4年生・・・まさかの同棲生活(2013年)
自分の不注意で九死に一生 |
お正月には高校卒業30年後の学年同窓会などに参加し、おのれの年齢を自覚させられるとともに、歳取ったところで人間そうは変わり映えがしないという現実にほっとさせられたりもした。その勢いで東京でも中学や大学の同窓会に参加したりした。いままでどちらかといえば古い友人とはあまり付き合えてなかったのだけど、まあこういうのも悪くないな、とも思えてきた。歳を取ったのかFacebookの影響かわかんないけど。
高校の卒業式、妻は重役席に |
知らぬ間にPTAの重役になっていた妻は式後も忙しく街中を飲んで回っていたわけで、残された僕と息子は近所の回転寿司店に行き、しかしお互い口数も少なめにただ廻る皿を追いかけていたのだが、そんなとき息子が「東京のアジトに住んで予備校に行きたい、つきましては宜しくお願いします」だなんて神妙にお願いするのでちょっと驚いた。へーそうなんだ、でも予備校なんてあたりつけてるのかい?と問い返すと、いやまだ何も考えていない、と。妻も僕も予備校に通った経験が無いので僕らにはうまくアドバイスできない。とりあえずiPhoneでいろいろ検索してみたあと、そういえば僕の従兄弟にむかし浪人生活を堪能してたツワモノがいたっけ、たしか東京に住んでるはずだけど、とメールでヘルプを送ってみたり。
どこにもつけ入る余地がなさそうだ |
その4日後、3月5日にはもう息子と一緒にスカイマークに乗っていた。翌6日にはくだんの従兄弟と神田で落ち合い、ランチをご馳走になりながら予備校や浪人生活についていろいろとアドバイスを受けた。きけばその筋では有名な会社の創業社長さんだそうだ。息子よもう浪人諦めてその会社でバイトしろ、あわよくば就職できるかもしれんぞお前ゲームとか得意分野だろ?と半分マジで言ったのだが無視されて哀しかった。
アジトキッチン部門が整備された |
ケルンで開催された大きな展示会に合わせて得意先とヨーロッパを回ったりしたあと3月の末にまた東京に戻ると、アジトは18歳男子の住む部屋として非常にスタンダードなとっ散らかり具合に変わり果てていた。洗濯はきちんとやれ、ゴミは捨てろ、家具は組み立ててから使え、マンガは買うな勉強しろと説教していたら、生活準備のためにいったん熊本に戻りますからと熊本に飛んでいった。これまでのようなアジト一人暮らしに戻ると今度はなんだかつまんなく感じてしまうから妙なものだ。
柴男もアジトに |
学資保険がソーラーパネルに・・・ |
あまちゃん |
聖地巡礼である |
この年の特筆すべきことはもう一つ「あまちゃん」である。これまで朝の連ドラとか絶対に見ない派だった夫婦が二人して一日4回は繰り返し見るほどの没入具合に仕上がった。これについて語り始めるとキリが無いので止めときますが、ただ1点だけ、ドラマの中で主人公がアメ横の出てくるのは僕がアジト生活をはじめた2010年ときっちり同じなのです。聖地まで場所も近いし、そんなところでも僕らはすっかりクドカンの世界に浸って生活していた。
勉強するフリの坊ちゃま |
他にも僕らは夫婦で山口の萩に旅したり、台風直下の石垣島にマイレージ消化に出かけたりと息子の居ない隙にと多忙を極めていたのであるが、すっかり移動癖のついた妻は9月末から「参勤交代」と自称してアジトに通うことになる。きっかけは予備校から届いた一通の成績表であった。なんと高校3年時よりも全国平均で落ちていた。その上予備校をサボりまくっていたことが判明。こめかみの血管から緑色の血を噴出する獣と化した女が空港に向かうまでさほどの時間は不要であった。いったいどれほどの執念で息子の身の回りの世話に注力されたかについては彼女のブログを参照されたい。
朝飯前とはこのことだ |
食うわ食うわ |
僕ら両親はこのままでは息子の人生はどうなってしまうのだろう、と心配で心配で堪らなくなり、もう居ても立ってもいられなくなって二人で台湾旅行へ出かけることにした。その詳細についてはこのブログに書いているのでそちらのページに譲りたい。
アジト3年目はこのように家族3人のそれぞれの生活に大きく変化を与えながら、いつもその中心にあの402号室が見え隠れしているのであった。これも不思議なアジトパワーだったのだろうか。
さて次はいよいよ最終回となります。
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