スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

2015年9月に読んだ本の記録

9月はバルセロナに9日間も行ってたので、やっぱりスペイン関係の本が多かった。現地でもっと読書できるかなと思ったけど、いくら時差ボケで眠れないといっても深酒すると本など読めないのだ。 ◇  Bluesmantakaのバインダー 期間 : 2015年9月1日 ~ 2015年9月30日 読了数 : 7 冊 「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 牧村 康正 , 山田 哲久 / 講談社 (2015-09-09) 読了日:2015年9月30日 たしか小学4年生だったと思うけど、学級パーティで宇宙戦艦ヤマトの歌を歌ったクラスメートがいたのだ。僕にはまったく何の歌か分からなかったのだけど、彼は隣の長崎の電波を拾って放送を観ていたのだった。僕もさっそく試してみたけど画面はノイズだらけで何が何だか分からなかった。熊本でも放映されたのはそれから半年くらい経ってからだった。もともとSFばっかり読んでいた小学生の僕はすっかりハマってしまって日曜日の朝は何が何でもブラウン管の前から動かなかったものだ。 なんでそれだけ夢中になったかと思い返せばその70%は宮川泰の音楽のせいだったに違いない。2作目の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」を機に一気に熱が冷めてしまったのもたぶん音楽のせいだ(劇中で演歌調のBGMが流されたり沢田研二に耐えられなかったし、その後島倉千代子の登場には完全にノックアウトされて僕の中でヤマトは黒歴史になったのだった)。 さてプロデューサーに西﨑義展さんだけど、もちろん昔からいろいろ知ってたつもりだけど本書で描かれるパワフルぶりには驚かされた。昭和9年生まれだからほぼ僕の父母と同じだ。たしかにあの世代にはそういった人物の割合が高かった気もするけど、それにしても。あと20年遅くカリフォルニアに生まれてたらスティーブ・ジョブズになってたのかもしれない。 戦後の昭和ってのはとことんむちゃくちゃで、でも面白い時代だったのだなあとつくづく考えた。西﨑世代の無茶ぶりを眺めて育った僕らは妙に行儀の良い世代として記憶されるのかもしれないが、反面、たいした作品も生まず歴史に埋もれていくのかもしれない(何を言っているのだ、という反論が若手の一部から聞こえてきそうだけど) A22 地球の歩き方 バルセロナ&近郊の町 2014

2015年8月に読んだ本の記録

2015年8月の1ヶ月間、7冊しか読んでいなかった。休みも多かったし時間はたっぷりあったはずなのになぜだろう。8月だからなのか、戦争関係の本が増えてたみたい。 ◇  Bluesmantakaのバインダー 期間 : 2015年8月1日 ~ 2015年8月31日 読了数 : 7 冊 野火 大岡 昇平 / 新潮社 (1954-04-30) 読了日:2015年8月31日 塚本晋也監督の映画「野火」を見た翌日にダウンロードした。中学か高校の頃、クラスの誰かが読書感想文を書いていたような記憶があるが当時僕は読書とか感想文とかが苦手だった。映画を観て衝撃を受けた後やはり原作を読まねばと思い、手にしてみるとあの凄まじい映像のほとんどが原作に忠実だったことに驚かされる。これからは僕みたいに映画を観たあとに原作を読むという人間が増えていくのだろう、おそらくは世界中に。 映画になく原作に色濃かった視点は神である。しかしなぜか宗教的な気配はまるで感じさせない。それはたぶん田村が醒めているからだろう。目の前の戦争からも宗教的な熱狂からもできるだけ距離を取ろうとして、冷めている。それは田村が「インテリ」だからだと思った。 田村は自分の頭で考えたことしか信じようとしない。容易に他者の熱弁に巻き込まれそれを自身の本意だと信じてしまう人間を遠ざけようとする。だけど彼は自らの本能だけからは逃げることができない。その本能をセットした神を思いながらそれでも醒めているべきなのだと思い悩み、彼は壊れてしまう。それも彼が「インテリ」だからだ。一方で戦争を始めるのもまた別の「インテリ」だ。 戦場やジャングル、街に灯された野火に導かれたインテリは自らも炎を灯そうとマッチを探し、無辜の人間の命を奪う。世界中あらゆる場所で繰り返される人類のカルマを止めることはできるのだろうか。 満洲難民 三八度線に阻まれた命 (幻冬舎単行本) 井上卓弥 / 幻冬舎 (2015-05-27) 読了日:2015年8月31日 読み終わった直後にヨーロッパになだれ込むシリア難民のニュースを見た。たぶんこれまでだったら「日本は安全で良かったなあ」としか感じなかったことだろう。だけどこの本を一度読んでしまった今ではもうそんな感想が出てくる余地はない。 先日読んだばかりの「野

2015年7月に読んだ本の記録

ついほったらかしにしてたこのブログ。遅ればせながら3ヶ月も前に読了した本の記録を。いつもより少なめの9冊を読んでおりました。 ◇  Bluesmantakaのバインダー 期間 : 2015年7月1日 ~ 2015年7月31日 読了数 : 9 冊 69(シクスティナイン) (集英社文庫) 村上 龍 / 集英社 (1990-09) 読了日:2015年7月30日 iPadをいじっていたら以前iBooksのお試しデータで本小説を少しだけダウンロードしていたことを思い出した。小説自体はずいぶん前に読んでいたのだけど、なんか急に読み直したくなってブックオフでついで買い。 村上龍は僕の13歳も年上なのだから当然1969年当時の記憶なんて共通するところがあるはずないのだけど(僕は当時4歳だし)、同じ九州弁つかいでもある主人公や登場人物たちとはどこか親近感があった。そういえば僕が高校生の頃だって何かでかいイベントやろうぜとかバンドやって目立とうとか暴力教師に一泡吹かせてやろうとか、ここに書いてあるようなことはたいてい話し合っていたものだ(さすがにバリケード封鎖はしなかった)。 本書が書かれたのは1987年だから僕が大学の頃だ。日本はバブルを目前にやたら元気が良かった。当時村上龍は35歳、まさに好景気を支える世代だったはずだ。そんな勢いみたいなエネルギーが行間から溢れてくる。僕にとっては1987年くらいが著者にとっての69なのかもしれない。まあ今にして思えばろくな時期じゃなかったんだけど。 世論調査とは何だろうか (岩波新書) 岩本 裕 / 岩波書店 (2015-05-21) 読了日:2015年7月29日 何となくAmazonで見つけて買ってみた。世論と輿論との違い、バンドワゴン効果、逆バネ効果、重ね聞き、中間的選択肢、枕詞、ダブルバーレル、キャリーオーバー、討論型世論調査などに傍線を引きながら読んだ。 世論調査を元にしたニュースは多い。そしてつい一言コメントしたくなる(SNSの浸透は一億総コメンテーター化を促した)。だけど本書読みながらそれは逆ではないか、と思い始めたのだった。ひょっとしたら「誰もがコメントしたくなるような世論調査」がニュースソースとして生み出されているだけなのではないか。国民にこう考えてほしい、怒