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2014年11月14日(金)地下鉄とバスとで大英博物館を満喫、ドミトリーでは音楽を楽しむ


11月14日金曜日である。あっ結婚記念日だった。LINEの無料音声電話をかけてみたら恐ろしく品質が良いので驚いた。驚きすぎて下らない話をしてしまい記念日でしたね的な会話は最後まで出ずじまいだった。まいっか。とりあえず朝食だ。このホテルのレストランは半地下である。初のイングリッシュ・ブレックファーストである。好きなものを自由に取れるBUFFE形式(この地で"バイキング"などと呼ぶとなんか無駄に揉めそうだ)なのでつい取り過ぎてしまう。ここに来るまで「イギリスの飯は不味い」という情報にはイヤと言うほど接してきたのだが本当にそうだろうか、という興味が先行気味なのだけど、今のところそんな気配は微塵もない。むしろ美味い

ホテルをチェックアウトすると外は雨模様だった。ロンドンといえば霧、のはずだがいろいろ調べてみるとそれは近現代の公害(スモッグ)なのであって実際には雨が特徴的なのだそうだ。雨といっても熱帯地方みたいに豪快に降ることはなく降ったり止んだり晴れたりが目まぐるしくだらだらと続く感じ。だから往来の人々も傘などささず濡れるに任せていたりする。

地下鉄窓口の行列
パディントン駅の地下鉄に潜り込み、オイスターカードを購入。自販機でも買えるが今ひとつ不安なので窓口に並ぶ。けっこうな行列である。事前に読んだコラム本によるとイギリス人は行列を守ることに熱心であり、横入りやズルに対してとても厳しいのだそうだ。確かに日本人以上に周囲の気配を読みながら他人からズルと思われたりしないよう、黙々と自分の順序を守っている感じが伝わってくる。ひょっとしたらこういう習性の反動で命をかけて追い越しに挑むF1レースとか、かつて血道をあげた植民地獲得競争とか、果てはアヘン戦争などに至ってしまったのではないかなどと邪推するがそれはあくまで考え過ぎというものであって。下らぬ妄想のうちに窓口に行き着く。

オイスターカードとは日本でいうSuicaみたいなプリペイドICカードである。ただし地下鉄やバスなどの交通手段の決済にのみ使える。お得な買い方が複雑に用意されている結果、何がお得かまるでわからない。窓口のおじさんに相談すると「いつまでロンドン居るのかね?」「とりあえず4〜5日くらいは」「だったらこの1週間使い放題を買うとよろしい」といったやり取りで6,000円くらいのカードを購入することになった。昨日のSIMカードと同じ使い放題なので残額を気にしなくて良いぶん安心かなと。とにかくロンドンの地下鉄は高い。現金で乗ると初乗り700円とかするのだ。たぶん数日でもと取るんじゃないかとあまり深くも考えず。

オイスターカードを使ってさっそく移動。昨夜のホテルは悪くないんだけどさすがに連泊すると財布に激痛が走る。もっと安い宿をと検索したらPimrico駅の近くになかなか良さそうなドミトリーを見つけたので予約しておいたのだ。4泊で15,000円程度、つまり昨晩1泊とさほど変わらない。地下鉄に乗り込むと現地で「TUBE」と呼ばれている理由が良くわかった。東京の地下鉄に比べるとずいぶんと幅が狭いうえに、車体断面が丸いのだ。つまり天井の隅が局面になっている。トンネルをできるだけMI的(歯科用語)効率的に掘った結果なのだろう。なんといっても世界一古い地下鉄なのだ。明治維新前の1863年に開通している。僕の乗った範囲内だけでの判断だけど携帯の電波は圏外になっている。その結果、乗客たちは大人しく膝詰め談判の格好で新聞や本を読んでいる。これもまた僕の持っていた「西欧」のイメージからはほど遠い絵であります。

オシャレなTravel Joy Hostels
Pimrico駅からしばらく歩くとこれから泊まることになるTravel Joy Hostelsのオシャレな建物が見えてきた。どうみても普通に街中のパブである。実際に1階はすべてパブであって、ビールを売る一角が受付になっている。今日から泊まることを伝えると、まだチェックインできないけど荷物は預かるよ、もうロンドンは歩いたかい?だったら簡単な道案内をして上げよう、と大きな地図にいろいろ書き込みしてくれながら早口でポイントを説明してくれた。絵に描いたような早口英語だったが地図にマーキングされながら喋られるとなんとなくわかった気がした。そしてこのマップは大いに役立った。

書き込みしてくれたロンドン地図
さて、荷物を預けたのはいいがこれからどうしたものか。パブのソファに座りこみ貰った地図を眺めていると、大英博物館までバス1本で行けることがわかった。バス停はこのホステルの目の前だ。ずっと雨模様だけど博物館だったらそれも気にならない。入館料も無料って書いてあるし決まりだ、大英博物館へ行こう。って何が展示してあるんだっけとそれからWikipediaを読み始めるのだけどとりあえずバスだ。オイスターカード握りしめ24番バスに乗れば連れて行ってくれるらしい。

この24番にはよく乗った
ほどなく赤い2階建てバスの24番がやってきた。もちろん二階の先頭席に陣取って景色を楽しむ。ヴィクトリア駅、ウェストミンスター教会、ビッグベン、ロンドンアイ、トラファルガー広場、SOHO地区となんだかゴールデンコースである。外の景色に興奮しているうちに大英博物館近くのバス停に到着。ロンドンバスは乗り込むときにカードをタッチするだけで降りるときはただ降りればよいみたいだ。パブもそうだけど先払いって慣れると気楽だ。

アテネではなくロンドンだ
大英博物館についた。歴史を感じさせる外観の正門をくぐるとなかには未来的なインテリアが拡がっている。無料だから受付はない。日本語のマルチメディアガイドがある聞き800円あまりで借りることにしたけどこれは正解だった。ツアー形式になっているので順序よくとりあえず見るべきものを見て回れる。まずはエジプト館に入ることにした。
勇者ライディーンではない


エジプトに行ったことはないのだけど、高校の世界史で何度もみたことのある像や文字盤がずらりと並んでいる。雨の午前中だからか幸いまだ行列はない。音声ガイドに従って次々と見て回っているうちに僕は不思議な感覚に陥る。目の前にある石像や絵がちっとも古く見えないのだ。数千年前の現物だと書いてあるのに。京都の寺院でみた室町時代の仏像やインドでみたヒンドゥーの神々の方がむしろ古く感じたのだ。なぜなんだろう。

とても写実的だ
保存状態が良いせいかもしれない。砂漠の文明だからアジアと違って湿気で古びることがないのかもしれない。でもそれだけではない。異質な感じが少ないのだ。僕らが日常暮らしている文明社会との隔絶感が少ない気がしたのだ。この後回ったギリシア館でもそう感じたのだけど、僕が過ごしている21世紀の日本はかなりの部分西欧化された社会だから、そのルーツの1つであるエジプトやギリシア文明との隔絶感が少ないのだろう。裏を返せばアジアの文明に対して僕は異質な何かを感じているということになる。

かのロゼッタストーン
そんなことを考えながら午前中はエジプトの遺物に身を浸した。ロゼッタストーンも間近に見た。これの現代版がGoogle自動翻訳だな、などと思いながら。でもハードディスクの磁気記憶の何倍もストレージとして優秀な石板システムだ。
ミイラの保存方法を実物で示したコーナーでは、死について考えはじめたことがすべての宗教や哲学の始まりだったことをあらためて意識させられた。この文明が伝わったのかどうか知らないけど数千年後のインドで輪廻転生が語られたわけだけど、そこに解脱という考えをセットした仏教は枯れててCoolだよな、と思ったりした。

古代エジプト人も咬耗してた
古代エジプト人の下顎骨の展示を見てると自分が歯科関係の仕事をしていることを思い出した。専門家ではないから詳しいことは分からないけど、人間の身体は数千年といった期間では大して変わらないものだなと。それにしても残ってしまうんだなあ、硬組織って。火葬の文化が当たり前の社会に暮らしている人間には新鮮だ。よく考えたら4000年前っていったって、たかだか200世代くらい前に過ぎない。


子どもたちはデッサンする
館内では小学生や中学生とおぼしき子どもたちの集団をあちこちで見かけた。引率の先生に注意されながミイラに驚いたり、説明板を読み上げたり、展示物をスケッチブックに写生したりしている。色黒の少年もいればベールで顔を隠した女子もいる。じゃれ合いながら古代文明に触れ、学んでいる姿をみながら僕は、これも良いんじゃないか、と思った。

こちらはギリシアのパルテノン
帝国主義の蒐集趣味が暴走した結果、世界中から強奪された富がこの博物館に収納されているという意見も事前に読んでいた。確かにその通りだろうと思う。出土した国に返却すべきという意見ももっともだと思う。だけどこうして平日の午前中にこの地球のどこかにあった文明に思いを馳せ、その文明の破滅に至る過程までを学んだ子どもたちはもう少しましな未来を紡いでいってくるんではないかって気もしたのだ。

この惑星の上に過去様々に引かれた国境線について思う。最近読んだナショナリズムについての本に書いてあったNationという言葉について考える。自国の過去を誇る人たちについて想う。だけどすべては共同幻想なのだとも思う。残るのは石だけだ。芸術家が執念を傾けた石だ。きっとお茶でも飲みながらノミをふるったのだろう。人間活動の派生物だ。ヒトがミトコンドリアとかDNAとかの戦略上の手段だっていう人もいたけれど、だとすれば同時に僕らは石像を生み出すための手段にすぎなかったのかもしれない。妄想は止まることがない。

ギリシア館の後に入った啓蒙主義の館はたいへん興味深かった。長い中世を過ごしたヨーロッパ人たちは固定された宗教観にとらわれないこの世界の真の姿に興味を持った。そしてそれを広く公開し市民と共有しようとした。市民らは旅に出た。貴族らは書物を収集し選別しそしてカテゴライズした。神のみを信じていた多くの人々は自分の力で世界を再構築しようとした。この20年ほどで僕が体験したWebの世界と同じじゃないか。GoogleやYahoo!、Appleがやっていることは西洋が過去体験したことでもあったのだと気がついた。

すっかり日が暮れた。すべてを回ったわけではないけど、この強烈な蒐集の現場を目の当たりにして僕もまた知的興奮を得たようだ。大英博物館がこのままで良いかどうかはわからない。時代の流れからすればこんな贅沢がずっと続くことはないだろう。やはり現物の力は侮れない。機会があればまた来たい場所の一つになった。

2階建てバスの特等席
帰りも同じバスに乗る。また2階席の先頭に乗る。ライトアップされたビッグベンなどを眺めながら貰ったマップとiPhoneのGoogleマップを交互に見ているとだんだんロンドン市内の概要が掴めてきた。日本でどんなにガイドブックとネットで勉強したとしても、やはり現地で体感するのとはまったく別物だなと実感する。旅はそのためにあるのだろう。環境が許す限り死ぬまでにできるだけ多くの場所に行ってみたいと心より願う。別に観光地や名所である必要はない。行けばいったできっと何かを得るはずだ、と思う。

ドミトリーに入る
ホステルに戻り、ドミトリーの部屋を案内されるとそこは12人部屋であった。僕は二段ベッドの上(この旅であとはずっと下のベッドだった)で、荷物を投げ出してちょっとくつろぐ。ずっと歩いていたからさすがに足腰がきつい。隣のベッドの男が話しかけてきて、この後パブでオープンマイクがあるから来ないかと誘う。近所の若者や宿泊者らがギターやキーボードを手に一芸を披露するのだそうだ。そんなことだったら練習してきたら良かったよ、なんてちらっと思ったけど。

パブで1パイント
というわけで夜はパブのオープンマイクを見ながらビールやタイ料理(なぜかここはタイ料理なのだ。バックパッカーとバンコクの相性はいいのかもしれない)を食べながらいろんな若者の演奏を見たりした。カウンターに座っていたのでいろんな客の注文の仕方が面白かった。
ギターを抱えた若者が隣でチューニング始めたので、なに演奏するの?って聞いたらオリジナルのソウル、だと答えてちょっとカマしていたんだけど、実際に演奏してるところをみたら悲惨だった。本場ロンドンでもこうなんだってちょっと安心したりもした。うまい人もそうでない人も次々ステージに上がって思い思いの演奏を繰り広げていた。隣のベッドのオーストラリア男の出番まではと考えてたんだけど時差ボケも相まって壮絶な眠けに襲われ、日付が変わる前にベッドに潜り込んでしまった。

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