スキップしてメイン コンテンツに移動

2014年11月18日(火)列車に乗って港町リヴァプールへ。博物館を巡る。

リヴァプールまではVirgin列車で

例によって深夜に何度か目を覚ましたけど、Kindleで読書したり(部屋を明るくしなくても読書できるって意味で電子書籍はドミトリー向きなのである)この旅日記のネタ帳を書いている(Evernoteに写真とコメントだけ書いてそれを日本の妻と共有ノートにしてるのだ)うちに眠くなった。明るくなってからは荷物をまとめ始める。今日でこのホステルはチェックアウトだ。財布を開けて現時点での財産チェック。持ち金は215ポンドであることが判明。4万円といったところ。空港で7万円両替したので5日間で現金を3万円ほど使ったことになる。旅程はあと1週間だからペースとしては大丈夫か。まあホテル代などの大きな費用はクレジット決済してるし。

ベッドはこのような状態に
4泊したTravel Joy Hostelsのチェックアウトはあっけらかんとしたものだった。特に追加もないし、カード決済すらしなかった(チェックイン時に預けた3ポンドがコインで戻ってきただけ)。Booking.comで予約したのでそちらに登録したカード情報を使うのだろう。バスにのってヴィクトリア駅へ行く。チケット売り場に並んでリヴァプール駅までのチケットを買うのだ。

有効期間1ヶ月の往復券

窓口に座るおそらくはインド系のおじさんに「リヴァプールまで大人ひとり」と伝えると、78ポンドだとの答え。噂通り安くはない(350kmで15,000円くらいだから日本の新幹線の1.5倍くらいか)。もうちょっと安いチケットはないのか?と尋ね返すと「貴殿は帰りはどうするのだ?往復なら安くなるのだがね」と。具体的に幾らなの?と訊けば「帰りは1ポンドになる。つまり片道なら78ポンド、往復チケットなら合計79ポンドだ」という驚くべき答えが返ってきた(そういえばそんなことをガイド本で読んだ気もするが忘れていた)。リヴァプールの次はどこへ行くかなんて考えてなかったからとりあえず片道を買おうと思ってたのだけど、どうせ1ポンドしか差がないのならとりあえず往復で買っておくかってんでリヴァプール・ロンドン間の往復チケットを買う。

Virgin列車の普通席
地下鉄でユーストン駅へ移動する。リヴァプールへはこの駅から出発するのだ。案内人にチケットを見せて尋ねると、このプラットフォームだと指さされ、長いスロープを降りていくとチケットをあらためるおばちゃんがいて、普通席はあっちだ、と指さされる。みな案外親切ではないか。民営化された結果、レコード会社からF1果ては宇宙旅行まで挑戦中のVirginが走らせてるせいかもしれない。自由席と指定席の区別はなく、シートの上にある小さなディスプレイにReservedと表示されてなければどこに座っても良いらしい。シートは回転しないので窓側シートでロンドンを振り返りながらリヴァプールに向かうことになった。

産業革命前に木材を伐採しまくった結果でもある
イギリスらしくこじんまりとした車内は快適だ。窓の外は次第に都会から近郊の農地、そしてどこまでも拡がる牧草地の光景と移り変わり、分厚い雲もどこかに消えて美しい青空が広がってきた。となりのテーブル席ではタブロイド紙を広げながらタブレットを弄っているビジネスマン二人がときおり何かを話しているが知り合いといった風でもない。どこからか中国語の笑い声が響いてくる。

リヴァプールとロンドン各都市の距離
iPadでGoogleMapを眺めていると、ロンドン・リヴァプール間の距離ってロンドン・パリ間と変わらない、ということに気がついた。地図を見ながらイギリスとフランスとの古い歴史を思い起こしたりリヴァプール出身のビートルズに思いを馳せたりしてるとなかなか面白い。ブリュッセルやアムステルダムとロンドンの距離も同じくらいだ。ヨーロッパの狭さ、イギリスの意外な広さに目を見張る。そういえば小学生のころはジャポニカ百科事典の世界地図帳を眺めるのが大好きだった。でかくて重かったけど、今やそれをポケットに入れて持ち歩けるんだから便利な時代だ。

2時間15分でリヴァプール到着
目的地は終点なので僕もリラックスしてときおり居眠りしたり、スマホでリヴァプールの情報を眺めたりしているうちに2時間15分が経過、僕はリヴァプールライムストリート駅に降り立った。ちょうど正午を回ったばかりなのだけど、すでに影が長いのはここが北緯53度という日本の回りでいえばサハリンとかハバロフスクあたりの、より極地に近い場所だからなんだろう。反対に夏だと朝5時から夜9時まで明るいらしい。

リヴァプールライム駅
古い遺跡のような駅舎をガラスで覆ったライム駅から宿に向けて歩き出す。ロンドンに比べるとどこか落ち着いている街だなと感じる。何となく空気も澄んでいる気がするし、常にどこからかカモメの鳴き声が聞こえてくるのだ。それになんか時間がゆっくり流れている気さえするのだ。勝手な思い込みも手伝ってるのだろうけど。Booking.comで予約したのはマシューストリートに建つHaox Liverpoolというホステルだ。ちょっとメタリックなデザインのオシャレなドミトリーは1泊2000円くらいのお手頃な値段だ。もう部屋には入れるというので指示された4人部屋に荷物を置く。

マシューストリート
ホステルの外に出るとそこはあのマシュー・ストリートだった。デビュー前のビートルズが演奏したり飲んだりしてた狭い通りです。なんだか工事中で今ひとつぱっとしない暗い通りなのは昔ながらの雰囲気なのだろうか。有名なキャヴァーンクラブのネオンも光っていた。そこは夜に取っておくとして、まずは通りを抜けてマージー川方面へと歩くことにした。身を切るような寒さに思わず首をすくめると頭の上をカモメたちが鳴きながら飛んでいく。通りの建物はどれも中世のような石造りで歩いている人もさほど多くはない。大きな通りの信号を渡るとそこは再開発された川沿いの観光地だった。

マージー河畔
マージー川はもちろんマージー・ビートの由来となったマージーであって、しかしちっとも川のように見えない大河であった。むしろ湾と呼んだ方がしっくりくる感じ。平日のせいか観光客よりも市民の散歩する姿の方が多い気がした。まだ1時過ぎだというのにもう夕方の光に満ちている。この湾の向こう100kmほどにはアイルランドという別の国があるわけだ。僕の育った八代市にも球磨川という大河が流れており、川沿いに住んでいた僕は毎日のように散歩しながら日が暮れるのを眺めていたのだけど、でも川の向こうにあるのはいつも天草諸島であって、けっして異国ではなかった。カモメも飛んでなかった気もする。

リヴァプール博物館の威容
まるで松本零士のマンガに出てくる異星の研究所みたいな建物はリヴァプール博物館だ。まずはここでこの街について少し勉強しておこうかなと。ここも入場無料だ。館内には思ったより多くの人がいて、団体の学生らもたくさんいた。写真も取り放題とのこと、有料で撮影禁止が基本の日本の博物館とはそもそもの設立動機からして違うんだろうなあと考えさせられた。館内のマップを買いませんか、と受付の男性が言うので、だったら、と買ったのはちょっとしたドネーションのつもり。1ポンドだけど。

博物館のレストランでランチ
館内を巡る前に少しお腹が空いたので博物館のレストランでランチすることにした。よく分かんないのでパニーニを選ぶ。気のせいかもしれないけどスタッフがロンドンより親切な気がした。若くて美人だっただけかもしれません。ミネラルウォーターと合わせて900円くらい。まあ安くはないけどそれは日銀のせいであって美女スタッフに問題はない。思いのほか満腹になってしまった。今回はあんまり食べない旅になってきたぞ。ビールもそんなに飲んでないし。

博物館から見る街並み
博物館からは「ここはビートルズとフットボールだけの街じゃないんだぞ」という気概を感じてちょっと面白かった。単なる羅列と説明ではなくいかに印象深く記憶に残すかを計算した立体的かつポップな展示は、子供はもちろん僕みたいに英語を母国語としない異邦人にもダイレクトに伝わるものだった。長い時間ではなかったけど、歴史ある貿易港の概略を掴むことができた。なんて考えつつ窓の近くに歩いてくると、目の前に青空と古い石造りの建物が広がり、なんだこのSF的な景観は、と嬉しくなってしまった。どこか古代文明の惑星に不時着した宇宙戦艦の艦橋みたいで(ガキかよ)。

マージー川は海みたい
博物館を出るとすっかり傾いた太陽がマージー川に沈もうとしているところだった。昨日ロンドンで見物にいったBilly Furyの像が建っていて、その前で高齢の夫婦が友人に「こいつとは昔飯くったことあってだな」「そうそうあたしはチケット係してたのよ」みたいな会話をしてて(たぶんだけど)、おおやっぱりここはロック発祥の地のひとつなんだなあと実感したりである。気温はぐんぐん下がって今すぐにでも夜が来そうだけどまだ午後3時だよ。近くにビートルズ・ストーリーという博物館があるみたいだからそこへも行ってみることにした。

アルバートドック
運河を囲む再開発地区、アルバートドックの中でちょっとだけ迷い、Beatles Storyの標識に従うと入口が見えた。ここは無料ではなく3000円弱の入場料を支払って中に入る。幸い日本語の音声ガイドを借りることができたのでこれは楽だ。良くできたガイドに従って館内を古い時代から順に回る。ずいぶん前に同じような体験したなあ・・・と考えてたらそうだ2000年ころ出かけたさいたまスーパーアリーナのジョン・レノンミュージアムだ、と思い出した。でもこっちの方が圧倒的に詳細だ。

再現されたキャヴァーンクラブ
ポールが生まれて初めて手にしたギターなんてのが飾ってある。ジョージのも。時代をおって50年代から80年代までを追体験していくのだけどなんか懐かしい(といっても僕は65年生まれで実際にビートルズを意識して聴いたのは76年くらいからなんだけど)体験となった。特にキャバーンクラブを再現した部屋ではけっこう良い音質で古い彼らの音源が流されていて、椅子に座ってぼーっと聞き入ってしまった。思った以上に狭いステージで繰り広げられた喧噪がその後数年で世界中に広まっていっただなんてなんか面白い時代だったんだろうなあって。
さっき博物館で見た第一次世界大戦の壮絶な記録や、彼らの恵まれていたとは言えない少年期の経験なども脳内を駆け巡り、優れた芸術なんてのは破壊の後に生まれてくるのかもなあ、なんて考えながら。

こんな狭いスタジオで録音したのか
一日で録音されたというデビューアルバムを製作したアビーロードスタジオも再現されていたりして、なんともまあ狭っ苦しい場所で録音したものだと驚いたり。また当時のオープンリールレコーダーもでっかい机みたいな代物で、でもしかしこれって昔の歯科医院で見かけたレントゲン装置なんかに共通するデザインかもね、時代的にも昭和30年代だからそんなもんか、だなんて自分の仕事と結びつけてみたりすると、身の回りの時代感が捻れていってちょっと不思議な感覚となる。

60年代初期のレコーダー
55年前といえば第二次世界大戦が終わってまだ15年後だし日本でいえば昭和35年とかだ。僕の両親は当時25歳くらいの独身だったはずだが今でもピンピン元気なわけで、ジムに行くとそこで圧倒的多数を占めて踊り狂っている団塊世代は当時10歳ちょっとだったりしたわけで、要するにまだ当時のことを普通に憶えてる人が身の回りにたくさんいるはずなんだけど、テクノロジーや音楽といった分野では圧倒的に昔のイメージなのも重なり合って、なんかその妙な捻れ具合が面白くて、展示物を見るたびいろいろ思いを馳せるのが楽しかった。

良い仕事したよね
客層が良かった。どの部屋にいっても始終キスばかりしてる若くて美しいゲイのカップル。古い写真ひとつひとつに目を輝かせ「これ、John」とかってなんども繰り返す車椅子の青年とその背中をさする母。いかにもさえない感じの独り身の中国男。無精髭の中年日本男(僕)。こいつらみんなを喜ばせた君たちはつくづくナイスな仕事を残したんだぜ、と言いたくなった。

ヴァプールの繁華街
気がつけばもう2時間半もここで過ごしているのだった。外に出ると当然そこは真っ暗で、観覧車が夜間照明で光っていた。川岸から街に戻ると繁華街は少し控えめなクリスマス・イルミネーションが施されていた。思った以上に冷え込んできたので防寒体制を補強しなくてはと安そうな衣料店に入り、最も安いマフラーを購入(日本から持ち込んだネックウォーマーは大英博物館に寄贈してきたようなのだ)。1,300円くらいだったけど、なぜか装着してみたらワッカになっているタイプであった。流行ってるのかな。エジプトのミイラみたいに首から頭までグルグル巻きにしてしまうとずいぶん寒さも和らいだ。

パブFlanagans Appleで一杯
マシュー・ストリートに戻り、宿のすぐ向かいにある「Flanagans Apple」というパブに入って、ビールを一杯、二杯。食事はシンプリーチキンってのを頼んだ。全部で2,000円くらい。テレビ画面ではサッカー中継やってて何やら盛り上がっている。急に暖かいところに入ったせいか、それともビールが強烈なのか、それに睡眠不足も手伝ってすっかりふらふらになってしまった。シンプルにすぎるチキンもギネスビールと良く合って僕は上機嫌。


HOAXのオシャレなベッド
ホステルに戻り、部屋に入ると4つあるベッドのうち1つに誰かが寝ている気配があるのだが頭から毛布を被ってピクリともしない。たしかにえらく冷えている。窓際のオイルヒーターを触ってカンカンに冷えているのだ。あちこちスイッチを弄ってもメインが入ってない感じだ。もう一度受付に戻って、部屋が寒いんだが、と伝えるけどオンラインでヒーターの動作が確認できるらしく、しばらく待つと暖まるさ、みたいな返事。仕方がないので地下にあるコインランドリーで1週間分の洗濯をして待つことにした。

コインランドリーだ

これまではシャワーの時間に下着類を洗濯石鹸でこすって絞って干したら終わり、だったんだけど今日は盛大に全自動洗濯機+乾燥機でふわふわじゃーと意気込んでみたがさっぱり使い方が分からん。おまけにイギリスのコインは何が何だかさっぱりわからんのだ。また受付に行って小銭に両替し、洗濯機をどうにか回し始めるとあと50分後に終了、との表示が。その間ここにいても仕方ないし、部屋に戻っても寒いのでホテルのパブに行くことにした。

ホテルのパブを独占
自動音声がデカイ声で喋るメタリックなエレベーターで地下に降り、裏口を開けるとけっこう広いパブだった。だが客が一人もいないのだ。いや客ばかりか店員もいない。まいったなあ、と勝手に椅子に座り文庫本を広げたらしばらくして若い男の店員がやってきた。やってるの?と尋ねると、もちろん、と。じゃあスコッチのロックでもくれるかなとお願いすると、OKといって酒をどこかに取りに行ってしばらく戻ってこなかった。もしかしたら買いに出かけたのかもしれない。テレビではどこかのサッカー戦を中継している。
しばらくするとまたさっきの店員がやってきて、「このあたりのパブにはもう行ったか?」と尋ねるので、ああさっき1軒だけねと答えると、僕をわざわざ玄関先まで連れ出して(寒かったよ)、「あっちが有名なGreenで、その向こうがキャヴァーンクラブね、アップルはもう行ったんだよね、裏手には美味しいレストランもあるよ」などと親切に教えてくれた。何だったんだろう。この店はヤバいからもうこない方がいいよってことなのかなあ。

ようやく50分経ったので洗濯物を今度は乾燥機に入れ替える。また50分待てとの表示。部屋に戻り明日から何しようか、なんてiPhoneで計画を始める。ようやく50分経ったのでまた地下に行くとなんとコインだけ入れてスイッチを押し忘れていた(涙)。あらためてスタートボタン押してもう回収は明日の朝だよなって部屋に戻ったのだけど、同室のおっちゃんが壮大ないびきを始めたのと、ホステルのすぐ目の前にあるクラブ?の大音量(特にベース音)がズンズン響き渡って目が冴えてしまった。けっきょく50分後にほかほかの洗濯物を回収しに地下室へ行くことになった。もう夜中の1時だ。明日はバスツアーに参加する予定。早く寝なきゃ。

コメント