2015年5月25日月曜日

Peterson Guitarspecial MkII 75W(ギターアンプ)を修理した

20年ほど前に購入したギターアンプを最近になって修理したって話です。
置物と化していた頃のピーターソン

ネットで探したらこの絵が
出てきたので拝借、すみません
初めてエレキギターを弾いたのは高校1年の春だったので35年ほど前である。親しくしていた同級生が隣県の進学校に入学することになり、寮には持っていけないので預かっといてくれるか、とYAMAHAのレスポールカスタムモデル(SL-550)と同じくYAMAHAのJ-25というアンプをセットで貸してくれたのだ。それまで姉から借りたフォークギターが唯一の楽器だった僕はすぐさま電気楽器製品の虜になり、学校から帰ってはアホのように弾きまくっていた。そういえば近所から文句も来たらしい。

大学に行っても相変わらずギターばっかり弾いていたのだけど、仕事を始めてからは音楽からずいぶんと遠い生活になってしまっていた。たまに酔っ払って部屋のテレキャスを弾いたりもしたけど、アンプに通したりとか人前で演奏するなんてことはなく、思い出したようにヘッドフォンを繋いだMTRで遊んだりする程度だった。

故K野さんと奥にピーターソンアンプ
(1994.8.20アスペクタ)
25歳で親が経営する会社に入ることになり八代の実家に戻ってきたのだが、お客さんの一人から「バンドやろうぜ」と声をかけられると、あっという間に演奏の世界に戻ってしまった。その後八代の地元のバンドに複数誘われ夜な夜なフィリピンクラブやダンスパーティや結婚披露宴などで演奏したりしてたのだけど、当時入ってたバンドのキーボーディストでぶいぶい言わせてたK野さんから「お前もそろそろちゃんとしたアンプを買わないといけない、ちょっと高いけど良いアンプがあるから買え。買うなら俺から買え。もちろん新品だ。」と妙な迫力で迫ってくるので、まあそれも良いかと「そんじゃ買います」と返事したのだった。しばらくしてブツが届けられ、納品書を見ると20万円を越していたので軽く唸ったのだが、当時独身だったし他にお金を使うこともあんまり無かったからまあいいか、と現金かき集めて支払った。

それからは練習スタジオではもちろん、演奏する機会があれば必ず車のトランクに入れてあちこち一緒に動いていく僕の良き相棒となった。FETアンプだからそんなに大きくないし(けっこう重たいが)、それなりにでかい音が出せるし、クリーントーンもディストーションサウンドもつまみをちょっと動かすだけでいろんなキャラクターが作れたりするのでレゲエからファンクまで僕のテレキャスの相棒としてなかなかの活躍ぶりだった。
その後結婚して子供ができたり仕事の関係で熊本市内に引っ越したりしてるうちに八代のバンドからも呼ばれなくなってしまい、また仕事中心の生活に戻っていった。1996年くらいの話です。それからものすごく時間が経ってまた昔のバンドで演奏したって話はこないだ書いたっけ

修理に出す前のピーターソンギタースペシャルMk2
ようやくピーターソンのアンプの話になるのですが、その20万くらい払って買ったアンプがそれです。
ずっと薄暗い納戸に隠されていたのだけど2008年に人前で演奏するちょっとした機会があり、久々に電源を入れてみたところ、ボリュームを回すたびにそれはものすごい爆音のガリが鳴り渡る。柴犬が気絶しそうなレベルで。どうやらホコリかサビが悪い影響を与えたらしい。

ギター工房に預けて忘れるの図
当時ギターの調整を頼んでいた地元のショップに持ち込み「ついでにこのアンプも見てくれない?」って預けてみたんだが、そのまま3年くらい見事に忘れてしまい店に預けっぱなしになってしまった。2011年にまた演奏する機会ができたので、あっそういえばと思い出し、恐る恐る店に出かけたらまだ置いてあった。長らくすんませんでした、と詫びを入れて持って帰ってきたんだが今度は完全に音が出なくなっていた。そりゃそうだ。

修理するのならまず購入した店に相談すべきだと誰もが考えるはずだ。ところが残念なことに僕にこのアンプを売ってくれたK野さんは若くして草葉の陰に逝ってしまったのです。いま考えても本当に残念なのだけど、音楽の才能と爆笑ユーモアではち切れんばかりの人だった。練習中にはコードが違うとかうるさいとかマジメに弾けとかよく叱られたが、練習後には爆笑話の弾丸トークであやうく過呼吸になるまで家に帰してくれなかった。いまでもたまに練習中に声が聞こえてきそうになる。だけどアフターサービス期間はもうとっくに過ぎていたのだ。

自力修理も試みたものの
ある日、まるで機能していない割に置物としては少し大きすぎるこの木箱を今後どうしたもんかな、なんて考えを巡らせていると、そういえばインターネットってもんがあった、と気づいた。いまさらながらネット検索してみると、いくつか情報がヒットするではないか。しかしどうしてネットで仕事してる僕がことこのアンプのことになるとまったく検索しようともしなかったのだろう。完全に購入時の90年代で頭が止まっていたようだ。ともあれ以下のことがだいたいわかってきた。

  1. ピーターソンはイギリス製である
  2. 当時の輸入代理店はもう存在していない
  3. そればかりかピーターソンというメーカー自体もう存在していないようだ
  4. ボリューム関係のガリトラブルはけっこう有名みたいだ
  5. 国内のユーザーはそう多くないようだがけっこう自前で部品交換したりしてるみたい
  6. 名古屋の楽器屋さん修理をしたぞってブログに書いているのを発見した

ティッシュの箱・・・
というわけでその名古屋の楽器屋さんにメールを書いてみることにした。
数時間もしないうちに返事が来て「修理できると思います、送ってみてください」ってことだった。
連休明けに近所からダンボールをもらってきて梱包し、さっそく送ってみた。
メールとFAXで修理見積もりが届く。ポット9個全交換にジャック交換、ついでにハンドルも交換してしめて24,300円。それなりの新品アンプが買える値段だ。でも長い付き合いだし、あの音をもう一度鳴らしたくなったので修理をお願いすることにした。
数日後、送った時と同じダンボールでピーターソン君が戻ってきた。


お、なんか返ってきたぞ
さっそく電源を入れ、ギターを繋ぐとおお、当時のあの迫力あるトーンが鳴りはじめた。ボリュームポットは全交換してもらったのでガリなど全くなくとてもスムーズだ。テレキャスとストラトを交互に接続し、そのへんに転がってるアタッチメント類を入れ替え差し替えして遊んでるうちに深夜になり妻にいい加減しなさいと叱られた。



交換した旧部品も同梱されてた
ピーターソンは2チャンネルの回路を切り替えることができる。フットスイッチを押すとノイジーで迫力満点なディストーションサウンドが響く。BOSSのオーバードライブよりもガツガツくるトーンだ。そうなるとデジタルディレイとコーラスはセンドイン・センドアウト回路に接続して歪ませる前で掛けるのがよろしいよな、とすっかり20年前の感覚が戻ってきた。こんな感じもひとつ


すっかり新品同様に
次の演奏機会は当面ないんだけど、一日いちどはアンプに電源を入れて音を出す生活が始まった。とりたてて曲を練習するわけでもなく、ただ音を出して喜んでいるだけ。面倒くさいので最近はギターとアンプは直結だ。その方がリアルに音を実感できる。


30年前に東京で買ったESPのテレキャス、20年前にロスで買ったCarvinのストラト、20数年前にイギリスで作られたピーターソンのアンプ。

考えてみたらどれもスタンダードな製品じゃない。誰もが認める一流ブランドってわけでもない。もちろん二流でもない。ぱっと見には標準的だけどちょっと違う音が出てしまうのだ。それは奇妙な癖でもあるけど、長い間付き合ってくるともうその音色でないと満足できないようになってくる。誰もが乗りこなせるわけではないマシンを調教することが楽しみになってくるし、それができれば誇らしく思えてくる。

なんとも僕らしいと思うけどまあだいたいそんな話です。

2015年5月24日日曜日

外付けハードディスクのクラッシュを機に各種データファイルのバックアップ方針を改めたという話

MacBook Air用に使っていた外付けハードディスクが突然クラッシュした。
ファイルの復旧と今後のデジタルデータ運営方法の見直しをしたのでちょっと書いておきます。

(2015/08/12 後日談を追記しました)

【はじめに】

2013年1月に買ったI-O DATA

 3.0TB HDC-AE3.0K

  2013年1月に愛用していたMacBook Airのバックアップ用としてIOデータ社の3TBの据置型USBハードディスクドライブを購入した。Macに付属してるTimeMachineという自動バックアップソフトを使い、MacBookAirのSSDに保存している全データをこちらにも二重保存しておくことで万が一のクラッシュにも対応できるようにしておいた。

ところが当時使っていたMacBookAirの内蔵SSDは256GBだったため、日々のデジカメ写真やどんどん増える音楽ファイルであっという間に満杯になってしまった。そこでしばらくして直近1年間以前のiPhotoライブラリファイルとiTunesの全ライブラリをこの外付けハードディスクに移すことにした。USB接続してないと過去の写真を扱えなくなったり、音楽が聴けなくなったりもしたけど、まあなきゃないでよい機能でもあるしMacBookAirの空き容量が増えたことで単純に喜んでいた。

そして今回そのドライブが突然ぶっ壊れた。
壊れたと言っても完全にアクセスできなくなったわけではなく、しばらく接続しておくとポコッとマウントされ、ものすごーく遅い速度でファイルが見えたりする。だけど他のドライブにそれをコピーしようと試みるとこれまたえらく待たされたあげく、1割くらいは成功するけど後は何度やってもダメ、という感じだ。感覚的には日に日にその具合が悪くなっていく。写真や音楽などのデータは1ファイルに10分以上かけてどうにか救出できたりできなかったりするけど、フォルダごとまとめて救出しようとするとたいてい全部失敗する、そんな感じだ。

これが3日前の状態であって、ここ何日かでどうにか体制を整え、今後のデータ管理の方針を立ち直らせることができたので忘れないためにも書いておこうと思う。ここに至るまで多数の見知らぬ方のブログを参考にさせていただいたので、もしかしたら似たような状況の方のお役に立つこともあるかもしれないし。

【いままでのバックアップ体制】

  • MacBook Air(SSD512GB内蔵、)
  • 外付ハードディスク(据置型3.0TB、USB接続でTimeMachineバックアップ)
  • Time Capsule(2012年モデル、HDD1TB内蔵、Wi-Fiルータとして利用、バックアップ領域は妻のMacBook用としてのみ利用)
  • Dropbox(1TB有料契約、仕事用全ファイルを対象としWindowsPCおよび妻のPC関係との同期に利用、モバイル端末からの仕事にも重宝。ただし写真や音楽は同期していなかった)
  • GoogleDrive(100GBの月間$1.99有料契約、共同作業のための文書やスプレッドシート、ODML文書のバックアップ)
  • iCloud(各種設定、iOSバックアップ、フォトストリーム)
  • iTunesMatch(2015年5月1日に解約したばかり)
クラッシュした時点でのバックアップ体制

【今回起きたこととその敗因】

  • MacBook Airの内蔵SSDをTime Machine機能でバックアップしていた外付HDDがクラッシュ、遅延しながらもアクセスは可能だがファイルの移動ができない状態に
  • Time Machineバックアップデータとともに過去のiPhoto写真全データとiTunesの音源全てにアクセス不可となった
  • バックアップ専用ドライブに写真と音楽を移動しが、そのバックアップのことを考えていなかったことが最大の敗因(バックアップドライブに生きてるデータ入れちゃダメ!)
  • 仕事関係のデータには影響なかった

【データ回復のためにやったこと】

<ハードディスク新調とデータコピー>

I-O DATA 4.0TB HDC-LA4.0を

Amazonで買った。当日届いた。

  • 新しい外付HDDを急いで購入した。Amazonで同じIOデータ4TBの据置型、朝注文したら夕方届いたのはよいが1万8千円の痛い出費。
  • 新旧2台のHDDをMacBook Airに接続してデータ移行開始、最初はうまく行くかなと思っていたけど極端に読み込み速度が低下してほとんどのファイルでコピーに失敗。
  • 気長にやればそのうちなんとかなるかもと妻のMacBook Airを借りて2台のHDDデータ移行作業を延々と試みるもほぼ失敗に終わる。

<音源ファイル>

新旧2台のHDDを並べてコピー
  • 音楽データに関してはiTunesで購入した曲や手元にあるCDから取り込んだ音源は再度作業すればよいだろうと、iPhoneのボイスメモ(バンドの練習スタジオ録音とか)や自作曲の救出を優先することにした。データ量が小さいため時間はかかったがある程度成功した。
  • 作曲時や音源編集に使ったGarageBandの元ファイルなどは再編集することもないだろうから消えたところで影響はなかろうと断捨離決定。
  • 2014年5月のサービススタート時から飛びついたAppleの音楽クラウドサービス「iTunesMatch」だが、バンドのデモ音源などをiPhoneに入れることができないなど今ひとつ完璧でないところが気に入らず2年目の更新をしなかった。つい先日(5/1)の話だ。もしその時に契約更新していたらほぼ全ての音源がクラウド上に残っていたわけで、今回みたいに手元の音源がクラッシュしたところでほとんど痛手が無かったのだろうと(その時点では)悔やまれた。「Appleは契約解除後24時間でデータを捨てる」って書いてあったし。
  • しかし今後のことを考えればやはりMatchは続けるべきだろうな、と改めて契約することに。手元のiTunesライブラリには今までの全曲目が残っているけど、音楽ファイルの実体がほぼ失われている。さてこの状態でクラウドとMatchさせるとどうなるんでしょう?などと疑問に思いながらも1年前と同じ手順でMatch開始。数時間かけてiTunesライブラリが解析され、次にAppleサーバーとおの交信が始まった。一晩あけてみると、あっさりと作業は終了していた(去年は5月の連休中ずっと動いていたもんだ)
  • 恐る恐るiTunesを眺めてみると・・・なんとほとんどの曲が復活しているではないか(各曲の右側に雲マークが付いている)。iTunesで購入した曲だったら当たり前だろうけど、自作曲にまで雲マークがついている。ネット接続状態であればクラウド上の音源を再生することのできる状態となっている。1年前にアップされた曲は解約後数週間を経てもまだAppleのサーバーから消されてなかったのだ。いやー太っ腹なのか個人情報に無頓着なのか極度に戦略的なのかわかんないけどこれには大いにたすけられた。

<写真>





  • これまでに撮影したほぼ全てのデジカメ写真(1996年〜2015年)に関しては先日までにGoogleのPicasaウェブアルバムにオンラインバックアップしていたのですべての記録を失ったわけでもない。ただし無料でアップできるサイズに圧縮しているため、フルサイズのデータが失われたに過ぎない。横1600ピクセル(平均500KB程度)でアップしているが、考えてみたら10年ほど前までのデジカメ画像はフルサイズでもそんなもんだった。
    • 2011年11月まで使っていたMacBook Proを引っ張り出して起動したらiPhotoデータ健在を確認、当時までの写真データ(オリジナルサイズ)は確保できた。
    • 動画に関してもデジカメやスマホで撮影したものはすべてPicasaにバックアップしていたのでこれもさほど痛くない(15分以上の撮影動画などはほとんどYouTubeにアップ済だったためこれもOK)。
    • 動画編集時の元ファイルに関しても今後再編集することもないだろうから断捨離。

    【今回失ったデータのまとめ】

    • 2011年11月から2014年8月くらいまでに撮影したフルサイズ写真データ
      • すべてPicasawebアルバムにバックアップしていたが1/10程度のサイズに圧縮した画像(ぱっと見には差がわからないけど)
    • iTunesMatchに不的確と判断された音源(なぜかいくつか曲がはじかれた)
    • ボイスメモもMatchではじかれたようで消えてしまった
    以上、ダメージは最小限に抑えられた。

    〜今回のクラッシュ体験を活かすため今後のデータ管理方針を下記にあらためることにした。

    【今後のデータ管理方針】

    • 写真も音楽もクラウド保存を徹底する

      • 最初からネット上に保存することを第一優先とする。母艦のストレージをオフィス内のバックアップドライブに複製したり、そのドライブを数年に一度更新していくよりも断然気楽だし安心できる。

    • 仕事データも徹底してクラウド管理を続ける

      • 現在のDropbox、GoogleDrive、Evernoteプレミアム、iCloudをさらに徹底して使いこなすことでいつなんどき手元ファイルが失せようと普通に仕事が継続される環境をより追求する。

    • マルチプラットフォーム化を進める

      • 特定のハードウェア・ソフトウェアに依存しなければ自分のデータを利用できない状況を徐々に緩めていき、ネットワークとブラウザさえ起動できればどんなマシンからも閲覧・操作できる環境を目指す。具体的にはアップル、マイクロソフト、グーグル、各種モバイルから場所と時間、機種を選ばずデータにアクセスできる環境を完成させる。

    【今回を機に変更したバックアップ体制】

    • iPhoto(あるいは新しいPhotos)での写真管理をやめ、Picasa3Picasa Web Albumを使い、ディスク上は画像ファイルをフォルダ管理する方法に移行する

      • iPhoto系の問題点
        • iPhoto系はどうしても全体のファイルサイズが巨大になる
        • Apple以外のマシンからの取り扱いができない
        • 新しいPhotosにいまいち馴染めない
        • Googleのオンラインバックアップへの同期が困難
        • iCloudデータへの写真フルバックアップは高価
      • Picasa3Picasa Webアルバムのメリット
        • 自動的にオンラインアルバムに同期バックアップ可能
        • iPhotoみたいなパッケージファイルが作成されず、多数のJPEGファイルのままなのでバックアップが楽&損害時の被害が少なめ

    • Picasa Webアルバムへの同期はフルサイズ写真とする

      • これまでの圧縮サイズのメリット・デメリット
        • 2048ピクセル以下、15分以下の動画はGoogleのディスク容量にカウントされないためこの先もずっと無料でバックアップできる
        • しかし反面、フルサイズの写真は別途どこかに保存・バックアップの必要が残る
      • フルサイズ同期のメリット・デメリット

    • iTunesの音源は外付けHDDからMacBook Airの内蔵SSDに戻す

        • Time Machineの自動バックアップ対象にできる。
        • iTunesMatchのお陰で多くの曲は手元にファイルがなくても聴けるようになった(ネットがある限り&毎年3,980円払えば)
    今回を機にバックアップ体制を変更した


    【今後の課題】

    • 全般的な話
      • アカウントとパスワード管理の徹底
      • クラウドにアップするファイルの遵法性に気をつける
      • クラウドサービスの動向に関心を向け続ける(より有利な新サービスの登場や旧サービスの撤退など)
      • セキュリティ強化(出先のWi-Fiサービス利用時にはVPNを経由させるなど)
      • 継続的な経費の把握(各種クラウドサービス費用、ネットワーク費用、モバイル関係、各種デバイスの購入・保守費用など)
      • 基本運用方針の徹底と明文化(そのためにこれを書いているようなもんです)
    • Picasaについて特に
      • Picasaサービスの終了とGoogle+への本格移行時に現体制が維持できるか問題
      • Google+そのものがなくなってしまう問題(Googleはそういうことよくやるんで
      • 将来的には特定の写真管理ローカルアプリを利用することなく各デバイスから直接webにアップされた写真をオンラインで管理できるサービスが定着するだろうからその時にはそこに全面的に乗り換える。

    【おわりに】

    以上、誰も読まないかもしれないけど自分のために書いてみました。
    うまくまとまらなくて申し訳ない(将来の僕へ)。

    【後日談 2015/08/12】

    この記事を書いた直後にGoogleから神サービス「GooglePhoto」が颯爽と登場。
    さっそく飛びついてMacBook、iPhone、iPadといろんなデバイスから試してみたけど、もう今まで悩んでたのがなんだったのだって感じでシンプルに解決してしまった。
    その後、Eye-Fiカードも壊れたので、最新のEye-Fi Mobiを購入、最終的にはMacBookを一切使わないクラウド依存型の運用に落ち着いてます。

    というわけで2015年8月現在の僕の写真管理は下記です。

    1)iPhoneで撮影した写真はGooglePhotoアプリからすべてGoogleにバックアップ
    もともとGoogleは100GB契約の有料ユーザーなので、ファイルサイズは元サイズでバックアップする設定に。
    ただしパケットが心配なのでWi-Fi環境でのみアップロードに設定

    2)コンデジやデジイチで撮影した写真はEye-FiでiPhoneかiPadに伝送、そこからGooglePhotoにアップロード
    いままでSDカード経由のためMacBookが手元にないとバックアップできなかったけど、新しいEye-Fiはその点とても気楽にモバイルデバイスに飛ばせるので撮影したらすぐにiPhoneなどに飛ばす。そのあとWi-Fi環境に移動したらGooglePhotoに全部バックアップ。

    3)GooglePhoto上で写真の加工、アルバムづくり、コメント、共有
    ここが一番楽になったところで、GooglePhotoのアプリはこの辺がとても簡単なのだ。いままでiPhotoでシカできなかったことかそれ以上のことが実に簡単にできる。だから写真を溜め込まずにちょっとした移動時間で整理できるからとても楽だし安全になった。TwitterやFacebook、メールなどで共有するのもすごく簡単なので病みつきになる。いままでの苦労がウソみたいだ。

    ということで、Googleのおかげでぐぐっとシンプルな運用になりました。

    以上、後日談でした。


    2015年5月9日土曜日

    2015年4月21日、Paul McCartneyの大阪公演に行ってきた

    ポール・マッカートニーのライブに出かけた。僕にとって三度目のポール体験である。せっかくだから忘れる前にちょっと書いておこうと思う。
    2015年4月21日、京セラドーム

    2015年4月21日水曜日の大阪公演は、今回の日本ツアー初日であった。実は昨年の大阪公演には行く気満々でチケットも準備し、仕事を絡めた旅程まで立てていたのだけど、ポール氏の病欠ですべて取りやめになっていたのだ。
    だからなんとなく今回はパスするつもりでいた。ところが直前になって仕事上の知り合いから「チケットが2枚ダブってしまったのだけど要らない?」という連絡が届いてしまったのだ。しばらく躊躇したけど、1時間以内には「行きますとも!」と返事してしまい、大阪行きの準備に取り掛かることになった。

    これまでの2回は常に妻と一緒だったから今回もそうなる流れだったのだけど、その期間しばらく妻は帰省する予定になっていた。熊本の僕と群馬にいる予定の妻がそれぞれ大阪に移動して参加、ってプランも考えはしたのだけど、さすがにコストがかかりすぎる。
    だから今回は僕だけで行くことにした。といってもチケットは二枚あるわけで、誰かねんごろな愛人でもいれば話は簡単なのだけどあいにくそういうこともないわけで大阪在住の友人に声かけると二つ返事で行くというのでオッサン二人の参戦がきまった。

    昨年暮れのイギリス旅行ブログでもなんどか書いたような気がするけど、僕はわりと年季の入ったビートルマニアなのです。小学生の頃に友人宅のステレオで聴かされた赤盤・青盤に衝撃を受けて以来だから、もうかれこれ40年近くになる。すっかり伸び切った筋金が頭頂からつま先まで錆びつきながらも通ってるようで、まだ生きてるビートルに会えるとなるとつい脊髄で反応してしまう。

    2002年11月17日、奇跡的に入手した一列目チケット
    初めてポールの生声を聴いたのは2002年11月の大阪だった。この時もはじめは行く予定などなかったのだけど大学時代のバンド仲間が久々に連絡してきて「チケット余ったので買わない?」という流れだったのだ。ならば行こうか、とたいして興味のなさそうな妻と息子を誘ってフェリーに乗って大阪まで。細かな経緯は当時の記録に譲るとして、奇跡的にステージのフロントロウ席に回され、最後まで一度も座ることなく踊りっぱなし、叫びっぱなし、しかも周囲のみんなと号泣合戦、という珍しい体験をすることになり、錆びてたはずの筋金が増強され今に至ることになった。

    Driving Japan 2002
    当時は30代後半で、父の経営する会社を引き継いだばかりでもうむちゃくちゃ忙しく、将来性とかやり甲斐も見失ってる時期だった。きっと自分は死ぬまでずっとこんな調子なんだろうなあ、となかば諦めかけていた。でも老境に達した(といってもまだ60歳くらいだったはずだが)ポールのパフォーマンスはそんな僕をおおいに発奮させてくれ、枯れかかってたエネルギーが湧き上がってきた気がしたものだ。
    熊本に帰ってもその興奮冷めやらず、古いアンプをほじくり出してギター弾き始めたり、乗っていた4ドアセダンを2シーターオープンカー(軽自動車だけど)に乗り換えたり、それから3年後には父から引き継いだ事業を他社に譲渡したりしたわけです。

    二度目もアリーナで経験
    二度目のポールは2013年の福岡公演。大学の軽音楽部仲間だった妻も前回の大阪公演では僕と同じくらいポール魂に感化されたらしく、今度もぜったいに行くのだとネットでチケット予約し、ちょっと後方だけど一応はアリーナ席を確保し当日に挑んだ。その日は僕らの20年目の結婚記念日から数日後だったこともあり、僕らにとっては記念日的なイベントにもなった。前回同様、最後まで立ちっぱなしで大騒ぎした。70歳を過ぎてたはずのポールは11年前よりも長時間のステージを軽々とこなし、最後の方ではむしろ観客サイドがバテ気味ですらあった。誰だよ今回が最後かもしれない、なんて言ってたのは!なんて言い合いながら僕らは遅くまで福岡の夜を楽しんだ。

    Jetstarで関空へ
    さて今回の大阪公演も初回と同じく京セラードームだった(名前は変わったけど)。譲ってもらったチケットを見ると僕のシートはフロントロウでもアリーナでもない二階席だったけど幸いなことにセンターど真ん中だった。ポールのステージにはいつも巨大なスクリーンがセットされ、リアルタイムに撮影された映像が表示されるからあまり距離は感じさせないことだろう。
    今回は福岡空港から関西空港へと飛ぶJetstar機を利用して1泊2日の旅である。福岡まではオープンカー(そう、あれから12年も乗っている軽自動車)で行くことにした。

    片道5,000円以下というビートルズが現役時代だった頃よりも安いんじゃないかって思わせるLCCに乗り、当時は存在しなかった関西国際空港に飛ぶ。そこからはJRで大正駅へ。駅を降りるとすでに人目でそれとわかる集団がどことなくアニメチックな外観の京セラドームへと続いていた。

    1991年鈴鹿
    年齢層はもちろん高めだけどバラエティに富んでいる。どこか上気しているけどでももう慣れてるもんね、でも実際に始まったらそこいらの誰よりもクレイジーになるぜヘヘイ、という妙な空気が漂っている。これって昔どこかで吸ったことのある空気だと思うけどなんだっけ。しばらく歩いているとふと思い出した。一昔前のF1鈴鹿だ。何度目かのF1日本グランプリ。当時はまだバブリーなF1ブームの残滓も少し残っていたけど、毎年通い詰めてるコアなファン層はもう馬鹿みたいにお祭り騒ぎしたりお土産屋にならんだりすることをやめ、ただ自分の楽しみのためだけにやってきてる感じを発散していた。でもそれでもいったんスタートの轟音が響きわたると、もうそんなクールさを脱ぎ捨て、何もかも以前と同じように馬鹿騒ぎするのだった。俺はもうそんな若くねえが、まだまだ枯れちゃいねえ的ないかにも中年的なノリが場を支配していたのである。あれ、なんの話だったっけ。

    早い時間から開場外は興奮気味
    そうだ、セナじゃなくてポールの話だった。
    まだ何時間も前なのにドーム前は人の波で溢れていた。チケットを見せるとすんなりとシートまで案内してくれたけど、一方でお土産でも買おうとすれば往年の鈴鹿に負けない長蛇の列ができていた。諦めてぼくはシートに座りビールを飲みながら友人との合流を待つ。ほどなくしてスーツ姿の彼が到着。とにかくな、これが終わるまで仕事の話は一切禁止だからな、歯科のシでも出したらお互い殴り合うぞ、という約束のもと写真を撮り合ってぎゃあぎゃあ騒ぎ始める。ステージはすでに出来上がっており、VJらしき男がリミックスされたポールの曲を流し続けている。

    パノラマな光景
    時刻は19時を回ったがまだスタートする気配はない。大方の席はすでに埋まり観客はスタンバイ体制だ。流れている曲や映像はたぶん一昨年の福岡公演と変わっていないのでなんとなく、あ、これが最後の曲だな、そろそろ始まるんじゃないかなってのが分かった。それが分かったのは僕だけではないらしい。そう会場の多くはリピーターなのだ。
    スマホの明かりが演出する
    客電がおちると否応なしに満席の客が騒ぎ始めた。もはや阿吽の呼吸。客電ばかりかステージの照明までもが一気に落とされると歓声は驚きの声となった。まるで宇宙ステーションから眺めた夜半球の地球のような青白い光の絨毯が現れたからだ。アリーナから二階席に至るまでに散らばった何千何万というスマホのスクリーンだった。ポールのコンサートではずいぶん前からプロ用の機材や動画でない限り撮影が許可されている。むしろ奨励しているくらいの勢いすら感じさせる。だからみんな当たり前のように電話やメールやSNSで「いよいよ始まるんだよ、すごいよね!」なんてあちこちに連絡しているというわけだ。ステージング担当はきっとそこまで計算してこの演出を考え出したのだろうと思った。

    リバプールで乗った
    Magical Mystery Tourバス
    12年前にはじめてこの場所で生ポールを見た時はディストーションの効いたコードで始まったHello Goodbyeがオープニングだった。あのコードとバイオリンベースのシルエット映像だけで会場の全員がノックアウトされた衝撃を憶えている。でも今回は普通にヤアヤアとばかりにポールが登場し、カウントとともにあの虹アニメが展開する中でMagical Mystery Tourで始まったのだ。そう、去年11月にリバプールで僕が乗った観光バスツアーと同じ名前ですよ。偶然かな。そんなわけない、こっちが本物だ!ここへ来て突然ロンドンやリバプールで尋ねたポールの実家やAbbey Road前の横断歩道の記憶がフラッシュバックしてきた。

    今回も総立ちになるのかと思いきや、そこは狭いシートである。誰かが立ったら必然的に後ろの席も立たないとステージが見えない。みんな行儀が良いのか遠慮してるのか足腰立たないだけなのかわかんないけど、僕は今回は生まれて初めて座ったままでポールライブを体験することになった。

    ・・・・さてこの調子で最後まで全曲解説しても良いのだけど、たぶん誰も最後まで読まないと思うし、僕の感想を他人に強要するのも良くないだろうから割愛しておきます。あの元気さだったらまたしばらくしたら日本に来るだろうし。

    でもやっぱり印象に残った曲についてだけちょっと書いておきたい。

    まず7曲目に歌われた My Valentine。福岡で見た時と同じ動画を背景にしっとりピアノで唄った曲、古いジャズのカバーだとばかり思い込んでいたのだけど、これはポールのオリジナルなのでした。あらためて良い曲だと思う。どうしてシンプルなコードでこんな曲ができてしまうのだろう。



    それから13曲目のAnother Day。僕はYesterdayよりこちらの方が好きだ。ポールの曲といえば(さっきのMy Valentineもそうだけど)長調と短調が違和感なく融合している進行が特徴的だけど、ビートルズを解散したばかりの頃の彼は従来のスタイルから抜け出そうと実験的な模索を繰り返していた。でもこの曲はそんな中でもふっと力が抜けて昔に戻ったようなそれでいて従来とは違う良さを見つけたぞ、って感じの優しい曲だった。どこかペニーレインっぽさも感じさせる。



    「世界初公開デス」と始まったHope for the Futureは以前YouTubeでみた時とはまるで違っていて、よく練られたポールらしい曲だなあと感心した。ゲーム画面とともにみた時には「おいおい仕事は選ぼうよ」って思ったんだけど。昔から彼はコンセプトを重視するあまりついやり過ぎてしまう。だから初めて聴くと「なんだこの全部盛り感は」と戸惑うのだけど次第に耳から離れなくなり、しまいにひょっとしてこれは名曲なのでは、って説得されてしまうのである。そういう媚薬はどこに仕込まれているんだろう。


    ウクレレから始まるSomethingはここのところライブの定番だけど、前回2013年くらいからはアレンジがちょっと変更されて、Georgeの追悼コンサートでEric. Claptonと共演した時のバージョンをベースにしたみたいだ。具体的にはバックバンドが入ってくるあたりの演出。あの動画はYouTubeで何度みても感動的だった。きっとポールもこれはいいね、って思ったのだろうな。いつかクラプトンも一緒に連れてきてほしいものだ。


    おばちゃんに習って僕も立ち上がった
    アンコールも2度目になるとさすがに我慢できなくなって僕も立ち上がった。面白いものでわずか50cmほど視点が上がるだけで何もかも変わって見える。まずは会場の満員感に圧倒された。周囲の人たちも次々に立ち上がりようやく若者に戻ろうとしている。
    こうなるとさっきからずっと通路に立って踊り狂っているおばちゃんこそが我らがリーダーだ。時おり感涙にむせびながら彼女はずっと拳をあげ、声をからしてノリノリなのだ。周囲の僕らは彼女に勇気づけられ、次々と立ち上がる(いや、後ろの席はそうしないと見えないのだけど)。

    この会場との一体感はアリーナでは体験できないものだ。見渡すかぎりのヒト、ヒト、ヒトを視野の片隅に入れながらステージやスクリーンに向かっていると、まるで団体戦を戦っている気分になってきた。生き残った伝説 vs 異国のファン連合。さっきまで隣で泣きっぱなしだったおっちゃんも立ち上がった。 I saw him standing here、そうだそのイキだ。


    立ち上がると会場の満員感
    今回もアンコール6曲を含む37曲をまったくの疲れも見せずに演奏しきったバンドにはいつまでも万雷の拍手が止まなかった。2001年くらいからずっと同じメンバーでツアーしてると思うからメンバーもそこそこな年齢なはずである。バンマスが72歳だからひよっこ扱いかもしれないが、それでも世界的に見ると中高年の星みたいな存在だ。往年の名曲を演奏するからといってキャバレーの箱バンみたいな手馴れた演奏するわけでなく、しっかり楽しんでいる感じがする。テクニック的にも最高峰だろうしそりゃ信じられないくらいギャラももらってるに違いないのだけど、なんだか荒削りな若々しさを感じさせてくれてとても気持ちよかった。そこそこ売れたバンドのメンバーとかを田舎のライブハウスとかで見かけるとどことなく業界臭的大物感を漂わせてて、厭らしい感じを振りまいたりするもんだが、なんとなくだが彼らはそういう感じと無縁だった。

    何万という笑顔がステージに向いていた
    The Endでコンサートも終わる。お約束といえばそうだけど、まさか本人もこんなかたちで利用できると思ってこの曲を書いたわけではあるまい。次に彼のステージを見ることができるのはいつになるのだろうか。毎回今回で見納めかもしれないなんて思うけど、でも実際にやってくるとあと10年は大丈夫かもなって思えてくる。特注の車椅子で走り回りながらベース弾いてる姿が目に浮かぶ。いやもしかしたら次に来日する前にこちらが逝ってしまうかもしれない。次のコンサートに僕はチケット代も払わずドームの天井あたりに浮かんで踊っているかもしれないのだ。そう考えたらこの会場にも往年のビートルズファンがたくさん浮いてるのかもしれんぞ、なんて。The Endはいっこうに来ないのだ。


    慌ただしい一泊二日の大阪だったけど、終了後は友人と泡盛飲んで、翌朝はちょこっと仕事もし、福岡経由で自宅に戻った。日が暮れる前においおいどこへ行ってたんだよ寂しかったぜ、という表情の柴男を連れ出してしっかり散歩しながらも僕の脳内ではDriving Rainが何度も鳴っていた(今回も演奏されなかったのだけど)。

    2015年5月7日木曜日

    2015年4月に読んだ本の記録

    春の大型連休は特に予定もなく、家でだらだら過ごしたので先月の読書感想文を書く時間がたっぷり過ぎるほどあった。2015年4月も先月と同じ12冊の本を読了し、そのうち紙の本が7冊、Kindleが5冊といつもよりか少しリアル本が多いのはブックオフオンラインの利用が多かったからかな。
    僕は新品や電子書籍でなく中古本を買い求めるときの基準ってのを考えてて、
    1. 十分に著名な作家・音楽家で今さら稼ぐ必要もないんじゃないやろか 
    2. 新品の本がすでに入手不可能だし
    3. 高くて手が出ませんもので
    という順序でセコハンものに手を出すかどうかをなんとなく決めてる。
    でもそれはあくまでスクリーンを前にしての話であって、書店や古本屋にいったん入ってしまうといちいち考えもせずにたいして値段も見ずに買ったりする。
    幼少の頃、「本代だけは月々のお小遣いとは別に払ってやる」という親に育てられたせい(おかげ)だと思う。

    期間 : 2015年04月
    読了数 : 12 冊
    ロング・グッドバイ (Raymond Chandler Collection)
    レイモンド・チャンドラー / 早川書房 (2009-03-06)
    読了日:2015年4月30日
    ずっと前にブックオフから届いていた本だけどずっと本棚の重しになっていた。ふとした拍子に「あ、まだ読んでなかった」と手に取るとそのまま1週間くらいずっとあちこち持ち歩いて読んでしまう。僕が図書館をあまり利用しない理由はこんなところにもある。中古でもよいのでとにかく手に入れたら目に付くところに転がしておくのだ。それだけでその本となんらかの縁ができた気がする。でもまだ熟しない。ある時なにかの拍子にその本は僕の手元にまでぐぐっと接近してくる。ページを開いて1ページ読んだらあとはしばらく付き合って、そして死ぬまで一生僕の脳のどこかに沈んで次のご縁を待ち続けるのだ。

    戦後アメリカの有名な探偵ものってことだけど、話の筋としては特にびっくりするようなことはない。いまや練りに練られ心地よい刺激や興奮が途切れないように計算された素晴らしい物語なんて、そこいら中にごろごろ転がっている21世紀なのだ。古典と呼ばれ始めた物語を今の時代に手にする意味合いがあるとすれば、やめくるめく興奮を願ってページをめくるものではなく、ちょっとした異世界(でも微妙に現在との連続性も途切れないとこが重要!)で繰り広げられるシーンの一つ一つを味わうことなのかもしれんなあ、と読後に思いつく。

    時代を生き抜いてきた作品は最後まで読んだ後に、何度も読み直す方がきっと何倍も楽しめるものだと信じて、またそっと本棚に戻しておく。まるで勝手に利息のつくタンス貯金みたいだ。
    アフターダーク (講談社文庫)
    村上 春樹 / 講談社 (2006-09-16)
    読了日:2015年4月26日
    ブックオフで。これで昨年夏から始めた村上春樹の長編小説コンプリートも一段落できるはず。

    手頃な長さで読みやすい文章だったので二日ほどでざっと一読できたのだけど、読後にどうもなんか引っかかるというか、なんだよこれ?って感じだった。

    とりあえずその晩は良く寝て、しばらくあれこれ思い出しながら再びページをめくるだけど、その引っかかりの原因がよく掴めない。

    どうも原因は高橋にありそうだ。こいつどうもヘンだ。ひょっとして悪いヤツなんじゃないの? あるいはちょっと病んでるのかも。病んでいると言えば姉のエリもそうだしもちろん白川もだ。マリだってどこか普通じゃない。みんなしてどこかヘンだ。一番まともだと思ったのはカオルだけだ。大都会の夜って変なヤツばかりうろついてるってことか。

    もう少し時間を置いてみて読み直してみないとよくわからない気がする。

    でもこの都会の深夜に蔓延る「気持ちの悪さ」こそが作者が表現しようとしたものかもしれないのだから、だとすれば少しでもその納得できない気分を長く味わってみるのも悪くないって思えてきた。

    一筋縄ではいかない小説。
    足元の小宇宙 82歳の植物生態写真家が見つめる生命
    埴 沙萠 / NHK出版 (2013-11-29)
    読了日:2015年4月25日
    何年か前にテレビ番組で著者の特集を見てたいそう感激したので気になっていたら日替わりサービスにやってきたので思わずクリックした。写真集をPapaerWhiteで読んでも仕方がないとタブレットで読んだのだけど、思わず巨大なタブレットを買いたくなったくらいに美しい写真だった。
    読了後iPhone6でも見てみたけど、これはこれで可愛らしく印象的だったけど。

    毎朝の散歩で持ち歩いてる中古で買ったNikonコンデジの取扱説明書を引っ張り出し、マクロモードでの撮影方法を会得して以来、散歩中にところかまわず寝っ転がって雑草を撮り始める始末。もちろん著者のような写真にはほど遠いけど、道ばたに驚くほど美しく、変化に満ちた世界が転がっていることを教えてくれた貴重な本となった。

    著者は妻の実家の近くに住んでるらしい。次に帰省することがあったら著者になりきって道ばたに寝転がってみようと思う。
    アウトサイダーの幸福論 (集英社新書)
    ロバート・ハリス / 集英社 (2015-02-17)
    読了日:2015年4月19日
    ラジオで聴いて買ってみた。いままでまったく知らない著者だったけどなかなか面白い人がいるもんだなあと思いながら数時間で読んだ。

    いろいろ悩みながらも体当たりでなんでも体験し、世界中の怪しい人たちとも良い感じの距離をキープしながら、常に肯定的な態度を保てるなんて人なんてなかなかいない。マッチョなだけの人にはそんなこと無理だと思うし、逆に依存的なタイプの人は継続が難しい。だいいち若い頃には何をやってもたいていうまくいかない。

    人生のある時期に、無茶をしてでも突っ走り、限界とか壁を見つけてそこからちょっと戻って来た人はとても魅力的だなあと思う。そんな自らの弱さを認めながらもけっしてそれを言い訳にしない人だけが、気持ちの良い文章を書くことができるのだ。

    ポーカー好きなだけでぶらぶらしてるらしい大学生の息子に送っておこう。
    江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
    原田 実 / 講談社 (2014-08-26)
    読了日:2015年4月19日
    ラジオに著者が出ているのを聞いて買ってみた。どこかで読んだことのあるこの感じ・・あ、と学会みたいだと確認したら著者は会員さんだった。

    自分が専門とする分野に対し、門外漢から口を挟まれるとなんだよその稚拙な陰謀論はってムキになってしまうけど、そんな自分が専門外の分野における与太話を頭から信じてしまう、なんてことはままある。もしかしたら僕だってやってるかもしれない。

    SNSに溢れる「たとえ嘘でも良い話だし今の世の中を良くできるなら良いじゃない」みたいな気色悪さはそういう危うさに無頓着な僕らが作り出しているものだと思う。

    自分の中にある常識や直感だけを使って「これは拡散しても良いのか」などと判断するのはとても困難でかつ危険だ。魅力的で容易に腑に落ちる類の話はとりあえず眉に唾つけて棚上げし、人前では話題にしない、くらいの「しぐさ」が要求される時代なのだろう現代は。


    ひとつの偽史が生み出され、流行し、否定され潜行していくさまをリアルタイムで体験できるという意味で、こういった書物の存在は大きいと思う。だからといって江戸しぐさに言及する人たちを大人げなく攻撃をするのはどうかと思う。おそらくは良い反応は得られず、むしろ逆効果だと思うからだ。

    そんな事態に直面したとき、いったいどうすれば良いのだろう。
    誰か納得できる答えを呈示してくれたら僕はそれを「平成しぐさ」とでも名付けて広く社会に普及させるためにNPOでも作ろうと思う。


    なわけない。
    人を殺してみたかった 17歳の体験殺人! 衝撃のルポルタージュ (双葉文庫)
    藤井誠二 / 双葉社 (2003-04-08)
    読了日:2015年4月19日
    以前から読んでみようと思っていたところに日替わりセールで購入。
    読み始めてすぐにこれは問題作だと思った。2000年に愛知県で起きた高校生による無差別殺人のレポートだが、タイトルに!マークがついていることに象徴されるように、より細かな真実を知りたいという人々の欲望を満たす週刊誌的な書物だと感じだからだ。

    読み進めていくうちに著者もそんな悩みをぬぐいきれずに書いていることが伝わってきた。

    この本でもっとも重要な部分は「文庫本あとがき」である。
    宮台真司、宮崎哲弥両氏のメールが特に重要だと思う。宮崎氏に至っては「常に正しすぎることこそが彼の問題だったのではないか」とまで言及している。実際のところそうかもしれない、という気にさせてしまうレポートなのである。著者の意向とは別にだが。

    病名の数だけ病気が増える、という言葉は事実である。それは医療業界の陰謀なのだなんて青臭いことは言わないけれど、これまで正常とされてきた現象に病気というネーミングを与えるとで、次の日からその現象はもはや「正常」という範囲から逸脱していく、なんてことは僕の働く業界でも日常的に起きていることだ。

    だから特に成長期の青年のしかも精神的な側面を安易に「病気」として扱うことには慎重であるべきと思う。それにこの世にいわゆるアスペルガーが存在してなかったら緻密な宗教も、美しい絵画も語り継がれる物語も天国を感じさせてくれる音楽も、そして今ぼくがこれを描いているMacだって存在しなかったはずだ。
    節ネット、はじめました。 「黒ネット」「白ネット」をやっつけて、時間とお金を取り戻す
    石徹白 未亜 / CCCメディアハウス (2014-09-18)
    読了日:2015年4月18日
    日替わセール案件。
    僕も仕事がら仕事中はほとんどずっとネットに繋がってるわけだけど、以前に比べて漫然とリンクを踏んでいくいわゆるネットサーフィンの時間は短くなってきたなあと思っていた。もう20年近くインターネットの海を漂流してきてるのだから、少しは飽きたんだろうなって自分では思っていたのだ。

    でもこれを読んでいるうちに「それは単にSNSをウロウロしてる時間に置き換えられてただけだった」ということが判明、確かにそこはしっかり自覚しておかないと漫然と歳食うだけの人生になってしまうと思いしらされた。
    白ネット、黒ネット、無害、という分け方は言われてみれなその通りで、実は僕もTwitterやFacebookはその手のリストを作っていてたまに黒いのを覗いてはモヤモヤした気分を楽しんでいたりするのです。たまにじゃないか。そんな黒い発言にも「発憤」という作用があると思っていたのだけど、それにしても時間の無駄だし、中毒性もあるし、なんといっても「発想や口調が伝染する」という副作用もありそうだし、著者が提案するように何らかの自制策を施しておくことはた大切だなあと反省いたしました。

    検索したらここに短くまとまったこの本の紹介文があったので、チラ見して「あっ」と思った人は買って読んでみると良いかもです。


    でもまてよ、それって「会議を少なくするための会議」みたいな話じゃないか(笑)
    宇宙論と神 (集英社新書)
    池内了 / 集英社 (2014-02-19)
    読了日:2015年4月18日
    Kindle日替わりセールで。最近は宗教とか神とか名のつく本ばかり薦められてる気がする。日替わりセールも個人の購入データベースを利用しているんだろうか。

    「科学」と「技術」との違い、国家・経済・宗教・欲望と科学の関係、予防原則、地上資源文明など大いに考えさせられるキーワードばかりだ。

    古代、砂漠や船上の夜空を見上げた人類はそこに神の存在を意識し、神話を生み出し啓示を受け契約を想定した。しかしそれは地域や時代ごとに様々なバリエーションが存在し、時間の流れと共に地球上でさまざまな交配が行われたが今でもまだ大きな差異を残している。特に西洋の文明開化は神の特定、否定、超越をテーマとした科学との切磋琢磨であった。しかし科学が神に追いつき追い越したと思ったらいつのまにか競争がスタートしてしまっている。

    なんて要約するとまるでスピリチュアル系の話みたいになってしまうけど、世界的な天文学者、宇宙物理学者が書いているわけで説得力に満ちあふれている。これから再読するたびに発見があることだろう。
    武器よさらば (新潮文庫)
    アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2006-05-30)
    読了日:2015年4月17日
    たくさん本を読むようになったのはここ数年であって、だからこれまで読んでいない古典は山のようにある。ヘミングウェイもこれが初体験。レマルクを読んだのなら本書も読むべきだ、とAmazonの機械書店員に言われ、素直に従った。正解だった。

    本作は「西部戦線異状なし」と同時代の第一次世界大戦を描くがドイツ側と反対のイタリア軍側に参加したアメリカ人からみた物語である。そのせいかレマルク作品とは少しばかりイメージが異なる。悲壮さが後退しむしろゴージャス感というかゆったり感すら感じさせる。実際にそんな差があったのかはわからないけど。それはそれとして西洋人はいつでもアルコールを手放さないものだなあと妙なところに感心したり。

    本作でも僕は「異常事態」と「日常」が交錯するさまに感銘を受けた。きっとそういうこことに関心が向いている時期なのだろう。戦争という非現実的な殺し合いの現場であっても出会いと恋愛が生まれ多くの生命とおなじ軽さであっけなく喪われていく。

    まるで映画を観ているように描かれる劇中であっけなく死んででいく一人一人にすべてそんな日常が積み重なっているのだと想像すると、人類の歴史の巨大さとそのあまりの無常さに陶然としてしまう。

    それはそれとしてだけど、西洋人はアルコール飲みすぎだよ!と何度も思った。
    西部戦線異状なし (新潮文庫)
    レマルク / 新潮社 (1955-09-27)
    読了日:2015年4月11日
    購読している地元紙日曜版の書評で見つけAmazonに注文した。
    僕ら日本人にとって戦争と言えばまず太平洋戦争だと思うけど、昨年暮れにイギリスに行ってみるとそれは日本だけの話なのだと感じた。ちょうど第一次大戦勃発から100年ということでロンドン市内でさまざまなイベントが行われ、多くの市民が関心を持ち続けていたように思えたからだ。

    この本を読むのは初めてだし、映画も観たことがない。文庫本を手に取り読み始めると想像に反して驚くほど読みやすいのだった。まるで誰かのブログを読んでるような感覚だ。若いドイツ人たちが、日常と前線を行き来しながら徐々に平常な感覚を壊していく様がひしひしと伝わってくる。彼らはとてもイノセンスであるけど現実は血まみれだ。周囲にあるのは飢えと死だらけが、そんな中でもちょっとした日常の楽しみまで失わうことのないよう命がけの努力をするのだ。日常とはなんてすごいのだろう。

    入院中のレワンドウスキーを妻が訪ね、主人公らに腸詰めを分ける場面にははからずも感動してしまった。本来ならこっけいなシーンなのだろうけど。でも夫婦の日常をみんなで支える戦友たちはまるで彼らの子どもたちみたいに思えたのだ。

    毒ガスや戦車や戦闘機が登場しはじめたといってもまだ19世紀的な歩兵による撃ち合いが主流だった第一次大戦は第二次大戦やその後の大量破壊戦争とはまた少し違った残酷さとそれによりかえって浮き彫りになってしまう人間性に満ちた闘いだったようだ。歴史を読む限りそこに何らかの大義があったようにも思えないのだけど、多くの犠牲に値する価値を見出していくのが後世の責任であるとも感じる。

    映画を観るべきかについてはまだ迷っている。
    私たちはどこから来て、どこへ行くのか
    宮台真司 / 幻冬舎 (2014-03-14)
    読了日:2015年4月5日
    数年前にたまたま同じタイトルで講演したことがあり、Kindle日替わりセールをみて思わずクリック。お正月休みに読み始め、たびたびの中断をはさみ読了したのはもう4月になってからだった。

    宮台氏の主張は硬質で一貫しており力強い。何ごとに対してもけっしてぶれることなく常に核心を突こうとする。Kindle画面の向こうに浮かぶのは膨大な知識と抜かりない弁術を身につけた頼りがいのあるタフな僕らのアニキってイメージだ。反面、ここまで圧倒的だと盲目的な信者をも生むのではって心配しそうになる。彼がラジオでときおりみせるお茶目な態度に接するとその不安もちょっと解消するけど。

    巻末に分厚い独特な注釈はとても重要で誰かと議論するときなどに役に立ちそうだ。それに対応するだけの記憶力があればだが。

    最後あたりにおそらくは荻上チキ氏を意識した強烈な表現が出てきてびっくりした(そういえばちょっと前にラジオに共演してやり合ってたっけ)。言論の世界だとこういうバトルもありなんだろう。そのあたりを読みながらなんとなくだが、宮台氏は村上龍的であり、荻上氏は村上春樹的だ、と感じた。

    男性的でパワフルで強く正確な言葉で実社会と直接的な関係を構築する村上龍氏と、いつも自信なさげで自分のぶれる心を心配しながらできるだけたくさんの声に耳を傾けつつも最後は自分の感性を頼りに表現を続ける村上春樹氏。僕はどちらの作品も好きだ。
    核と日本人 - ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ (中公新書)
    山本 昭宏 / 中央公論新社 (2015-01-23)
    読了日:2015年4月1日
    Twitterに流れてきて読んでみようとAmazonで。
    どこか既読感があったのは、以前読んだことのある橋本努の「自由に生きるとはどういうことか」と、同じく武田徹の「核論」のアプローチや内容と少し共通していたからだろう。

    唯一の被爆国である日本人にこそ核エネルギーを平和利用する権利があるはずだ、という時代の雰囲気について書かれた文章で思い出したのはなぜか柔道についてだった。

    たとえ大きく体格の異なる相手であっても、敵の強い力をうまく利用しさえすれば最終的に勝つことが可能、だなんてまるで武道みたいじゃないかと思ったからだ。当時としてはごく当たり前に、真剣に考えられた発想だったのだと思う。

    3.11以降、まるでかつての原発推進論者が福島を破壊した張本人であって、「いつか破綻すると分かっていながら実利を優先した」悪者であると烙印を押された感があるが、実際のところ戦後すぐの雰囲気はけっしてそうではなかった。

    本書が指摘するのは「たしかに当時はそうだったかもしれないけど、考えを修正するチャンスはたくさんあった。現に多くの大衆作品はそれらを適確に表現し、国民の多くも徐々に危機感を感じていたに違いないが、しかし政策や産業はあまりにも動くのが遅すぎた」という戦後史の一面である、と感じた。

    現代に生きる日本人に必要なことは「原子力・核さえなくせば何とかなる」という発想だけではなく、「原子力・核では見事に失敗した。もしあの時代に戻れたらどう振る舞うべきだったのだろう」という観点と、たとえば50年後の2065年に「2015年の段階でもっと真剣に考えるべきだったのに」、なんて後悔していることが実はいま進行してるんじゃないか」って冷静になる態度なのだと思う。

    そのヒントはその時代の大衆作品にもあるのかもしれない、と考えさせられた。