英語での説明希望は3人いるかいないかであとはスペイン語。なかなかなアウェイ感であります。

<モンテ・アルバン遺跡>

郊外の高台からオアハカ市内を
さて我らがハイエースはオアハカ中心部を背に西に拡がる丘陵地帯をどんどん登っております。メキシコシティ近郊と同じく頂上付近に近づくにつれ日干しレンガの家が増えはじめ、都心部との経済的な格差を感じるのですが、それでもあまり殺伐とした感じがしないのはオアハカがけっして大都市ではないからかもしれません。そういえばここはメキシコ国内でもっともインディヘナ(先住民系)の比率が多いところらしいです。そう思って見渡すとここでは日本人の僕の風体があまり浮いてない気もします。

600円で帽子を調達
1時間もしないうちに最初の目的地、モンテ・アルバン遺跡に到着。車を降りるとすぐにお土産屋さんの露店、たくさんの麦わら帽子を売ってまして、うん、これはやっぱ必要だ罠・・・と僕も買うことに。店のオヤジに「これ幾ら?」と尋ねると「120ペソだ」。いちおう値切ってるものの「あきまへん」と言われ仕方ないので言い値で買おうと100ペソ紙幣2枚渡すとなぜか1枚返してきて、これでいいよ、と。というわけで600円で帽子ゲット。サングラスに日射しが回り込まないのでずっと楽になりました。

ガイドのダニエル氏
さてここでダニエルというガイド氏が登場。日本人にはほとんど判別つかないスムーズさでスペイン語と英語を自在に切換えてガイドしてくれる彼はしかしなかなかの物知りで、頼りになる男でした。この遺跡の概要と紀元前500年まで遡るという歴史を説明し、多少のギャグも交えつつコアな質問にもしっかりと答えていくのです。僕はできるだけ彼の近くにいるようにして、必死に英語のリスニング。でも日本語のガイドブックに書いてあることと中身はそんなに変わらないのでまあなんとかついていけそうで安心しました。<ダニエル氏の説明はこんな感じ(動画)

古代の競技場
まずは古代の競技場について詳説するガイド氏。幸いメキシコシティの国立人類学博物館でこのボール競技を再現したビデオを見ていたのでなるほどこれが本物かーみたいな感じで理解できました。プレイヤーは勝っても負けても生け贄になるケースがあると聞くとやはり古代の死生観は現代とはかなり異なるものだったのだなあなどと考えてしまいます。生まれた子供の大半が大人になる前に死んでしまい、生き残っても怪我や病気は治療されることもなくあっさり死に至る。大過なく過ごしたところで当時の平均寿命は40才にも満たなかったことでしょうから、産まれてきた以上誰でも80年以上生きて当たり前の21世紀の死生観とは根本から違って当然なのかもしれません。

巨大戦車のような古代天文台
壁面には古代文字が
真上から照らす太陽の下を僕らのグループが次に向かうのは天文台。他の建物と違って斜め45度の方角にむけて建てられていることから星座や惑星の運行を観測するための施設だったと考えられていると説明を受けました。その光景からは未来の砂漠に放置された巨大戦車のようでした。その壁面には近隣の国を征服した時のものと思われる古代文字が刻まれていました。

お土産売りとガイド氏
素朴なお面を手に僕らの前にときおり現れるお土産売りのおじさんたちは、例によってしつこさを微塵も感じさせず、気にいったら記念にどうだい?くらいのノンビリとしたノリをキープしております。ガイド氏とも顔なじみのようでなんか良い雰囲気なのです。親方からの厳しいノルマに苦しんでるとか、あわよくばもっと高級品を紹介して一儲けしようとか、今日ここでこれを売り切らないと家族の晩ご飯がなくなる、みたいな悲壮感を感じることはありませんでした。本当のところはよくわかんないけど。

Remi君に写真撮ってもらった
自由時間にピラミッドの階段を登って写真撮ってたらさっき同じグループにいた青年が話しかけてきたので、歩きながら暑いよねーなんて雑談。彼は1ヶ月ほどの予定で中南米を旅してるロンドン在住フランス人とのこと。とりあえずシャッター押すよ、とお互いに写真を撮り合ってると近くにいた若い女性グループが私たちも〜てなノリで彼にシャッター係を依頼。おお、旅先で出会った若いもんどうし上手くやっとくれってんでおじさんは潔く身を引きました(笑)

踊る人びとの石彫
自由時間後は「踊る人びとの石彫」前へ。大きな石板にいろんな人間の像が描かれ並んでおります。なんかユーモラスな絵だなあ、古代人もなかなか笑いのセンスがあったのだなあ、なんて勝手に思い込んでましたが「これは近隣諸国を征服した際にその兵士や住民を拷問虐殺した絵なのであります」なんて説明を聞いてしまうと、なるほどこれはかなりのスプラッタ案件だってことに気づくのでした。現代人の僕らはほとんど生物を殺すシーンに立ち会うことなく生活しているますが、でも昭和の頃まではその辺でニワトリが絞められたり魚やカエルを解剖したり山奥に行くとイノシシを追いかけて解体したりすることは当たり前だったわけで。2000年以上前の兵士たちによる戦争の現場をリアルに想像することはできませんが、僕ら現代人の方が生物として特殊な感覚に生きているのかもしれず、簡単に昔の人は残虐だったなあ、で終わらせるわけにもいかん気がしてきました。

いくつかのグループが合流
さてそろそろ遺跡を後にハイエースに戻るのですが、駐車場には同じようなハイエースが並んでるしガイド氏も運転手もどこかへ消えてしまってさて困ったなと。同じグループだった何人かを見つけて「まいったねー、どのクルマに乗ってきたんだっけか」なんて談笑しておりました。みなさんスペイン語なのであまり意思疎通できないんですけど、なんとなく伝わってるのが面白い。

トヨタ・ハイエース
日本人どうしで見知らぬ人と話し始めると、どうしてもどっちが年上だろうとか男女とか国籍とか、まずは属性を把握してから話し方や接し方を決めようと努力してしまう。でも彼らにそういう感覚はまったく無いみたいで、初めて会った人間同士でも普通に同じ目線で会話しはじめるのです。ふと西洋にはオトナ・コドモという2種類の区分しかないんじゃ無いかなあと思いつきました。成人して働き出したらもうオトナ。同じオトナだから21才でも52才でも同格で差は無い。だから年齢を訊いて態度を変えることもないのでわざわざ年齢を訊く意味もわからない。ただの大人同士として普通に話をして普通に別れる。日本に帰るとオトナ同士といっても、オトナの中に世代とか年齢とか学歴とか取引関係とか社内ヒエラルキーとか、複雑怪奇な面倒が多すぎるんじゃないかなあ、ビジネスマナーなんて聞こえの良い単語で勝手に常識化されてるけど。

<木彫り職人のアラソラ村へ>

アラソラ村の工房
運転手氏が現れ僕らのクルマも確定され無事に乗り込むと次の目的地へ。15分くらい走るとなんてことない建物の横に駐車、降りるとそこは民芸品屋さんのようでした。あらまお土産屋さんとタイアップかな、と思いきやここはArrazolaという名の木彫り職人たちで有名な村だったようで、その工房のひとつに案内された様子。秋葉原のショップに並んでそうな極彩色のフィギュアを念入りに加工しているのはTシャツ姿の青年男女たち。机の横にはコンセントから充電中のスマホが何台も散乱しているのが現代風。木彫りの実演もやっておりました(動画)

手刀ひとつで木の塊からなにかの人形が姿が表します。たぶん2000年くらい前から同じような感じで人間は偶像を彫り続けてるんだなあ、今では3Dプリンタだけどやってることはたいしてかわらんのかも。
店内の様子
さあ時間はまだあるので、よかったら彼らの作品を買ってくださいねってんで、僕も店内をウロウロ。デイパックひとつで旅してる身としては大きなものや壊れやすいものは買えないし、まずそんな予算もないし、そもそもフィギュア趣味もないし・・・とほとんど見るだけ。ふと思い出して妻のステージ用(アマチュアロックバンドのドラムなのです)にピアスを買っときました。

<ランチタイム>

優しい味の食べ放題
妙にふらふらするのは暑さのせいか高度のせいか。いや誓う、そういえばかれこれ24時間ほどなにも食べてなかった。昨日お昼過ぎに国際空港で食べたホットケーキを最後に、夜遅く到着したので晩ご飯抜きとなり朝寝坊したので朝食も抜いてたのでした。クルマで連れて行かれたのは木彫りの村から10分程度の比較的大きなレストラン、というより定食屋的なところ。120ペソ(715円)払えば食べ放題とのこと。胃がカラッポなのでまずはスープからだよなあと暖かいスープを取ってきて食べるとこれが何とも美味しい!

たくさん種類があるので次のスープと大皿に身体に優しそうな料理を満載してテーブルに戻るとさっき遺跡で話したフランス青年が同席よろしいかと。
田舎の観光レストラン
もちろんOKよと一緒に食べ始める。彼はRemiという名前でロンドンの金融関係で働くIT技術者、独身だそうだ。これからメキシコを南下してグアテマラに行く予定なんだ、とシャイな様子で話してくれた。僕は日本人で10年ちょっと前に父からの譲られた会社を整理し今は妻と2人で歯科に関する仕事やってるんだよとか、その妻と交替に何年に一度かマイレージの無償旅行を楽しんでること、旅行中もスマホで仕事を続けてること、趣味でロックバンドやってること、去年熊本で大きな地震に遭ったことやその余震が4000回超えたことなどといろいろと話しました(伝わっていたかは不明)。

彼は日本の政治にも興味あるらしく、最近どうなんですか?と訊くので「右翼勢力に支援された首相が復古主義者で内閣を固めて大衆の支持を受けてるよ、君んとこのルペン親子とかBrexit煽った連中、他のEUで起きている状況と似たようなもんだ、みんなリトル・トランプ気取りだ」と答えときました。彼もBrexitには参ったよ、まあいまんとこ日常はそんなに変わらないけど先々どうなるかわかんない、と。

<クイラパン修道院>

強烈な日差しの修道院へ
すっかり満腹になったところで本日のツアー3カ所目、クイラパン修道院へ。16世紀にスペインが建てたものらしい。あの三船敏郎もここで映画の撮影をしたのだ、とガイド氏が言ったのだけど後で調べてみたらこの映画のことかな。それにしても日射しが強い。時刻はもうそろそろ16時になろうとしているのでピークは過ぎてるはずなんですが、24時間ぶりに食事したせいか血液全てが胃に回って脳が痺れたような感覚に。なんだか夢の世界を歩いてるような不思議な気分で屋根のないカトリック施設をふらふらと歩くのでした。

クイラパン修道院の柱
やたらと開放的な中庭に入ると柱の下部だけが真新しい白色になっている。ガイド氏によるとこれは大地震で崩壊した建物を修復したからだそうだ。1985年に1万人の死者を出したメキシコ地震を筆頭に何度も大きな地震に見舞われているという。メキシコと日本列島は太平洋を挟んでプレートの歪みが溜まっていく似たような境遇にあるわけですね。ふと現実に引き戻される気がしました。

<コヨテペック村で黒陶製作実演をみる>

黒陶の製作実演
最後の訪問地へと動き出したワゴン車は30分ほど走り大きめの駐車場に到着。ここはサンバルトロ・コヨテペックと呼ばれる村で、Barro Negroというテカテカ光る黒い陶器を作ることで有名なのだそうだ。1930年代に一人の女性が生み出した技法をいまでも守っているのだという。

これがBarro Negroという黒陶
我々が入ったのはAlfareria Doña Rosaという工房みたいです。ではさっそく製作実演をみることに。石の上に皿を乗せたろくろを器用に回しながら粘土の塊を花瓶に変えていく様子は見事なもので、これも恐らく数千年変わらない技法なのだろうなあと。
<実演動画→その1 その2 その3

安いお土産をちょっと買う
例によってそのあとは自由時間、思い存分にお買い物をお楽しみくださいということで僕も300円くらいの小さな花瓶とコップをお土産に買い、後は庭のチェアに腰掛けてぼーっと長くなっていく影を眺めて良い気分で過ごすのでした。過ごしやすい気温、心地よい風、どこからか聞こえてくる音楽(たぶんデモ)、だんだんと慣れてきたスペイン語の響き。昨日の夜に思いつきで申し込んだ一日ツアーでしたが、なかなか楽しい経験になりました。参加費1,500円はお値打ちでした。

<ベニートファレス市場で解散>

ベニートファレス市場
村から30分以上北上を続けたハイエースが泊まったのはソカロ市場近くの市場、ベニートファレス市場の前でした。帰りはホテルまで送ってくれないみたい。僕はこのすぐ近くのホテルだからいいけど。時刻は18時半。地元の買い物客たちに混じってしばらく市場をうろうろしたけど、ちょっと寝たいなとも思ってホテルまで歩きました。どんどん日が暮れていくけど治安の悪さは微塵も感じず無事に部屋へ。シャワーを浴びたら速攻でベッドに倒れ込むのでした。

<夜のオアハカ・ソカロ市場>

ソカロ広場に面したレストラン
目を覚ますともう20時。お腹もすいてきたし、と外出することに。さすがに真っ暗ですけど週末のせいかお祭りみたいに人だらけのソカロ広場です。そこかしこに露店が並び、子どもたちが走り回り、楽隊が練り歩いている光景はまるで平和そのものです。
特に風船売りたちがたくさんの極彩色をゆらゆらさせる様子は幻想的ですらありました→動画1 動画2。レストランで食事するお客さんには楽隊が近づいてリクエストを受けても受けなくても演奏をはじめるし<→動画>、音楽と酒でゴキゲンになった客たちは唄い、踊り始めたり。演奏のレベルもなかなかのものです<→動画>し、中にはドラムまで持ち歩いてるツワモノも<→動画>。地元の人たちも観光客たちも、公園に腰掛けて気持ちの良い空気を楽しんでおりました<→動画>。

<大衆食堂でひとりディナー>

今日のセルベッサはSol
Tacos "ROY"
そろそろお腹空いてきたので何か食べようかなあとあちこち覗くけど、こういう時に一人旅でもすんなり入れるレストランを見つけるのはちょっと大変なのです。豪華すぎるところに入るとなんとなく落ちつかないし、かといって屋台ってのもなんか切ないし。スマホで検索してみるとよさげなお店を発見。広場から歩いてすぐのTacos "ROY"という大衆食堂です。入ってみるとこれが大正解。スペイン語ワカランのですごめん、と伝えると英語を話せるボーイさんが登場、それでもワカランのでとにかく美味しいオススメをください、とお願い。もちろんビールも。わいわいした雰囲気を眺めたり、テレビでやってるサッカーを見てたらまずビール、続いて何だこれはこういうの大好物だぞ的料理が出てきました。

モーレソース
テーブルの上には6種類のモーレ(ソース)が取り放題(おそらく二度付け禁止)、トルティーヤも無料でついてくる。いろいろ混ぜて料理に入れるとそれぞれ独特の味に変わってとても美味しいのです、黒いのはチョコレート!チョコがおかずになるとは。支払い終わるとビール2本飲んだのに600円以下でした。大満足でホテルに戻りました。




すっかり気に入ったオアハカだけど明日昼にはもうメキシコシティに戻らねばなりません。1ヶ月くらいの予定でくればよかった、としみじみ思います。でもそうなるとこの旅行記ブログが膨大な量になってしまうのでやっぱり1週間くらいがいいのかな。ホテルに戻るとまたあっというまに撃沈。

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