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東京アジト大学卒業論文(5-6) 〜4年生・・・まさかの同棲生活(2013年)

4年生・・・まさかの同棲生活(2013年)

自分の不注意で九死に一生
2012年の11月の末に自転車で通学途中の息子が車にはね飛ばされるという事件が起きた。朝から顔面蒼白で日赤病院院に走ったのだが、ベッドの上のいつもと変わらぬ不満そうな高3男子を見つけて夫婦で胸を撫で下ろした。ノーヘルにもかかわらず怪我の程度はたいしたことなく入院不要とのことでそのまま家に戻されたのだが、死んでいても不思議でない事故だった。でもだからといって次の模試で偏差値が10も20も上がるといった奇跡が起きるわけでもなく平凡な毎日が続いたのであった。

お正月には高校卒業30年後の学年同窓会などに参加し、おのれの年齢を自覚させられるとともに、歳取ったところで人間そうは変わり映えがしないという現実にほっとさせられたりもした。その勢いで東京でも中学や大学の同窓会に参加したりした。いままでどちらかといえば古い友人とはあまり付き合えてなかったのだけど、まあこういうのも悪くないな、とも思えてきた。歳を取ったのかFacebookの影響かわかんないけど。


高校の卒業式、妻は重役席に
3月1日、息子の高校の卒業式にちょっと顔を出した。大学進学を志す息子はそれまでに数多くの学校から丁重に入学をお断りされていて、今年1年は浪人生として過ごすことがほぼ確定していた。本当は学内推薦で希望する学部に行くこともできたのだが、本人はもっと行きたい大学があるので受験する、と決めていたようだ。相談された僕も「悩んだら困難な方を選べ」などと岡本太郎ばりな返答で格好つけたこともあり、まあ浪人したらしたでどうにかなるでしょ、こうやって生きてること自体不思議なんだから何でもありだよ、などと呑気に構えていたのだ。

知らぬ間にPTAの重役になっていた妻は式後も忙しく街中を飲んで回っていたわけで、残された僕と息子は近所の回転寿司店に行き、しかしお互い口数も少なめにただ廻る皿を追いかけていたのだが、そんなとき息子が「東京のアジトに住んで予備校に行きたい、つきましては宜しくお願いします」だなんて神妙にお願いするのでちょっと驚いた。へーそうなんだ、でも予備校なんてあたりつけてるのかい?と問い返すと、いやまだ何も考えていない、と。妻も僕も予備校に通った経験が無いので僕らにはうまくアドバイスできない。とりあえずiPhoneでいろいろ検索してみたあと、そういえば僕の従兄弟にむかし浪人生活を堪能してたツワモノがいたっけ、たしか東京に住んでるはずだけど、とメールでヘルプを送ってみたり。
どこにもつけ入る余地がなさそうだ

その4日後、3月5日にはもう息子と一緒にスカイマークに乗っていた。翌6日にはくだんの従兄弟と神田で落ち合い、ランチをご馳走になりながら予備校や浪人生活についていろいろとアドバイスを受けた。きけばその筋では有名な会社の創業社長さんだそうだ。息子よもう浪人諦めてその会社でバイトしろ、あわよくば就職できるかもしれんぞお前ゲームとか得意分野だろ?と半分マジで言ったのだが無視されて哀しかった。


アジトキッチン部門が整備された
いろんな知り合いに予備校事情の取材と称して一緒に飲んだり、実際に御茶ノ水の予備校に見学に行って入学案内を貰ってきたり、電気街で冷蔵庫だ電子レンジだと買い物したりと忙しく過ごした後アジトに息子ひとりを残して僕は熊本に戻った。そんなわけであれよあれよという間に息子にアジトを乗っ取られていた。妻も妙にこのプランにノリノリで、僕一人の時は完璧に無視してくれてたのに息子が住むとなるといきなり自炊調理関係の整備が必要だとか寒いから布団を送るだの洋服ダンスがどうのとすっかり子離れできてない親バカ全開なのあった。

ケルンで開催された大きな展示会に合わせて得意先とヨーロッパを回ったりしたあと3月の末にまた東京に戻ると、アジトは18歳男子の住む部屋として非常にスタンダードなとっ散らかり具合に変わり果てていた。洗濯はきちんとやれ、ゴミは捨てろ、家具は組み立ててから使え、マンガは買うな勉強しろと説教していたら、生活準備のためにいったん熊本に戻りますからと熊本に飛んでいった。これまでのようなアジト一人暮らしに戻ると今度はなんだかつまんなく感じてしまうから妙なものだ。


柴男もアジトに
一方熊本に戻ると息子が居なくなって妻と柴犬だけの生活が待っていた。思ってたほど妻が寂しがることもなかったのは、ここぞとばかり僕らふたりで遊び歩いたからだろうか。5月の大型連休には犬連れクルマ移動で熊本から神戸(僕は北海道出張から神戸で合流)、京都(大学ゼミの同窓会とか)、名古屋、群馬(妻の実家)とドライブを楽しんだ。群馬の実家には息子も合流し浪人という身分を忘れさせるほどリラックスしやがって、帰りは東京まで3人+柴男でアジトへ。3年前僕一人で「別居なう」なんて呟いてた部屋に全家族が揃うという不思議な展開となっていた。


学資保険がソーラーパネルに・・・
5月には息子の大学進学に備えて積み立てていたお金を使って自宅の太陽光発電パネルを敷いたりした。来年本当に大学に受かったらどうしようって思わなくもなかったが、まあFITの期限もあるしねえ、あとはどうにかなるでしょうとこれまた楽観的に。また5月末からは本格的にスポーツジムに通い始めた。もともと妻が通っていたのだが極度な運動嫌いの僕がなぜかハマってしまい、熊本にいるときはほぼ毎日筋トレと水泳に通うという自分でもにわかに信じられない思想信条の転向を経験することになる。といっても気分転換と風呂代わりなんだけど。

あまちゃん
聖地巡礼である

この年の特筆すべきことはもう一つ「あまちゃん」である。これまで朝の連ドラとか絶対に見ない派だった夫婦が二人して一日4回は繰り返し見るほどの没入具合に仕上がった。これについて語り始めるとキリが無いので止めときますが、ただ1点だけ、ドラマの中で主人公がアメ横の出てくるのは僕がアジト生活をはじめた2010年ときっちり同じなのです。聖地まで場所も近いし、そんなところでも僕らはすっかりクドカンの世界に浸って生活していた。
勉強するフリの坊ちゃま

他にも僕らは夫婦で山口の萩に旅したり、台風直下の石垣島にマイレージ消化に出かけたりと息子の居ない隙にと多忙を極めていたのであるが、すっかり移動癖のついた妻は9月末から「参勤交代」と自称してアジトに通うことになる。きっかけは予備校から届いた一通の成績表であった。なんと高校3年時よりも全国平均で落ちていた。その上予備校をサボりまくっていたことが判明。こめかみの血管から緑色の血を噴出する獣と化した女が空港に向かうまでさほどの時間は不要であった。いったいどれほどの執念で息子の身の回りの世話に注力されたかについては彼女のブログを参照されたい


朝飯前とはこのことだ
犬に面倒見てもらっている以上、家族三人がアジトに行くわけにもいかん。誰かは熊本に残らねばならぬというので、当然自由業である僕がその大役を仰せつかる日数が増えていくわけです。同時に主婦力もめきめきと向上し朝飯から掃除洗濯犬の散歩(風呂はジムですますけど)お買い物からゴミ捨て回覧板、ついでに仕事と去年までの僕はいったいどこへ行った?的な展開に飽きる間もなかった。


食うわ食うわ
そうこうするうちあっという間に年末になっていた。Paul McCartneyコンサートに出かけたり、久しぶりに三陸海岸を走ったりしながら全国の取引先に顔を出してはミーティングを繰り返してはひそかに来年からの事業展開の準備を続けていたのだが、それなりにメドも感触も得られてきたので僕としてはとても充実した1年となりそうだった。しかしここで息子の成績はといえば子は親の鏡とは良く言ったものでヤツも秋葉原界隈で遊び回っているらしくどうしたらこういう点数の取り方ができるのだ?と親が心配するレベルのデフレスパイラルを更新していくのだった。

僕ら両親はこのままでは息子の人生はどうなってしまうのだろう、と心配で心配で堪らなくなり、もう居ても立ってもいられなくなって二人で台湾旅行へ出かけることにした。その詳細についてはこのブログに書いているのでそちらのページに譲りたい。

アジト3年目はこのように家族3人のそれぞれの生活に大きく変化を与えながら、いつもその中心にあの402号室が見え隠れしているのであった。これも不思議なアジトパワーだったのだろうか。

さて次はいよいよ最終回となります。

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