1年生~はじめての東京生活(2010年)
2010年2月17日、羽田空港から意気揚々と秋葉原駅へと移動した僕は得意満面で湯島三丁目方面へ。不動産屋さんに行って部屋の鍵を貰うのだ。いよいよ我がアジトに潜り込むのだ。待ちに待った新天地での新生活。膨張する妄想。万能感。解放感。だがしかし。不動産屋さんに到着するやいなや閉店の嵐であった。鍵がかかっていて誰もいない。電話しても誰も出ない。逃げられたか。詐欺か。慌ててiPhoneでサイトを確認したところ「毎月第3水曜日は定休日です」ってたしかに書いてあるではないか。迂闊に過ぎた。
代々木上原に泣きつく |
別居、なうツイート |
案の定というかまんまと「どうしたんすか!?」「いったい何があった!」的な反応が相次ぎ、やったーしてやったりだぜ、と熊本にいる妻と2人して「実はね〜」なんてレス返しで無邪気に楽しんだり。
江戸の先住民をこき使うの図 |
近くの関係企業あちこちに顔を出したり、御徒町の多慶屋まで幾度も調度品調達に出かけたり、夜は湯島駅から千代田線つかってまたもバンマスの住む梅ヶ丘でベース弾いたり。都会に浮かれる田舎者を絵に描いたような生活が全開まっしぐらにスタートしたのであった。
二度目のアジト入りは翌月3月。しかし試練はまだまだ僕を掴んだまま放さなかった。それまでの20年間、出張といえばビジネスホテルですからして、東京に部屋の鍵を持っていくなんて発想はこれっぽっちもなかとです。アジトのドアを前に呆然と立ち尽くす俺です。
二度目のアジト入りは翌月3月。しかし試練はまだまだ僕を掴んだまま放さなかった。それまでの20年間、出張といえばビジネスホテルですからして、東京に部屋の鍵を持っていくなんて発想はこれっぽっちもなかとです。アジトのドアを前に呆然と立ち尽くす俺です。
鍵がないと普通ドアは開かない |
春休みには妻もアジトにやってきた。学生下宿をチェックに来る母親のようだったが彼女は大学時代の旧友と朝まで飲むという目的を果たして満足げだった。4月1日、二人で上野恩賜公園に満開の桜を見にいった。昼間からビールを空け、僕らは江戸の華に酔った。
毎月来るたびにちょっとずつ家具や小物を買いそろえていくのだけど、どういうわけかテレビだけは買わなかった。新聞も取らなかった。いくら東京が人だらけだといったって毎月毎晩相手してくれるほど知り合いもいないから、部屋でぼーっと過ごす夜の時間も増えていった。そんな時の相棒は文庫本だった。いつのまにか読書家に変貌していた。いつも10冊くらいの本を抱えて熊本東京間を往復する書生野郎になっていた。四半世紀前のリアル学生時代だった頃には想像もつかないことだが僕は活字に溺れた。これもアジトの魔力のひとつだったのかもしれない。
この頃から業界内iPad伝道師に |
5月の末には僕の相棒にiPadが加わった。アップルから発売されたばかりの魔法の板は僕の仕事スタイルを変えたばかりか、タブレットコンピューティングの伝道師的な仕事まで連れてきてくれた。
スカイツリーが伸びていく |
カウンターで独り呑み |
SJCD合同例会仙台 |
7月のイベントが成功に終わると今度は9月には由緒ある業界団体での講演を依頼されたりした。九州を出て東京にちょこっと住んでみただけで勝手に世界が拡がっていく感覚にくらくらした2010年だった。
まるで大学に入学したばかりの若者が抱くような、大いなる高揚感、そりゃ誤解に決まってるさって判ってるんだけど、もう止められないぜって気分の1年があっという間に過ぎていった。
次回は東京アジト大学卒業論文(3-6) 〜2年生・・・311で一変した東京(2011年)です。
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