2016年5月30日月曜日

熊本地震の記録-7-4月20日(水)・21日(木)・22日(金) 徐々に仕事へと復帰

2016年4月20日水曜日、次々復旧していく熊本

朝カレー(レトルト)だ

相変わらず余震は続いているようだけどもうあまり驚かなくなってきた。むしろ揺れた後すぐに「これは3だな」「いや3と見せかけといて実は2だね」みたいにニュース速報の前に震度を予想するゲームすら楽しめる余力すら出てきた感じで、それもこれも昨夜断水が回復した効果なのかもしれない。ぼくら現代人はその精神状態すら都市のライフラインに依存しているってわけだ。
東陵高校
目を覚ますと同棲状態(笑)のエイトマン親子は早くから目覚めていてすっかり元気みたいだ。もちろん柴男(13)も散歩行く気満々。昨日に続いて今朝も妻と柴男の3人で少し遠回りの散歩に出かけることにした。近所の高校を再訪してみると先日の数倍は支援物資が集まっていた。避難している人たちにずいぶん元気を与えることだと思う。

青空に旅客機が見えた
晴れ上がった空を見上げると旅客機が徐々に高度を下げ始めていた。本震翌朝以降、熊本空港はビルが使えなくなって閉鎖されていたのだけどどうやらそれも解決したみたいだ。いつもよりどこか誇らしげなジェット音を響かせながら滑走路を目指していた。こうしてあちこち傷ついた社会の骨格や血管は全速力で治癒しはじめ本来のエネルギーを取り戻そうとしているということだろう。

働く大人たち
目を降ろすとそこには飲料ジュースの自動販売機に補充する専用車とドライバーの姿があった。彼らもこの町の「あたり前」を下支えしている存在だったことに今さらだけど気づさかれる。絆や情熱、善意もありがたい。でも普通に働いている大人たちが普通の仕事を回復し、続けることこそが街のエンジンの始動キーになるのだと思った。
僕は散歩

で、僕は何をしているかっていうと、散歩なわけだ。みんな一生懸命なのに僕らだけこんなんでいいのだろうかって思えてきた。僕の仕事はサーバーの管理とか文書のスキャンとかメルマガ書いたりとか、とにかく目の前の何かを動かして汗をかくような感じじゃないので今すぐできることはあんまりない。夫婦でそんな話をしたけど、まずは車中泊を強いられてる赤ん坊やその両親にうちでゆっくりしてもらうことが今僕らにできることだよね、という結論になった。絆も大事だけど縁はもっと大切だと思ったからだ。

夕方からはSkypeで東京のビジネスパートナーとミーティングを1時間ほど。その後ODMLサーバーに大量の文書をアップし、事務局やってる勉強会の新規加入者をFacebookグループで紹介したりと日常業務に戻った。夜は久々に僕らだけとなったのでインスタントピザで軽く食べた。上水道は水量こそ回復したけどまだ濁った状態なのでお風呂はまだシャワー。



2016年4月21日木曜日、残念なSNS、またも暴風雨、今宵もお泊まり会


小学校の朝
午後からまた大雨が来るというので早めに散歩に出かけた。近所の小学校に入ると朝食の時間なのか支援食糧の配給が行われていた。きっと教職員や行政の方だと思うけど自らも被災者なのに大変だと思う。僕らもなにか手伝いたいと思うのだけど。昨日までクルマで埋まっていた運動場はもうガランとしていて日中はみな仕事に出かけているみたいだ。きっとみんな自販機を補充したり飛行機を運転したりしてるんだ。
また雨が降り始めた
家に戻ってネットを徘徊しているとちょっと気になる発言を見つけて驚いた。ちょっとあんまりだと思ったので反論を書いておいたらすぐに反応があり30分ほどやり取りが続くことになった。どう考えてもすべてが間違っているとしか思えなかったので(言葉は丁寧にしたつもりだけど)、とっちめておいた。発言は撤回させたけどたぶん謝罪まではしないだろう。みんな気が立ってるのは分かるけど、流言やデマを善意のオブラートに包んで広めるのは良くないことだし、それに異を唱えた者を公開で罵倒することも許されるべきでない。まして被災していない海外から空襲を受けるんだからたまったもんじゃない。ネットは便利だけどやたらと興奮するとノイズが増えて本来の役目を果たせなくなる。それ以上に副作用が拡がり収集つかなくなってしまう。まあ僕も熱くなってしまった一人なのは間違いないんだけど。

納戸シェルターも万一に備えて整備
正午を過ぎる頃から次第に雨が強くなってきた。二階の仕事場が揺れを感じるほどの風も吹き始めている。隣家の二階に大きなひび割れを見つけ、大きな余震と雨風で崩れ落ちたりしないか心配になる。小さな余震は立て続けに発生しておりその都度仕事場には軋むような音が響き渡る(二階部分は木造なのです)。向かいの家の屋根に張られたブルーシートが強風に吹き飛ばされそうになっている。大雨警報はもちろん、一部地区には避難勧告も発令されたようだ。僕らは一階に下りて仕事を続けることにした。

15時を過ぎると雨風はだいぶ弱くなってきた。お風呂ボイラー用の灯油を補給しないと、とクルマに乗って近くのスタンドに出かけた。少し足を伸ばしてドラッグストアにも立ち寄る。天井の一部が崩落してたりはしたけどもう通常営業が復旧されていて、そして驚いたことに店内には以前と変わらぬかそれ以上に豊富な商品で満杯だった。販売価格も通常と変わらない。行列も全くない。いたって普通に商品が流通し、販売されていることに僕らは心底驚いてしまった。通常と違うところはレジでペットボトルのお水を2本、無料で配っていたことくらいだ。

エイトマンと柴男
道路事情が徐々に回復しつつあるいま、全国からの支援物資は今後ますます熊本県内に届き始めることだろう。無料の商品が県内に行き渡るということは、一方で長期的には地域経済を担う流通業に打撃を与えることになりはしないかと少し心配にもなってきた。流通や販売を担う人たちもまた県内の人間で被災者そのものである確率も高い。被災直後には命さえ左右する大切な支援物資だけど、効果が大きいということはその副作用もまた大きくなってしまう可能性がある。そのバランスと調整はとても難しい。今朝のネット問題となにか共通するイシューがあるのかもしれない。

夜はまたエイトマン一家がやってきて楽しく宴会。みな手に手に楽器を持ち、唄い、踊り、食べ、飲んで血の巡りをよくするのだ。


2016年4月22日金曜日、メルマガ発行、納戸シェルターに寝泊まり

初めての離乳食
朝起きるとプリンスが死んだらしいとのニュース。そこまでのファンじゃなかったけどこないだ西寺郷太氏の著書を読んだばかりだったから少しショックだった。57歳か。彼はジミヘンと同じく27歳で天に呼ばれるところを30年間この世に留まって曲を創りまくってのかもしれない、と思うことにした。ベッドを出るとすっかり天気は回復していた。

松井社長有り難う
エイトマンは朝の食卓で人生初めての離乳食を口にした。本人は思い出すことなんてないだろうけど、そんな日が僕らの家のキッチンだったなんてなんか面白いよね、とみんなで盛り上がる。いつの日か彼がプリンスみたいな偉大なミュージシャンにならないとは限らない。その時はどこかの国からやってきた取材陣に僕らが今朝の話をするってわけだ。

彼らが部屋の片付けにとアパートに戻ったあと、別府の社長が支援物資ですと野菜を持ってやってきてくれた。流通のほとんどは回復したけれど、日配食品はまだまだ店頭にないわけで、野菜不足気味だった僕らは多いに喜んだ。別府や大分の被災状況、熊本までの道路事情などいろいろ教えてもらうこともできた。

小学校に自衛隊
お昼過ぎ、また散歩に出かける。昨日いった小学校には自衛隊の車両が多数出入りしていた。熊本は昔から軍都である。それこそ熊本城の時代から。この小学校から歩いてすぐには陸上自衛隊健軍駐屯地もあるので朝晩は迷彩服姿で自転車漕いで通勤している人がたくさんいるような土地柄だ。ネットでは自衛隊の活躍を賛美する人から危険視する人までいろいろだけど、現地にいるとこの光景も日常の延長線上でしかない。
女子高生に大人気
校庭をぶらぶらしていると女子高校生たちに柴男がもみくちゃに可愛がられるという嬉しい事案発生。聞けば彼女たち学校が休校なので自発的に避難所の手伝いに来ているという。近ごろの若い連中にはまったくもって頭が上がらない。僕が高校生の頃ならボランティアなんて思いもつかなかったことだろう。大人たちの過剰な心配をよそにこの世の中は随分とだいじょうぶ、なんだな。

すっかり車の減ったグランド
グランドでは給水車の横で自衛艦が暇そうに時間を持て余していた。帰り道にはこの小学校で息子の同級生だった仲良し家族を訪ね、お互いの無事を確認したり。子だくさんの彼女の末っ子がにこにこ近づいてきたけどまったく分からなかった。だってこないだまで幼稚園児だったのに今や190センチのバレー選手なんだもの。
道に溢れる災害ゴミ
日増しに増えていく路肩の災害ゴミを眺めながら家路につく。これだけのゴミがあるってことは、直前まで各家のどこかに置いてあったってわけで、そのひとつ前の段階ではどこかの物流センターに置かれてて、そのまたひとつ前ではどこかの国の工場で組み立てられたり原料が精製されてたりしたわけで、なんて考えてしまう。
中には災害ゴミとは関係なさそうなブラウン管テレビなんてのも並んでいるけど、それだってこないだまでは家族の宝物だったかもしれない。
この物体を買えば幸福になれると誰もが信じたはずなのに今や無縁墓地の墓標みたいな扱いの黒箱やビニール袋を見ていると、なんだか信じていた夢から醒めてしまうのではないかって気がした。高度消費社会という夢。自由主義資本主義という宗教。次に僕らが何か気の利いた物体を欲しくなったとき、必ずそれを捨てるときにシーンを思い浮かべてしまうんじゃないかって。
いかんいかん、そんなことしたら僕らの共同幻想はぱらぱらと崩れ落ち日本経済はますます停滞してしまうぞ、僕の商売だってどうなるかわかったもんじゃないぞ、と危機感を募らせたりしつつも一度見てしまった夢の裏側はもう一生脳裏から離れることはないのだろう。

家に戻るとまた仕事。今月号のメルマガを書いて業界人に発信した。いつもよりレスポンスが良くて「元気そうで安心した」なんて返事をたくさんいただいた。こういう時期だからこそ特別ではないことを継続することにも意義があるのだと思った。ちょっと言い訳がましいんだけど。夜は今日も納戸シェルターで寝る。そんなに危険があるとは思えないんだけど、非日常感、特別感があってつい。ってなんか書いてることが支離滅裂だ。

2016年5月22日日曜日

熊本地震の記録-6-4月19日-4日ぶりのお風呂、深夜にはついに水が戻った

2016年4月19日火曜日 

近くの公園には炊き出しや消防車
 昨夜飲み過ぎたせいか6時台に目が覚めてしまった。エイトマンのママはもっと早く起きて近所を散歩してきたらしい。車中泊と違ってぐっすり眠れたと言ってくれたので僕らも安心した。小さな子どもや病人、老いた人とともに避難生活を続ける人たちの苦労は計り知れない。というか僕らには想像することしかできない。被災地にあって被災していない僕らにできることはこれくらいしかない。

ずっと続く災害ゴミ
 簡単な朝食の後、僕ら夫婦で散歩に出ることにした。別の友人より1kmほど歩いた先にある温泉施設が稼働していることを聞いたからちょこっとお風呂にでも行こうかと。その間エイトマン一家には留守番してもらうことにした。ズンズン歩いているとどこもかしこもブロック塀、壁、屋根瓦などが壊れている。そして塀の回りにはずっと災害ゴミの列が続いているのだった。一見無事そうに見える住居であっても家の中ではたくさん落ちて壊れたりしているのだろう。ほとんど壊れてなさそうな電化製品や楽器も多く見かけた。こちらは「もう無くても良いか」って地震を機に判断されたモノじゃないかなと感じた。働いて得たお金でモノを買う。それは働いて幸せを得ることとほとんど同義だったはずだ。でも二度の地震が人々の心の中にあったそんなリンクを切ってしまったのだと思う。GDPや企業の成長にとっては悪夢だけど、それはいつか来る未来だったのかもしれない。きっと悪いことばかりではない。収集する方は大変だと思うけど。

温泉施設には長蛇の列 
温泉施設に歩く間にもあちこちから電話がかかってきて対応に追われた。ゴミの間を歩きながらイヤフォンで喋り続ける不審男。そうこうするうち温泉施設に到着、見上げると長大な列ができている。男は並ばず入れたよという事前情報を元に番台に尋ねてみるとたしかにそうらしい。しかし女性客は並ぶしか無いとのこと。妻に伝えると「私はいいから入ってきなよ」というので、ほならすんませんけど、ということで自販機でチケット購入、まったく並ぶこともなく実に4日ぶりに入浴することができた。爺さんから小さな子どもまで笑顔に溢れている浴場に首まで浸かりながら、こんな気持ちの良い風呂はめったにあるもんじゃない、なんて鼻唄気分に。

近所の食堂が炊きだし
 風呂を出て妻に電話すると向かいのコンビニにいるという。なんと駐車場に座ってビール飲んでた。暇つぶしにコンビニに入ってたらちょうど配送トラックがやってきてお弁当やおにぎりなどが入荷したらしい。脊椎反射的に焼きそばとビールを鷲づかみした妻を褒めて良いものか分からないがとりあえず昼飯はこれだなと家に戻ることにする。するとエイトマン一家から「知り合いの家に支援物資を取りに行くことになったので一緒に行きましょうか」という電話、近くで待ち合わせすることに。歩いていたら角の食堂が無料炊き出しを始めていた。頭にタオルってこういう時に格好良いなあ、俺たちも炊きだし食べてみたいなあと思ったけど焼きそば弁当持ってるのでまたの機会に。

民間支援物資
 友人一家と再会し彼らの車で益城町の民家に行くとそこは地元では有名な三味線ミュージシャンT氏の実家で、全国からの支援物資仕訳をしてるところだった。エイトマンパパはプロのミュージシャンなのでこのあたりの人脈では顔らしく、赤ん坊グッズ(ミルクとか紙おむつとか)を受け取っては誰々は大丈夫だった〜なんて情報交換していた。そういえば5年前の今ごろ僕は縁あって南相馬で同じような仕訳作業してたことを思い出した。まさか5年後に自分が被災地に住んでるだなんて想像もしてなかったけど。
渋滞が続いていた
 帰り道、エイトマン一家のアパートに寄ることにした。うちから歩いて行ける距離だけど、やはり平屋と高層階ではまったく様相が異なっており、部屋の中はちょっと手が付けられないほどの破壊されっぷりだった。それにしてもよくぞ生きてたなあ、というのが実感。これじゃ車中泊するしかないと僕もそう思った。ちょうど大分からインターネット回線業者さんが来ていて復旧作業を行っていた。気持ちの良い若者たちだった。大分も地震で大変なのに帰ることもなく熊本の復旧に回っているという。家で眠れない人たちで溢れている。

高層マンションはさぞ揺れたことだろう
 7階まで上がってみた。住み慣れた町を見下ろすとブルーシートで真っ青だった。かといってそれだけで珍しいわけではない。毎年やってくる台風の中には凶暴なやつも混じっていて、数年に一度は屋根の景色が真っ青になることがあるからだ。でも今回の地震は台風と違って、いつ次の号がやってくるか分からないし、秋が過ぎても冬が過ぎてもやってくるかもしれないという性格を抱えている。適切な喩えとは思えないが、そんなところだけは5年前の福島原発への不安感に少しだけ似ているのかもしれない。
大きな施設は復旧が大変
 何件か取引先の歯科医院に顔を出してみようと自分の車に乗りかえて出かけることにした。まずホームセンターに行って洗濯機用の給水パイプを入手。知り合いの歯科医院の二階に設置していた自動洗濯機が本震時に倒れたらしいのだけど、断水解消とともにはずれたパイプから大量に水が出てしまい朝病院に来たら室内だけ水害被害に遭ったという話を聞き、とりあえず僕が対処することになったからだ。

このホームセンターも他のショッピングセンター同様、店内は立ち入り禁止だった。大きな商業施設はどこも天井や壁が崩落したりして再開できずにいる。平屋でコンパクトなコンビニがすぐに仕事を始めたのとは対照的に。それでも店員さんはいつもと変わらず物知りかつ親切でてきぱきと対応してくれた。部品をもって歯科医院にいくと院長やスタッフが笑顔で迎えてくれ、やっぱり地震の時にどうだったかなんて話に花が咲く。30分ほどで修理を終え、次に訪れた歯科医院ではちょうど院長一家が避難先から戻って来たところでこちらもひとしきり苦労話。三軒目は不在だったため今日はこれくらいにしとこうかと家に戻った。
夜になれば乾杯
 そして家に戻ると今宵も大宴会なのであった。昨日に比べるといくつか食べ物も増え、どこからか調達してきた酒類も増え、笑顔も増え、僕らは昨夜に負けぬ大騒ぎを始めた。エイトマンもギターや打楽器を持たせられると器用にリズムを刻み始める。僕が唄えば彼も何かしら声を出してくれて、この子がいつか世界的なミュージシャンにでもなる日が来たら「ヤツを鍛えたのは俺だけどな」とか言えるのかも、なんて。

20時47分、八代市で震度5弱を記録する余震が発生、すぐさまLINEグループで実家の無事を確認できたのだがしばらくはテレビのニュースに注意することになった。ここには友人家族が一緒にいてくれるし、八代の両親二人もこうしてSNSで繋がっているのだから先週のような「このあとどうなるんだろう」みたいな不安感は、ない。もうこれから何がこようと俺たちはやっていけるんじゃないかなって妙な自信がよぎっていた気がする(酒のせいかもしれない)。

断水が回復した
 そして21時を少し回ったとき、ご近所主婦より妻の携帯に電話が届き「うちは水が出たよ!」との報せ。恐る恐る蛇口を捻ると・・・・おおっ、ちょろちょろゴボゴボだけど水がでたー。まだ濁っていて飲めそうにないけど、この高揚感って何だろう。冷静に考えてみると断水してたのは僅か4日間に過ぎない。それでも僕らはまるでマッドマックス4みたいに水を崇めその魔力に傅くのであった(大げさか)。僕らはますますGetting Better!って感じになってきた。

僕らは仲良し
昼の温泉施に入り損ねた妻はとにかくシャワー浴びてみると浴室に向かっていった。僕らはもう飲めないくらい飲んでるのにまた新しい缶ビールを開けてさっぱりした妻と乾杯の気勢を上げてギター弾いたりコンガを乱打したりしている。ふと和室を見るとエイトマンと柴男が10年来の友人のごとく仲良くいちゃついているのだった。

9年前にこの家を建てた時、自分たちの収入にしては贅沢に過ぎる気もしたし、同世代の設計士さんときたら現場の職人さんから「基礎のふとかー、柱・筋交いも多かねー」とか言われ続けてたくらい頑固な男で費用も激安とは言えなかったけど、こうして今回の地震の後に小さなオアシスになれたことですべて報われた気がしない?なんて夫婦でひそひそ話し合ったことをよく憶えている。

2016年5月21日土曜日

熊本地震の記録-5-4月18日月曜日は仕事を再開、夜はお泊まり会

2016年4月18日月曜日


月曜の朝というのに静かな道路
月曜日の朝、最初の地震からは5日目の朝ということになる。エクアドルで起こったM7.8地震のニュースに驚く。地球の裏側と言えば遠いけど太平洋の向こう岸という見方をすれば隣国なわけで日本国は熊本地震の直後であっても、いやだからこそエクアドルへの支援を惜しまないでほしいと思った。それが地震国の気概であり矜持のはずだし、その行動や信念は熊本の被災者をも勇気づけることにちがいない。

バスやタクシーが戻って来た
そんなことを考えながら朝の散歩へ。月曜にしては静かな道路だ。雨が降りそうなので少し足早に歩いていると僕らの後ろから都市バスとタクシーが追い抜いていった。なぜかほっとする。道路という血管に血が通ったような気がしたからだ。傷ついた組織に近隣から赤血球満載の血液が送り込まれプロの職人やボランティアに擬した白血球がやってくるとそこは活発すぎるエネルギーに発赤し発熱し、いつしか治癒していく、そんなイメージが僕の頭の中をよぎっていった。
コンビニ前でおどける柴男
交番前のコンビニに近づくと時間を限定して開店するとの張り紙があり、まだ開店まで2時間以上あるのにドアの前には若い女性が二人並んで待っていた。雨が降りそうだから大変ですよね、と話しかけるとひとりの女性が柴男を指さして笑い始めた。どうしたんだろうと見下ろすとソーセージのビニール袋をくわえているではないか。子犬の頃はよくやったものだけど珍しいな、彼なりにおどけて見せてるのかなと僕もおかしくなって一緒に笑った。幸い雨はまだ降り出しそうにない。

インスタント味噌汁+納豆
自宅に戻り、断水対策にとお皿をラップで包んだ朝ご飯をとる。月曜日だから仕事をしないとね、と仕事場に上がると9時を回った頃からお見舞いの電話やメールが続々と届き始めた。地震当時の経緯やその後の状況をなんども説明するうちだんだんと要領が良くなってきて、短い時間で笑いを取れるレベルまでスキルを上げてしまった。

本震の発生時刻
相変わらず余震は続いている。やはり2階の方が1階より揺れを大きく感じる。2階部分が木造のせいかもしれないけどミシッと軋む音が携帯の速報よりも速く届くのだ。散らかった本や書類を整理した妻が「ほらこれ見て」と時計を持ってきた。最初は意味が分からなかったけど、この止まった時間はまさに16日未明の本震発生時刻だった。本棚に置いてたので2mほど落下した時点で壊れてしまったらしい。電波時計だから秒単位で正確だよね、と記念に写真を撮っておいた。


夕方の町を走る
歯科医師会から電話があり、夕方に災害対策会議を開催するので顔出してくれないかとのこと。そういえば組合長だったっけ。渋滞を見込んで2時間近く前に家を出て歯科医師会館へ向かう。考えたら西の方向(街中方面)に向かうのは地震後初めてだ。予想通り道路は渋滞でちっとも進まない。だんだんと日が暮れていき、美しい夕焼け空を背景に微妙に曲がってしまった電柱や看板が一種異様な雰囲気を醸し出していた。

災害対策会議に参加
2時間半ほどの会議は東京の日歯と動画中継も行われ、会員の被災状況や今後の避難所での口腔ケア対応や物資輸送について念入りに話し合われた。僕も歯科器材店組合の立場で組合員の被災状況と今後の支援手段について発言したり。終了後は時間が遅かったせいかほとんど渋滞もなくスムーズに自宅に戻ることができた。もう22時半を回っている。


家に入るとそこは盛大な宴会場と化していた。ずいぶん前からバンド関係でつきあいのある0歳児と愛犬を抱えたミュージシャン夫婦とのお泊まり会を企画していたのだ。彼らの住む近くのアパート4階の部屋は天井がおちたり熱帯魚の水槽が破壊されるなどの壊滅的な被害を受け、余震も続いていることからずっと車中泊が続いていると聞き、だったらほとんど被害を受けていない僕らの家でゆっくり眠ってくださいなってことになったのだ。
それにしても大人たちは皆極度の飲兵衛かつ音楽ジャンキーであってとりあえずあるだけのビールやワイン、即席ラーメンやおにぎりなどでまるで学生ノリの宴会となっており、途中参加の僕も乗り遅れてはいけないと急ピッチで飲み始め、持ち込まれた高級ギターを掻き鳴らしては飲めや唄えの大宴会、午前1時を過ぎるまで余震を忘れての大騒ぎをしてしまった。いかなるときも常に笑顔の0歳児「エイトマン」には始終癒されっぱなしで僕ら夫婦はまるで孫を得た老夫婦のごとく大喜びの大はしゃぎ。柴男といえば友達犬のジャン君には見向きもせずにエイトマンにずっと寄り添ってすっかり親代わりになっていたのでした。

熊本地震の記録-4-2016/4/17日 嵐は去りご近所を見て回る

2016年4月17日 日曜日

明け方の空、風はまだ強い
まるで泣きっ面に蜂のような轟々とした暴風をBGMに僕らは酒の助けもあって数日ぶりにぐっすり眠れた。やはり寝室の窓に目張りしたりした強化策の安心感だろう。これから家を建てる人は雨戸つけるとよいです。あるいは最初からシェルター作っておくか。

みるみるうちに青空が広がった
夜が明ける前に目を覚まし、玄関から外を眺めるとまだ強い風が残っていた。雨はほとんどやんだようだ。もう一度寝て、今度は9時頃二階に上がると夜の嵐が嘘のように晴れていた。一つの山を越えた感じ。

バスタブが給水槽だ
前震の後にすぐ貯めておいた風呂の水が僕らのもう一つの生命線だ。断水中に手を洗ったりトイレを流したりしてるのに重宝している。その間にもさまざまなノウハウが蓄積されていくのだ。トイレの流し方とか。飲み水や調理には買い置きのミネラルウォーターが活躍し、米もインスタント食品もそこそこあるのでこのまま家に籠もりっきりでも僕ら夫婦と犬はあと数日間生きていけるだけのリソースがある。

下宿スタイルラーメン
二階に上がり窓を開けて裏手の駐車場を見下ろすとそこにはオートキャンプ気分で車中泊しているひとりのおじさんがいた。何やら美味しそうな光景だ。早朝からコンロでお湯を沸かしラーメンを作っているのだった。おい、二階に上がってこいよ、これ見てみなよ、なんだか楽しそうじゃないか、キャンプみたいだよ、と僕は妻に声を掛けすっかり気分が高揚した僕らは彼に倣って朝ラーメンをこしらえることにした。水が出ないので鍋から直接食べる学生下宿仕様だ。しかもなぜか立ったまま食べるという流儀。おにぎりに冷蔵庫に残ってた苺を併せてなんという贅沢な朝食だろう。美味しかった。

漠然と人々が並ぶ
午前10時、夫婦で近所の見回りがてら散歩に出かけることに。自宅より東側の方が益城町に近いので被害が大きいのかもしれないと戸島方面に歩き始めた。少し歩き始めただけで僕らの住んでいる地区の被害の小ささを思い知らされることとなった。昨年オープンしたばかりのディスカウントショップはまだ開店してなかったようだけど店の前には長い列ができていた。何ごとだろうと並んでいる方に尋ねてみると、いやみんなが並んでいるので開くんじゃないかなと思って、という返事だった。そういえば似たような話を5年前にも耳にしたことがあった。
スタンドには平常が戻る

しばらく歩くとガソリンスタンドに出た。昨日見られた給油渋滞はどこにもなかった。しかもガソリンの販売価格は地震の前と変わっていないようだ。被災地へのガソリン供給について業者間の協定が結ばれたと言うニュースを思い出した。きっとその成果なのだろう。この国は本来の意味での資本主義ではない気がした。そしてそれはひとつの希望なのかもしれない。

レンタルショップも閉店
この散歩の目的のひとつは妻が借りていたレンタルDVDと漫画本をGEOに返すことだったのだけど、想像通りお店は閉まったままだった。きっと棚からディスクや本が崩れ落ちて大変なことになっているのだろう。入口には当面営業できないので延長料金も請求しないとの張り紙が出されていた。ちかごろはインターネットオンデマンドや電子書籍ばかり利用してるけど、こういう機会のたびにエンターテインメントのクラウド化もいっそう加速していく気がした。
コンビニも閉店
コンビニに立ち寄るがここも閉店していた。高度に発達させた流通は高速道路が不通になるといった少しの変数でそのパフォーマンスを著しく減じてしまう。365日24時間いつでも近所のコンビニで安い商品を入手できるという中世なら王侯貴族でも考えつかないような生活を国民全員が当たり前のように行使する世の中は思いのほか脆いものだった。それはとても有り難い世界だったけど、これからは薄氷の上を歩いていたことを忘れないようにしたいと思う。

コンビニの棚
そういえば5年前にも散々耳にしたけど「不安に駆られた人々の買い占めによってコンビニからモノが消えた」という話はけっきょくデマだったように思う。POSなどでギリギリの在庫管理を強いられたコンビニシステムにおいては、大多数の客がいつもより2〜3割ばかり多めに商品を買うだけでいとも簡単に品切れしてしまうはずだ。それは競争社会で極限まで突き詰められたシステムの脆弱性の問題であって人々の愚かな行動の結果なんかではないと思う。

壊れて鉄筋が露わになっていた
東に進むにつれ建物の崩壊度は進んでいくようだ。でもすぐ隣接した建物にはまったく被害が無いようにも見える。いったい何が明暗を分けているのだろうとしばらく見入るが分かりやすい答えは浮かんでこない。建物の新しさや建材、構造に答えがあることは想像つくがそれだけでなくやはり断層がどこを走っていたのか、どの方向にどれだけ揺さぶられたかなどの要因も大きい気がする。この経験は次の地震に活かせるのだろうか。あるいはこれからも偶然に身を委ねるしかないのだろうか。そんなことを考える。

パタンと倒れた塀
そろそろ帰ろうかと細い道に入った。どこもかしこもブロック塀が崩れ落ちている。耐台風仕様の重たい瓦屋根とプライバシー確保のために安価に組まれたブロック塀が被害を大きくしたことは間違いないはずだ。そろそろ法的な規制を考える時期じゃないかなあとも。ただでさえ最近は重たい太陽光パネルを乗せるケースが増えているわけだし、瓦はもっと軽量化して構造的に強度を持たせた方が良いと思うんだけど、専門家ではないのであまり断言できない。ブロック塀も全員が撤去したらそれはそれで慣れちゃう気もするんだけど。

県立高校の避難所

近くの県立高校まで戻って来た。避難所になってるはずだと校内に入ってみると多くのクルマが停められたくさんの家族が車中泊していた。犬ネコ連れも多く、みんな明るく仲良さそうに見えた。どこかに給水車が来ているのだろう、若い男の子が自転車にポリタンクの水を積んでクルマに戻って来た。それを見た年長の男が「ちょっと、いったん戻ってもう一回走ってきて!動画撮るから」なんて言ってみんな笑っていた。今回の地震は神戸や東北に比べて家族を失ったり行方不明のまま探し続けている人が圧倒的に少ない。そのせいだと思うけど、悲壮感はあまり感じられない。もちろん誰もが余震に怯えているのは間違いないし、いつまでこの状態が続くのかという不安も大きい。けれども大声で笑ったりお互いに写真を撮り合ったりすることへの不謹慎感や自粛モードはあまり感じられない。このあたりの被災が小さいだけかもしれないけど。

神戸赤十字病院のDMAT
校舎のピロティには本部席が作られ、あちこちからのボランティアや派遣された職員たちが忙しそうに働いていた。神戸ナンバーの赤十字社DMATが停められており、なんて有り難いことだろうと感激した。昼間は明るく振る舞っていても慣れない場所で余震に怯えながら暮らす人たちにとってこの赤い十字マークはとても力強く映ったはずだ。あってはならぬことだけど次の災害が起こったとき、そこには一番最初に熊本ナンバーの救援車が入ることだろう。そういえば赤十字って熊本発祥だったはずだし。災害は日常を変えてしまうけど中には良い方向の変化があってもよい。

家に戻ってしばらくするとご近所の主婦がやってきて玄関先でお互いの物資交換となった。多くの家では水や食糧の備蓄に問題はなさそうだ。前震の時点で多めに補充していたからだという。うちもそうだ。それでもちょっと多すぎるかなとか消費期限が近いものもあるのでそのあたりは主婦ネットワークで交換してるみたい。彼女はパンが少し足りないといい、しかもクルマを持っていないというので妻が運転して近隣のショップを一緒に回ることになったようだ。僕はその間キッチンに座って久しぶりに音楽を聴いたりした。仕事中も寝るときも音楽がないと落ちつかない生活をしてきたのに、そういえばまったく音楽を聴こうとも思わなかった。2日ぶりに聴いた音楽は古いStingだった。

公園で給水を受ける
帰ってきた妻が今度は別の主婦ネットワークから近くの公園に給水車が来ているよ、しかもまったく並んでいないという情報を得たというのでさっそく出かけてみた。消防車から供給される水はそのまま飲用には適さないがお風呂やトイレには使えますとのこと、これで我が家のバスタブに溜めた水を補充できるぞと喜んで持ち帰った。キャンプ時に愛用しているポリタンクを風呂場に設置したらより新しい水で手洗いできるようになった。

近所に支援物資が届いた
夕刻、お隣さんから「角のマッサージ屋さんに福岡のNPOが支援物資を持ってきたよ」との情報。さっそく妻が見に行くと水や食料品、生活物資が無料で配られていたという。それでも僕らの家は今のところどれも困っていないし、あと3日くらいはこのままサバイブできそうだというので写真だけ取って何も貰ってこなかったという。さすがだね、と褒めてあげた。僕らは被災地に住んでいるけど被災者ではないと思うからだ。

2016年5月5日木曜日

熊本地震の記録-3-2016/4/16土 本震から一夜明けた土曜日

すさ2016年4月16日土曜日、本震翌日
しばらくはおにぎり生活
けっきょく明るくなるまでほとんど寝ていなかったように思う。思う、というのは記憶が曖昧だからだ。極度の興奮状態にある人間は火事場の馬鹿力も出せるけど一方で記憶を欠落させたりもするらしい。炊飯器の中にはたくさんご飯があったのでとりあえずおにぎりにしてもらう。断水してしまったからだ。でも妻に聞くと数日前になぜかしら無洗米を買ったばかりだという。しかもミネラルウォーターの買い置きがこれまた大量にあるのだと。先日南三陸に旅行したばかりの妻は日ごろと違う行動を取っていたらしい。なんという幸運だろう。つまりしばらくは白米三昧の暮らしができるってわけで米穀原理主義の僕的には最高だ。

税理士事務所の窓が割れ落ちていた
明るくなったので二人してご近所の見回りに出かける。方々でガラス窓が割れていたりブロック塀が見事に倒壊していたりした。こうしてみるとうちなんか圧倒的に被害が少ないらしいことがわかる。ちょっとした断層の位置なのだろうか。これまた奇妙なほどの幸運だ。ご近所さんは早くから井戸端会議に忙しい。いつもはそんなに仲良く盛り上がってイベントやるって感じでもない地区だと思うけど、非常時の団結は一級品だ。

朝の通りを歩いてみる
通りに出てみると、瓦屋根や塀が崩れた家とほとんど被害を受けていない建物が入り交じっていることが判る。耐震や免震構造、建築時期なども関係しているに違いない。電力は落ちてないことから信号機が機能しており、被災地感はさほどでもない。強い台風の翌朝と言われたらそんな気がするくらいだ。僕らはiPhoneでNHKラジオを聴きながら、ゆれくるがなる度に壁や空の電線を見渡しては広い場所に立ち止まるといったいつもとは違うスタイルで朝の散歩を終了した。

さすがの老犬も怯えたか
家に戻っても余震は続いていた。今年13歳になった柴犬氏はそれほど怯えている風でもなかったけど、やはり人間が大声を出したり怯えた表情をするとそれを敏感に感じるのだろう。いつもより人なつっこくなっているようだ。
しばらく家で休んでいたけどテレビのニュースばかり見ていても仕方がないと感じたし、かといって眠くなるわけでもないので今度はひとりで近所を回ってみることにした。


朝早くから片付けをする人々
はやくも瓦やブロックの片付けをしている人たちがいてすごいと思った。まだ余震が激しいのでしばらくは片付けやめとこうなんて話したばかりだったからだ。それにしてもいつもは会釈程度のみなさんだけど今朝は必ず会話が始まる。どちらからともなく被害はどうだったか、足りないものはありませんか、という感じだ。災害パラダイスってやつかなと一瞬思ったのだけど、いや待てあえて変わった現象として名前をつけるのなら僕らが日常だと思っている会釈程度の関係性の方かもしれないと思い直した。

公園には多くの車中泊
いったん家に戻り今度は妻も加わってまた散歩を始める。家にいるより外にいた方が落ち着く気がしたからだ。近所の公園には多くの自家用車が泊まっていた。昨夜の本震のあとここで夜を過ごしたのだろう。高層マンションに住む人たちなのだろう。この公園は防災用の非常物資倉庫もあるので安心だ。何より近くに建物がないことがいちばんだ。

歩いていると少しずつ気温が上がってくるのがわかる。この地震が真冬だったらきっと体調を崩す人が続出したろうし、真夏だったら脱水症状や熱中症も心配だしヤブ蚊にも悩まされたことだろう。4月中旬に地震が起こったことは不幸中の幸いかもしれない。
何ごともなかったように日が昇る

空を見上げると太陽が姿を現していた。そして何ごともなかったような空が広がっていた。太陽や大気にとってもなんてこともない日常なのだ。マグニチュード7.3という莫大なエネルギー量はこれまで人間が創り出すことのできた力に比べるとまったく及びもつかないレベルの大きさだ。僕らはこの惑星の表層に浮かぶ薄っぺらい地面にへばりついて暮らす存在なのだと思った。それでも人類はこれからしばらく生き残り、そして何かを残していくことだろう。それは素晴らしいことだ。
スーパーマーケットにも列

妻がさすがに眠いと言い始めた。でもどうしても家の中では怖くて眠れないという。僕の経験した地震は本震だけだけど彼女は前震も経験している。だからまだ大きいのが来るはずだ、その時に家が持つか不安なのでクルマの中で寝る方が安心できるという。家の駐車場に犬と三人で寝てみたがそれでも落ち着けないというので近くのスーパーマーケットの駐車場に移動。今度はすんなり眠れたようだ。
墓場はカオスに

僕はあまり眠くないので彼女らを車に残して近くを歩いてみることにした。スーパーは店内に入れる状況にないらしく店頭で限られて商品だけを配っていた。隣の墓地は墓石がめちゃくちゃになっていた。健軍川には大きな異常はないようだけど、やはり古い家の瓦やブロック塀は徹底的に破壊されていた。車の量は土曜日の朝にしては普通か多いくらいだ。人々は元気に動き始めている。
スタンドには長蛇の列

彼女が目を覚ましたあと、カセットコンロのボンベを買いに行こうかと車を走らせる。近所のガソリンスタンドには長蛇の列ができていた。店員さんが列を走り、あるとこで「ここで売り切れです」と伝えていた。その最中にも余震がやってきてスタンドの屋根をガタガタと震わせる。ラジオからはアナウンサーが緊張を押し隠した声で命を守る行動を、と伝えている。ゆさゆさと車が揺さぶられるのが判る。でも妻に言わせると家の中より安心できるのだという。車は揺れて当たり前だけど、揺れるはずのない家が揺れるのは許せないらしい。
開かずの間になっていた納戸を解放

家に戻ると僕には大きなミッションがあった。前震の際に収納物が崩れて開かずの間になっていた納戸をこじ開ける作業だ。引き戸なんだけどすきまに物差しを突っ込んだり、ドライバーをテコにドアを持ち上げたり、最後は連続ライダーキック攻撃を繰り返し、30分ほどの悪戦苦闘の末に納戸は解放されたのであった。そこにあったのはお米、被災グッズ、キャンプ用品一式、そして柴男の食糧などなどである。特にキャンプ用品は心強い。何があろうとどこでも暮らしていける気になってきた。満面の笑みが戻った妻はさっそく納戸の整理に取り掛かった。てか日ごろからやっとけって話だけど。

すっかりお友達
午後3時過ぎ、近くに住むミュージシャン夫婦が訪ねてきた。生後九ヶ月の息子君と愛犬と4人で。聞くところによると住んでいるマンション4階の揺れはかなり激しく、天井が落ち熱帯魚の水槽が割れて室内が水浸しとなりとても生活できる状況ではなくなったので車中泊を強いられているという。もう退屈で仕方がないので遊びに来たよと。僕ら夫婦はなにをおいても息子君(以降、エイトマン)の大ファンなのでもう孫が遊びに来た老夫婦のように大喜び。柴男もすっかりエイトマンに癒されていた。

18時過ぎから二階の仕事場に籠もり、Skype回線を繋げて高知の会議室とでミーティングが始まった。本来ならば僕が議事進行していたはずの会議だ。でも前震のあと熊本に戻って来たし、あの本震の後ではどう考えても物理的に高知行きは無理、ということでSkypeでの参加に変更してもらった。幸い回線は安定していて21時までの2時間強の会議は無事に進行して貰えたようだ。こちらの事情を理解してくださった皆さんに心より感謝するよりほかない。なによりもこのイベントを全力で応援して成功させなければと強く思った。

寝室の窓に目張りしたり
それにしても災難は続くもので今晩は強烈な雨と台風並みの強風が熊本地方を襲うという。会議中もなんどか窓の外を確認したが、たしかに徐々に雨風は強くなってきた。9年前にこの家を建てた時の設計士さんと連絡を取り、さらに大きな地震や地崩れがおきた場合この家のどこがもっとも安全かを教えてもらった。結論としては今日解放したばかりの納戸ということになった。しかしまだ片付いてなくて寝る状態にない。

いつでも脱出可能に
妻は車中泊を希望したが、僕はどうしても納得できなかった。強風で瓦が飛んできたり切れた電線が落ちてきた場合、僕らの小さな車ではかえって危険性が増すように思えたからだ。それよりも鉄筋コンクリート製一戸建ての方がまだリスクは少ないと思えるし、水以外のライフラインが完備した状態で日常と変わらぬ暮らしを続ける方がこれからの長期戦を考えればに有利に違いないと判断した。妻にそのことを話すと納得してもらえたようで、つぎに寝室の改造に取り掛かる。といっても窓にダンボールを貼ったり、タンスに目張りをする程度だけど。
僕らの震度計

それだけでも安心できたし、あとはビールをがつんと飲んで、勢いで眠りに落ちた。窓の外は台風のような激しい風雨が続いていたけど、余震の数はあまり多くなかったようで(慣れただけかも)、明るくなるまでぐっすり眠ることができた。いつまで続くか判らない長期戦には体力とメンタルの健全さがどうしても必要だ。もうこの頃には余震が来てなくてもずっと身体が揺れている感覚にとらわれており、傍に置いたペットボトルの水を見て本当に揺れているのかどうか確認しなければならなくなっていた。ほとんど被害のない僕らでこうなんだから家屋が倒壊したり家具が崩れた家ではなおのこと大変なことだろう。