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2014年11月15日(土)ウェストミンスター、シティ、ロンドン橋など小観光



ホステルでの朝食光景
11月15日土曜日。人生初のドミトリーにおける睡眠は断続的なものだった。主には時差ボケの影響で。次に誰かのいびきで(僕も負けてなかったはずなのだが)。夜中にトイレに行こうと思ってついでにパブまで降りると、午前3時だというのに映画上映会やっててまだ飲んでる客もいた。そういえば学生時代にインドを旅したとき、日本人ばかりのドミトリーで遊んだことを思い出した。明らかに「棲んでる」ヤツが何人もいた。ほとんど外出もせずもちろん観光もせず、ただ何となく主(ぬし)的なオーラを振りまきながら新参者を指導してるだけの妙な人間をたくさん見かけた。だから何となくドミトリーにはそういう面倒くさいイメージを持っていた。でもそれは特殊事例だったのかもしれない。ここでは特に主がいるわけでも、みんなで仲良くなるわけでも、かといって殺伐としているわけでもなく、それぞれが勝手に自由な時間を過ごしているようだ。

無料の朝食
美味しいオムレツを作ってくれる朝食(宿泊費に含まれる)を朝7時半のスタート時間から食べる。周囲はなぜか東洋系ばかりだ。客全体の比率としては少数派だと感じたけど、アジア人は皆朝が早いのかさもなくば僕と同じく時差ボケを引きずっているのかどちらかだろう。トーストを勝手に焼き、ヨーグルトとオートミールとコーヒーまたは紅茶で食べる朝食はとても美味しいものだった。この後泊まったどこよりもここの朝食が良かった。

川の向こうに奇妙な煙突
食後に外に出てみると、テムズ川の向こうに立つ煙突が目に入った。あれこれどこかで見たことある景色だなあ、とずっと考えるのだが思い出せない。その後パブに戻ったらほぼ同じ絵が壁に貼ってあり、そうかと膝を打った。Pink FloydのAnimalsのジャケットだ。違いは豚が飛んでないだけだ。後で調べたら「バタシー発電所」跡らしい。検索したらこんなブログを見つけたり
ヴィクトリア駅

さて今日は何をして過ごそうか。ロンドンの名所と呼ばれるところをいくつか巡ってみようかと昨日と同じ24番バスに乗る。まずヴィクトリア駅で降りてみる。昨日通ったときに何となく人が多そうだったからだ。巨大なドーム状の空間を擁した駅舎には誇らしげにユニオンジャックが掲げられている。もしこれが日の丸とかだったらまた違う文脈で見えてしまうんだろうなあ。かつての東西の島国が辿った帝国主義の出口戦略、というか後始末の違いを実感したりする。
ウェストミンスター大聖堂
駅の回りをうろうろしているとちょっとした寺院の前に出た。ウェストミンスターと書いてあるので王室が結婚式挙げたところってこんなちいさかったっけ、と調べてみたらそれはウェストミンスター大寺院であって、ここはウェストミンスター大聖堂なのであった。なんか名前としては大聖堂の方がでかいイメージだけど実際にはそんなことはない。ふらっと入ってみた。土曜日だからなのかちょうど礼拝が始まったところだった。驚くほど透き通る声で聖歌を歌いながら少年たちが入場してくる。お香をグルグル回す男が儀礼的に歩き出す。よく通る低音で聖書を読み上げる牧師が会場にいる信者たちと聖歌を合唱する。行きがかり上僕も歌詞の書かれた紙を受け取ってしまったので歌うふりをする。何度か座ったり立ち上がったりする。甘美な三度の和音が三秒を越えるだろう残響音を伴って僕の身体を拘束する。千年単位で磨き上げられた人心に訴えかける視覚と聴覚それに臭覚に僕はこの場を離れることができない。
20年前にもアトランタのバプテスト教会に紛れ込み、周囲の信徒たちとハグしながら一緒に肩を揺らしてゴスペルを絶叫するという経験をしたことがあるけど、それとはまた異種な集団の魔力に圧倒され、負けそうになる。何かの宗教を信じたりはしてないのだけど、この星では宗教を無視することはできないのだなと確信する経験となった。

ビッグベンは目印だ
1時間以上を教会で過ごしていた。またバスに駆け上がって今度はウェストミンスター大寺院に行ってみる。だけどこちらには有料入場券を買うための恐ろしく長い列ができててちょっと萎えてしまった。仕方なくそのまま歩いてビッグベンへ。子供の頃からあらゆる媒体で親しんできたこの時計は想像以上に大きな建物だった(もちろん札幌と比べての話)。偶然にも正午となり大きな鐘が鳴り響く。

ちょうど正午になるとこだった
テムズ川に掛かる橋に並んだ観光客たちはそれぞれにスマホやタブレットをかざしビッグベンを背景に自撮りしている。ここ数年ですっかり様変わりした光景だ。毎日恐ろしい枚数のデジタル写真が世界中のサーバーに保存されていく様を想像した。古代エジプト人たちは不死を願って死体を加工保存したが、21世紀の人類は自らの顔をクラウドサーバーに保存するのだ。世界中の発電所が停止しするその時まで彼彼女の顔は地球上のサイバー空間に残り続けるのだろう。僕らの文明が滅んだ後、次の文明はその様子を博物館で眺めるのだ。子どもたちはそのスケッチに余念がないはずだ。

子どもたちは自由だ。いや大人も。
またバスにのる。徐々に道路は大渋滞を引き起こし、バスの進行は徒歩よりも遅くなった。そうか今日は土曜日か。2階席から地下鉄駅の出口あたりを眺めているとこれでもかと人の群れが続いている。急ぐ旅でもないし、2階席から景色や人間を見ているのもまた楽しい。うとうとしているうちにトラファルガー広場が見えてきたのでバスを降りる。トラではなくライオンが迎えてくれた。たくさんの大道芸人たちが芸を競っている。空中浮遊棒男は世界中どこでも見かけるが様々なバージョンに進化している。胴元がいるのかなあ。

紅茶は何度もバッグをかき回す
すこしお腹が空いたので広場近くのカフェに入り、サンドイッチと紅茶を買って店内で食べる。昨日の大英博物館のランチは高いなあと思ったけど、そうでもなくどこでも同じくらいみたいだ。サンドイッチが3.75ポンドくらい、つまり600円とか。スタバ、あるいは映画館の売店で毎日外食をするって感覚かな。そんなこと考えたら昼間から豪勢にランチって気も失せてしまう。でも案外これくらいで十分な量なのだ。安いとつい食べ過ぎてしまう。アメリカの国民と肥満率とリニアにシンクロしていたのは実は食糧価格だったというレポートを読んだことがある。安ければ量を食うのだ。あるいはカロリーを無駄に摂取するのだ。大量に食えば太るのだ。この円安を納得するにもいろいろな技を使う。

イギリスは左側優先の大阪式
食べながら次に行くところを探す。そうだ世界の金融中心地、シティに行ってみよう。バスと地下鉄を乗り継いで東へと移動する。ロンドンの地下鉄はけっこう深いところを走る。日本と違って通路も四角ではなく丸い。長いエスカレーターを降りていきながら、大阪の御堂筋線みたいだなあと思い出す。そういえば大阪と同じく人は右側に立ち左側を急ぎ人が駆け下りていく。


シティの新旧ビルディング
かつてのビッグバンの中心地だからさぞ華やかなところだろうと想像してきたけど、ほとんど閑散としたシティであった。考えてみれば土曜日だ。高給取りたちはどこか日当たりの良い地方で日光浴でもしているに違いない(←偏見)。シティ・オブ・ロンドンはこの街でもっとも古い地区らしい。歴史的な建造物が連なる向こうに超高層ビルが見える。さほど悪趣味な感じは受けない。たとえば京都との違いは何なのだろう。そうだ、看板だ。派手派手しい看板や案内板、ひらひらするノボリといったものをほとんど一切見かけないのだ。京都だって気を遣ってるはずだけど、ロンドンの方が外観に対する考え方がもっと保守的な気がした。平日に来ればまた少し違うのかもしれないけど。

ギルドホール・アートギャラリー
少し歩くとギルドホール・アートギャラリーがあるというので足を伸ばしてみる。Googleマップさまさまだ。ただ緯度が高いせいか、高い建造物に囲まれると地図がすぐに不正確になる。だけどもう日が傾き始めているから方角はすぐに分かってしまうから脳内補正も楽だ。
美術館はここも無料だった。金融で財をなした人たちが買い集めた美術品を広く無料で公開する。儲けたお金の使い方としては悪くない。一方で彼らに搾取された民もいたはずだけど、人類はそうやってここまでやってきたのも翻せない事実だ。過去を善悪のみで語ることには限界がある。それらを踏まえてこれから先のことを考えるしかない。近代絵画が中心の展示を見て回る。絵心はあまりない方だけど音楽と違って一品もの、という迫力を間近に感じることができた。警備もほとんどなく、絵の10センチ前まで近寄ってみることができるのだ。カメラもお咎めなしだ。

ザ・シャードが天を突く
シティからテムズ河畔までは歩いてすぐだ。水の匂いを頼りに南下すると、川沿いの小径を地元の人らしい散歩組と、僕みたいなカメラ片手の観光客とがぞろぞろ歩いている。日曜夕方の鴨川べりな空気感。徐々に黄色みを増してむしろ黄金色に変わっていく夕陽(といってもまだ15時くらい)に照らされて刻一刻と変わる川面や雲は絶好のシャッターチャンスと見えて、誰もが日本製のデジカメや中国製のスマートフォンをあちこちに向ける。

軍艦が見えて驚く
ロンドン橋をくぐる。タワー・ブリッジとよく間違えられる、と書いてあるが確かにその区別はここに来るまで知らなかった。さらに東へ歩くと絵はがきでよく見るあの特徴的な橋が見えてくる。その手前には主砲をむき出しにした軍艦が停泊しているぞ何ごとか、と調べてみたら巡洋艦ベルファスト記念艦と書いてあった。観光地に大砲を掲げる軍艦を見ながら、生活と戦争の距離感が日本とは違うなあと思った。善悪は別に、起こったこと起こしたことから目をそらさずに生きていく方がよりまともなのかもしれない。これから先のことを考えるしかないのだ。

タワーブリッジと大勢の観光客
ロンドン塔に近づくにつれてますます観光客の数は増えていった。ちょっとしたお祭りのようだ。親子連れや団体さんが多い。いかにも接待な日本人ビジネスマンの群れも見かけたけどそれは少数派だ。まだぜんぜん日本人と逢わない。夏目漱石の書いた倫敦塔という短編を思い出す。たしか青空文庫で読んだんだ。100年前のロンドンを歩いた漱石の心細さを思い出す。僕はiPhoneとGoogleMapのおかげで彼のように道に迷うことがない。でも世界のどこかでまだ拷問や牢獄は続いている。

真っ赤なポピーに皆がカメラを向けた
カメラを手にした人々が集中している場所を見かけたので近づいてみると、その先には真っ赤な花の絨毯があるだけだった。強いていえば10人くらいの老人がそこを歩いている。隣の親子連れに「なにか有名な人なの?」って訊いたら「違うわよ、赤いポピーが綺麗だからみんな写真撮ってるだけよ」と。そうなんださすがガーデニングの国だ、日本の花見みたいなもんかしらだなんて気楽に僕も写真を撮った。ところが帰って調べたら第1次世界大戦での死者を追悼するイベントだった。そういえばトラファルガー広場でも赤いポピーを兵士の像に吹き付けるオブジェを見かけた。今年でWW1勃発から100年か。日本では第二次世界大戦の陰に隠れた感の第一次世界大戦だが、先日読んだ本によればその過酷さは凄まじい。いろいろと考えさせられる。

古い時代の二階建てバス
ロンドン塔の拷問部屋ツアーにも興味はあったが、ここでもまた長蛇の列で諦める。タワーブリッジまで歩こうにもだんだん日が暮れてきたし冷え込んできたので帰ることにした。トラファルガー広場までのバスをつかまえると、古いタイプの二階建てバスだった。例のごとく二階席に陣取る。家族連れらしい集団がどこのかさっぱり分からない言語で話している。不思議と内容が分かる気がしてくるから不思議だ。多分お互い観光客として同じバスに乗っているからだろう。想像力だけである程度のコミュニケーションは可能なのかもしれない。

上の男が寝返り打つとベッドが揺れる
トラファルガーでバスを変え、ホステルに戻る。今日から部屋が変わるのだ。案内された部屋はもう一つ上の階だった。ベッドは下。窓際でコンセントあるのが昨日より進歩だ。ここにあと3泊する。シャワーを浴びながら下着類を洗濯したりしてたら急激に眠くなり、少しだけ休もうとベッドに入ったらそのまま寝てしまった。次に目を覚ましたときはもう日付が変わっていたので今日は夕食抜きでこのまま朝まで寝てしまうことにした。

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