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5月, 2016の投稿を表示しています

熊本地震の記録-7-4月20日(水)・21日(木)・22日(金) 徐々に仕事へと復帰

2016年4月20日水曜日、次々復旧していく熊本 朝カレー(レトルト)だ 相変わらず余震は続いているようだけどもうあまり驚かなくなってきた。むしろ揺れた後すぐに「これは3だな」「いや3と見せかけといて実は2だね」みたいにニュース速報の前に震度を予想するゲームすら楽しめる余力すら出てきた感じで、それもこれも昨夜断水が回復した効果なのかもしれない。ぼくら現代人はその精神状態すら都市のライフラインに依存しているってわけだ。 東陵高校 目を覚ますと同棲状態(笑)のエイトマン親子は早くから目覚めていてすっかり元気みたいだ。もちろん柴男(13)も散歩行く気満々。昨日に続いて今朝も妻と柴男の3人で少し遠回りの散歩に出かけることにした。近所の高校を再訪してみると先日の数倍は支援物資が集まっていた。避難している人たちにずいぶん元気を与えることだと思う。 青空に旅客機が見えた 晴れ上がった空を見上げると旅客機が徐々に高度を下げ始めていた。本震翌朝以降、熊本空港はビルが使えなくなって閉鎖されていたのだけどどうやらそれも解決したみたいだ。いつもよりどこか誇らしげなジェット音を響かせながら滑走路を目指していた。こうしてあちこち傷ついた社会の骨格や血管は全速力で治癒しはじめ本来のエネルギーを取り戻そうとしているということだろう。 働く大人たち 目を降ろすとそこには飲料ジュースの自動販売機に補充する専用車とドライバーの姿があった。彼らもこの町の「あたり前」を下支えしている存在だったことに今さらだけど気づさかれる。絆や情熱、善意もありがたい。でも普通に働いている大人たちが普通の仕事を回復し、続けることこそが街のエンジンの始動キーになるのだと思った。 僕は散歩 で、僕は何をしているかっていうと、散歩なわけだ。みんな一生懸命なのに僕らだけこんなんでいいのだろうかって思えてきた。僕の仕事はサーバーの管理とか文書のスキャンとかメルマガ書いたりとか、とにかく目の前の何かを動かして汗をかくような感じじゃないので今すぐできることはあんまりない。夫婦でそんな話をしたけど、まずは車中泊を強いられてる赤ん坊やその両親にうちでゆっくりしてもらうことが今僕らにできることだよね、という結論になった。絆も大事だけど縁はもっと大切だと思ったからだ。 夕方か

熊本地震の記録-6-4月19日-4日ぶりのお風呂、深夜にはついに水が戻った

2016年4月19日火曜日  近くの公園には炊き出しや消防車  昨夜飲み過ぎたせいか6時台に目が覚めてしまった。エイトマンのママはもっと早く起きて近所を散歩してきたらしい。車中泊と違ってぐっすり眠れたと言ってくれたので僕らも安心した。小さな子どもや病人、老いた人とともに避難生活を続ける人たちの苦労は計り知れない。というか僕らには想像することしかできない。被災地にあって被災していない僕らにできることはこれくらいしかない。 ずっと続く災害ゴミ  簡単な朝食の後、僕ら夫婦で散歩に出ることにした。別の友人より1kmほど歩いた先にある温泉施設が稼働していることを聞いたからちょこっとお風呂にでも行こうかと。その間エイトマン一家には留守番してもらうことにした。ズンズン歩いているとどこもかしこもブロック塀、壁、屋根瓦などが壊れている。そして塀の回りにはずっと災害ゴミの列が続いているのだった。一見無事そうに見える住居であっても家の中ではたくさん落ちて壊れたりしているのだろう。ほとんど壊れてなさそうな電化製品や楽器も多く見かけた。こちらは「もう無くても良いか」って地震を機に判断されたモノじゃないかなと感じた。働いて得たお金でモノを買う。それは働いて幸せを得ることとほとんど同義だったはずだ。でも二度の地震が人々の心の中にあったそんなリンクを切ってしまったのだと思う。GDPや企業の成長にとっては悪夢だけど、それはいつか来る未来だったのかもしれない。きっと悪いことばかりではない。収集する方は大変だと思うけど。 温泉施設には長蛇の列  温泉施設に歩く間にもあちこちから電話がかかってきて対応に追われた。ゴミの間を歩きながらイヤフォンで喋り続ける不審男。そうこうするうち温泉施設に到着、見上げると長大な列ができている。男は並ばず入れたよという事前情報を元に番台に尋ねてみるとたしかにそうらしい。しかし女性客は並ぶしか無いとのこと。妻に伝えると「私はいいから入ってきなよ」というので、ほならすんませんけど、ということで自販機でチケット購入、まったく並ぶこともなく実に4日ぶりに入浴することができた。爺さんから小さな子どもまで笑顔に溢れている浴場に首まで浸かりながら、こんな気持ちの良い風呂はめったにあるもんじゃない、なんて鼻唄気分に。 近所の食堂が炊きだし  風

熊本地震の記録-5-4月18日月曜日は仕事を再開、夜はお泊まり会

2016年4月18日月曜日 月曜の朝というのに静かな道路 月曜日の朝、最初の地震からは5日目の朝ということになる。エクアドルで起こったM7.8地震のニュースに驚く。地球の裏側と言えば遠いけど太平洋の向こう岸という見方をすれば隣国なわけで日本国は熊本地震の直後であっても、いやだからこそエクアドルへの支援を惜しまないでほしいと思った。それが地震国の気概であり矜持のはずだし、その行動や信念は熊本の被災者をも勇気づけることにちがいない。 バスやタクシーが戻って来た そんなことを考えながら朝の散歩へ。月曜にしては静かな道路だ。雨が降りそうなので少し足早に歩いていると僕らの後ろから都市バスとタクシーが追い抜いていった。なぜかほっとする。道路という血管に血が通ったような気がしたからだ。傷ついた組織に近隣から赤血球満載の血液が送り込まれプロの職人やボランティアに擬した白血球がやってくるとそこは活発すぎるエネルギーに発赤し発熱し、いつしか治癒していく、そんなイメージが僕の頭の中をよぎっていった。 コンビニ前でおどける柴男 交番前のコンビニに近づくと時間を限定して開店するとの張り紙があり、まだ開店まで2時間以上あるのにドアの前には若い女性が二人並んで待っていた。雨が降りそうだから大変ですよね、と話しかけるとひとりの女性が柴男を指さして笑い始めた。どうしたんだろうと見下ろすとソーセージのビニール袋をくわえているではないか。子犬の頃はよくやったものだけど珍しいな、彼なりにおどけて見せてるのかなと僕もおかしくなって一緒に笑った。幸い雨はまだ降り出しそうにない。 インスタント味噌汁+納豆 自宅に戻り、断水対策にとお皿をラップで包んだ朝ご飯をとる。月曜日だから仕事をしないとね、と仕事場に上がると9時を回った頃からお見舞いの電話やメールが続々と届き始めた。地震当時の経緯やその後の状況をなんども説明するうちだんだんと要領が良くなってきて、短い時間で笑いを取れるレベルまでスキルを上げてしまった。 本震の発生時刻 相変わらず余震は続いている。やはり2階の方が1階より揺れを大きく感じる。2階部分が木造のせいかもしれないけどミシッと軋む音が携帯の速報よりも速く届くのだ。散らかった本や書類を整理した妻が「ほらこれ見て」と時計を持ってきた。最

熊本地震の記録-4-2016/4/17日 嵐は去りご近所を見て回る

2016年4月17日 日曜日 明け方の空、風はまだ強い まるで泣きっ面に蜂のような轟々とした暴風をBGMに僕らは酒の助けもあって数日ぶりにぐっすり眠れた。やはり寝室の窓に目張りしたりした強化策の安心感だろう。これから家を建てる人は雨戸つけるとよいです。あるいは最初からシェルター作っておくか。 みるみるうちに青空が広がった 夜が明ける前に目を覚まし、玄関から外を眺めるとまだ強い風が残っていた。雨はほとんどやんだようだ。もう一度寝て、今度は9時頃二階に上がると夜の嵐が嘘のように晴れていた。一つの山を越えた感じ。 バスタブが給水槽だ 前震の後にすぐ貯めておいた風呂の水が僕らのもう一つの生命線だ。断水中に手を洗ったりトイレを流したりしてるのに重宝している。その間にもさまざまなノウハウが蓄積されていくのだ。トイレの流し方とか。飲み水や調理には買い置きのミネラルウォーターが活躍し、米もインスタント食品もそこそこあるのでこのまま家に籠もりっきりでも僕ら夫婦と犬はあと数日間生きていけるだけのリソースがある。 下宿スタイルラーメン 二階に上がり窓を開けて裏手の駐車場を見下ろすとそこにはオートキャンプ気分で車中泊しているひとりのおじさんがいた。何やら美味しそうな光景だ。早朝からコンロでお湯を沸かしラーメンを作っているのだった。おい、二階に上がってこいよ、これ見てみなよ、なんだか楽しそうじゃないか、キャンプみたいだよ、と僕は妻に声を掛けすっかり気分が高揚した僕らは彼に倣って朝ラーメンをこしらえることにした。水が出ないので鍋から直接食べる学生下宿仕様だ。しかもなぜか立ったまま食べるという流儀。おにぎりに冷蔵庫に残ってた苺を併せてなんという贅沢な朝食だろう。美味しかった。 漠然と人々が並ぶ 午前10時、夫婦で近所の見回りがてら散歩に出かけることに。自宅より東側の方が益城町に近いので被害が大きいのかもしれないと戸島方面に歩き始めた。少し歩き始めただけで僕らの住んでいる地区の被害の小ささを思い知らされることとなった。昨年オープンしたばかりのディスカウントショップはまだ開店してなかったようだけど店の前には長い列ができていた。何ごとだろうと並んでいる方に尋ねてみると、いやみんなが並んでいるので開くんじゃないかなと思って、という返事だった

熊本地震の記録-3-2016/4/16土 本震から一夜明けた土曜日

すさ2016年4月16日土曜日、本震翌日 しばらくはおにぎり生活 けっきょく明るくなるまでほとんど寝ていなかったように思う。思う、というのは記憶が曖昧だからだ。極度の興奮状態にある人間は火事場の馬鹿力も出せるけど一方で記憶を欠落させたりもするらしい。炊飯器の中にはたくさんご飯があったのでとりあえずおにぎりにしてもらう。断水してしまったからだ。でも妻に聞くと数日前になぜかしら無洗米を買ったばかりだという。しかもミネラルウォーターの買い置きがこれまた大量にあるのだと。先日南三陸に旅行したばかりの妻は日ごろと違う行動を取っていたらしい。なんという幸運だろう。つまりしばらくは白米三昧の暮らしができるってわけで米穀原理主義の僕的には最高だ。 税理士事務所の窓が割れ落ちていた 明るくなったので二人してご近所の見回りに出かける。方々でガラス窓が割れていたりブロック塀が見事に倒壊していたりした。こうしてみるとうちなんか圧倒的に被害が少ないらしいことがわかる。ちょっとした断層の位置なのだろうか。これまた奇妙なほどの幸運だ。ご近所さんは早くから井戸端会議に忙しい。いつもはそんなに仲良く盛り上がってイベントやるって感じでもない地区だと思うけど、非常時の団結は一級品だ。 朝の通りを歩いてみる 通りに出てみると、瓦屋根や塀が崩れた家とほとんど被害を受けていない建物が入り交じっていることが判る。耐震や免震構造、建築時期なども関係しているに違いない。電力は落ちてないことから信号機が機能しており、被災地感はさほどでもない。強い台風の翌朝と言われたらそんな気がするくらいだ。僕らはiPhoneでNHKラジオを聴きながら、ゆれくるがなる度に壁や空の電線を見渡しては広い場所に立ち止まるといったいつもとは違うスタイルで朝の散歩を終了した。 さすがの老犬も怯えたか 家に戻っても余震は続いていた。今年13歳になった柴犬氏はそれほど怯えている風でもなかったけど、やはり人間が大声を出したり怯えた表情をするとそれを敏感に感じるのだろう。いつもより人なつっこくなっているようだ。 しばらく家で休んでいたけどテレビのニュースばかり見ていても仕方がないと感じたし、かといって眠くなるわけでもないので今度はひとりで近所を回ってみることにした。 朝早くから片付けをする人々