スキップしてメイン コンテンツに移動

2014年11月16日(日)ロックンロール・ウォーキングツアーとミュージカル鑑賞


午前中はピカデリーサーカスや中華街をうろうろ
11月16日日曜日。昨夜は晩飯も食べずに早く寝たわけだが当然のように深夜に覚醒。窓際のベッドに移ってきたのは良いが木製窓枠が完全に閉まりきらない(当然だが施錠などといった概念は超越している)状況でかなりCoolな状況であった。といってもロンドンは昼夜の気温差がさほどでもない。また凍えているのは僕だけのようだ。腹巻き、しょうちゃん帽に布マスクといったコスチュームで朝まで乗り切ることにする。それにしたって西洋人の寒さへの耐性は想像を上回る。

どうせ眠れないのだからと今後の旅の計画を練り始める。iPadに仕込んだガイドブックを読みながらiPhone使っていろいろ調べるという擬似的なマルチウィンドウがちょっと便利だった。ただ二段ベッドの高さが低いので、ベッドの上に身体を起こすと首が曲がったままの状態を強いられるわけで、始終寝たきりの状態で左右のディスプレイを眺めるというなかなかな環境であった。そして火曜日朝にここをチェックアウトした後はリヴァプールへ行くことにした。

何語で書いてあるんだろう?
今日は日曜日である。実は昨日トラファルガー広場で見つけた店で「ロックンロール・ウォーキング・ツアー」ってのに予約しておいたのだ。午後からはそれに参加する予定。他に特に予定は無く、夜も行き当たりばったりだ。さて今日も美味しい朝食を食べる。ここのスタッフは皆若くてとても元気だ。彼・彼女らの胸元に掲げられたネームプレートにはいくつかの国旗シールが貼られている。彼らは複数の言語を見事に使い分け、相手ごとにそれぞれの言語で対応しているのだ(残念だが日の丸マークは見かけなかった)。これもヨーロッパらしいな、と思う。コミュニケーションにおける言語という障壁は僕ら日本人が思うほど低くないのだろう。たとえこの先経済や、将来的に政治や軍事がEUとして統一されたとしても、言語までが統一される未来は想像がつかない。統一するほどのものでもない、のかもしれない。入口付近にの本棚にどこかの客が置いていったらしいHaruki Murakamiの古い本を見つけた。手に取ってみたが僕にはさっぱり読めない文字だった。僕にとって世界はまだまだ遠く広い。

バスは渋滞のなかをノロノロ
今日も24番バス。でも日曜日は平日とルートが違うようでずいぶんと遠回りをする。まだ早い時間だというのに道路は大渋滞でちっとも進まない。地下鉄の駅からは大量の観光客がこれでもかと吐き出されている。ロンドンは世界有数の観光都市なのだ。今日も2階席の先頭に座っているのだが、隣のおばちゃんはデジカメで盛んに外の光景を撮影し続けている。ストロボ消さないと窓に反射してしまうよって思ったけど、まあそれもお節介だろうしと眺めているだけで渋滞の退屈もしのげる。早い時間に出たのにもう11時になろうとしてる。

騎馬警官と二階建てバス
トラファルガー広場で降りて歩く。騎馬警官に乗った女性警官が笑顔をふりまいている。僕は中華街を歩いたりして時間をつぶす。どこもかしこも観光客でいっぱいだ。長い歴史を持つ街並みをきちんと残すことで世界中の人々を街に呼び込み、ひいては経済に繋がるのだという話を証明している気がした。もちろんどんな街でもそれが可能だとは思わないけど、京都や東京だったら可能だと思う。長く京都に住んだけど、いつも「街に住む人の生活と観光客向けの街並み保全」の議論が続いていたように思う。今でもそうなのだろうか。ここへきてそれも両立する可能性がある気がした。ロンドン子に言わせればこれでも文句があるのかもしれない。

今日のランチもサンドイッチ
お昼は今日もサンドイッチと紅茶を買った。でも今日は広場のベンチに座って食べることにした。しばらくしたら地元の学生たちがホワイトボードを持って質問にやってきた。アジア系みたいだから留学生なのかもしれない。何かのキャンペーンのバイトのようで「あなたは何から自由になりたいと考えるか?」と質問されたのでそれはエーリッヒ・フロムに関わる質問か?と洒落たつもりだが伝わらなかった。きっと発音が悪すぎたのだ。仕方がないので「普段の生活からだ」と答えた。どうだい、中年日本人らしい答えじゃない?
大道芸人たちは今日もダンスを披露したりギターを弾いたりして注目を集めようと必死だ。広場の鳩たちは僕の食べ残しを執拗に狙っている。



ツアーの出発を待つ
13時ちょっと前にOriginal Tourの店に入る。出発前に用を足しておこうと、ここにトイレはあるか?と訊いたら「トラファルガー広場に公衆トイレがある」との答え。また戻るのか。でも時間はまだあるので横断歩道を渡る。ドイツはどこもかしこも有料トイレだったけどロンドンは今のところ無料ばかりだ。
時間通りに戻ると、さあツアーが始まりますよ、と案内が。案内人の若い男、スコット君が自己紹介する。なんと客は僕を含めて3人だけだった。スタバを目の敵にするシアトルのおばちゃん、皮肉屋で現代ロックを頭から否定するカナダのおっちゃん、そして僕。すでにロックは中高年の趣味になっていることを実感するほかない。

案内人が僕ら中高年と歩く
ここ(トラファルガー広場の店)からスタートして2時間半ほどひたすら歩くウォーキング・ツアーだ。そんなに安いツアーではないのだが(5500円ほどするのだ)、解説パンフがあるわけでも無くひたすらスコット君の早口英語にすがりつくしかない。「俺あんまり英語得意でないんで・・・」とお願いしてみたものの、全くといってよいほど気にもかけずマシンガンのごとく喋り倒すスコットであった。ここから歩いて古いロック音楽ゆかりの建物を紹介するのだという。うちにはバスツアーもあるんだけど渋滞するし、ロック伝説の本当の良さなんて歩いてみなきゃ伝わんないのさ、みたいなことを早口英語で言っている。たぶん。
ジョンとヨーコが出会った場所

最初に連れて行かれたのはほとんど人通りのない広場の一角だった。ジミヘンが最初に演奏をした夜にクラプトンが自棄になって酒に酔ったパブの跡地です、とか。そのすぐ向かいにあるのが右の写真のインディカ・ギャラリー跡で、67年にオノ・ヨーコが個展を開いた建物だという。ジョン・レノンがそこにやってきて2人が知り合ったというエピソードを説明している。

ポールとリンダが出会った場所
どうして僕がそんな彼の早口英語を理解できているかといえば、古いロックに関する詳細な物語が思いのほか僕の頭にびしっと入っていたからである。小学生高学年や中学生だった頃、暇を見つけてはビートルズ関係やロック雑誌を何度も何度も読み込んでいた。当時の田舎町にはロックに関する情報なんてほとんどなく、月に一度本屋でミュージックライフやロッキンfを買っては読者投稿イラストに至るまで熟読していたのであった。内容なんてすっかり忘れていたと思ってたけど、若い頃の無駄な知識はそうそう忘れるものでもないらしい。
たとえ異国の早口英語であろうといくつかのキーワードさえグリップできればほぼ完全に脳内再現(多分に補正されてるだろうけど)されるのだ。僕は「ぇぇぇ、これがあの場所か!」みたいな、まるで韓流ドラマのロケ地を訪ねて涙するおばちゃんの心持ちでもってすっかりこのツアーを楽しんでいる。

ミックが通ったレコード店
小雨降るなか我らブラタモリ的なロック爺婆たちはロンドン市内を徘徊を続ける。ポール・マッカートニーが初めてリンダ・イーストマンと出会ったライブハウス、ミック・ジャガーが学生時代に通ったレコード店、そして映画Let It Beでルーフトップコンサートが演奏された旧アップル本社ビル、当時のファッション中心地カーナビー通り・・・



旧アップル本社ビル
いったい幾つの場所を回ったか憶えていないけど、ほとんどの場所は一度や二度ロック伝説の中で聞いたことのある話ばかりだった。何が驚いたって、それらがすべて歩いて回れる場所にあるってことだ。1970年代後半、日本列島の片隅で暮らす中学生男子は日々「こんなちんけな田舎街と違ってロンドンやニューヨークでは今こうしている瞬間にも新しい音楽が生まれとるとですよ!」などと独り言を呟いては、想像もできぬ大都会のあちこちでロックな生活を送る異人たちの光景を妄想していたのだった。

数々の名曲が録音されたトライデント・スタジオ
だが今体験しているのは、小さなパブやペンシルビルや、ひっそりとした一角に残るギャラリーが、ちょっと歩いただけで行き来できる狭い区画でロックが生み出された、という事実である。すげえ、とも思えるし、なーんだ、とも思える。これだけで聖地巡礼についての物語ができてしまいそうだ。今回のイギリス旅行には特にこれといったテーマを持ち込んだわけではなかったけれど、ここにきて急に盛り上がってきたぞ。「ロックの聖地巡礼」だ。今回はロックの伝説を巡った旅にしてみよう、と思いついたのだ。例によってテキトーだけど。

ZEPゆかりの中華街
さてあちこち歩き回った僕らも中華街の入口で解散となる。このあたりはLED ZEPPELINが結成された時の伝説にゆかりのある場所なのだそうだ。ただしスコット君はQUEENの大ファンらしく実のところあまり興味なさそうだった。現地案内人が語る内容だからといって必ずしもすべて真実とは限らない。まてよ、真実って何だ?どのみちもうその時代には戻ることなどできないのだ。伝説の本質は二次創作にある。世界のどの宗教を見てもそうだろうけど。

解散後、foursquareで見つけたカフェでトルココーヒーを飲みながらこれから何をしようかと考える。考えすぎて次に小さなコーヒーカップに口をつけたらほぼ粉になっていた。なんだこれは、と検索してみたら「トルココーヒーはイッキのみしよう」と書いてあった。とほほ。


トルココーヒー
今回持ち込んだカメラは去年秋葉原の路上中古店で買ったNikon COOLPIX P310とiPhone6の2台である(写真に日付が入ってる方がNIKON撮影)。6にしてからはコンパクトデジカメを別に持ち歩く必然性をほとんど感じなくなった。でも4.2倍とはいえズームが必要な時や、シャッター音を鳴らしたくない時などにはまだ重宝する。バッテリーもそうそう減らないし。まだちょっとだけ画質もよい。ただ今回はMacを持ってきていないので撮影した写真のバックアップだけは気になった。だからNIKONにはEye-Fiカードを装着し、時間があるとiPadにWi-Fi経由でコピーしている。そうするとiCloudとGoogle+に自動的にバックアップされる仕組みなので、たとえ身ぐるみ剥がれてもそれまでの写真だけは残るというわけです。てな作業をしながら粉っぽいコーヒーで暖まる。


TKTSでチケット半額
さっきまではロック伝説を歩いて辿っていたわけだから、音楽繋がりで夜はミュージカル観劇なんてどうだろう、と思いつく。日本を出る前にロンドン通の知人から「もしミュージカルを見るなら中華街近くの公園に当日チケットを半額で販売するところがあるからぜひ利用しよう」という情報を貰っていたのだ。検索したらTKTSというところらしい。あんまり遅い時間からのスタートだと途中で眠ってしまいそうだから早い時間から始まるのはないかなあ、でも英語わかるかなあ、なんて探してたら「ジャージー・ボーイズ」を17時からやるというではないか。これも初期ポップ音楽史がテーマだし。しかも幸運なことにこちらにくる飛行機の中でクリント・イーストウッド監督の映画を観てきたのだ。つまり物語はすでに頭の中にある。値段は・・・ちょっと高いけど、たとえ安くてもさっぱり内容が分からないよりマシではないか、と公園まで歩くことにした。

ピカデリーシアター
TKTSでは少しだけ並んで窓口のオジサンからチケットを買う。45ポンドと55ポンドの席があるがどちらが良いかね?迷ったら高い方だぜ、というのでここでけちっても仕方がないかと高い方を買う。ドミトリー数泊分の値段だけど・・・
劇場のピカデリー・シアターまでゆっくり歩いても30分以上前に到着した。地下の売店でビールを買って立ち飲みしながら周囲を見渡すとご老人ばかりだ。定価で買うと2万円もする娯楽なんだから若者には敷居が高いのかもしれない。いやそもそもミュージカルの題材が50年代ポップ音楽なのだから当然といえば当然か。

劇前にシアターのパブで一杯
自分の席を探すと驚くことに前から7列目のどセンターであった。めったに体験しないミュージカルだし良い席を買って良かった。左は老夫婦、右はギターを抱えた若いバンドマン風二人組だ。さっき老人ばかりだと思ったけどそれは劇前に飲んでいる人間に限られるのかもしれない。振り返るとさほど大きくないでもしっかりとした劇場はすべて完全な満席だ。ほどなく特徴的なピアノのフレーズとともに俳優たちが登場し、機内の映画で観たほとんどそのまんまの劇が始まった。たしかに英語のセリフは僕には難しかったけど、予習が効いていたので問題なくストーリーを追いかけることができた。会場と同じタイミングで笑えたし。

いよいよスタート。
実はミュージカルに対してあまり良いイメージを持ってこなかった。役者たちが唐突に踊りながらセリフを唄い出すという非日常感に慣れていないせいだと思う。でも今回のジャージー・ボーイズは一切そんなことを感じさせなかった。理由は劇中で歌われる歌がすべてもともとポップ音楽だったからであって、セリフが唄われることはなかったからだ。つまり彼らは演奏シーンを演奏しながら再現したわけです。だから僕なんかの初心者でも普通に楽しめたのだろう。

途中休憩を挟んで2時間半にわたる劇に僕はすっかり興奮し、最後は皆と一緒に総立ちで拍手していた。少数の役者さんがいろんな役を掛け持ちしながら演技したり歌ったり踊ったり楽器を演奏したりとそのクォリティの高さに心底驚いた。いったいどれだけトレーニングしているのだろう。この場に立つまでにはどれだけの人数がオーディションを受けたのだろう。

ジャージーボーイズ
僕の住む町において「観劇」という娯楽はまったく一般的でない。少なくとも日常的に「今日はミュージカルにでも行こうか」というセリフが交わされることなど皆無だろう。でもきっと江戸時代にはそんなに珍しいことでもなかった気がするのだ。映画やテレビといった代替メディアが出てくる前、人々が架空の物語を体験するといえばまず演劇だったのだと思う。役者になる、劇を作る、興行する、そんな社会的役割は今よりも存在感のある仕事だったのだろう。そんな背景の中でニュージャージーの少年たちが目指したミュージシャンという職業について描かれた作品を観ながら二重に感銘を受けたのであった。それにもうひとつ、ここロンドンにおいて観劇という娯楽はいまだ日常的なものだということに驚かされた。あるいは日本以外のどこでもそうなのかもしれない。ある一定の数の役者を抱えて転がっていく都市文化って案外素敵だな、などと認識を新たにした。


パブでパッタイ
バスでホステルに戻り、シャワーを浴びたあと一階のパブで黒ビールとタイ料理のパッタイを頼んでむしゃむしゃ食べた。2つでちょうど10ポンドだ。このドミトリーは格安だけどけっこうこのパブで稼いでるのだろう。街中の喧噪を体験した後はついここに帰ってきたくなるのだ。値段も安いしそろそろ顔なじみになりつつある店員も増えた。何よりも風呂上がりにサンダル姿で飲めるのが良いじゃないか。なんて書くと夜更かししてサウナに泊まるサラリーマンのようだけど。

コメント