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2014年11月20日(木)ペニーレイン、博物館、街歩き、あら風邪ひいたかも。

ペニーレインの交差点
やばい。喉が痛い。唾を飲み込むだけでも激痛だ。100円ショップで買った3枚入りの布マスクを1つおろして完全防備で二度寝を決め込むがまた目を覚ましても喉は痛む一方だった。仕方なくベッドから出ると向かいの男も起きたようだ。何やら一所懸命に話しかけてくる。だが悲劇的に言葉が通じない。「俺はイタリアから来たんだ、この近所でピザを焼くためにな、昨夜は寒くなかっただろう?俺が温度を上げたんだ、良かっただろう、ゴホッゴホッ」とまあだいたいそんな感じのことを言っていたように思う。伊英辞典らしき本を必死にめくって出てきた英単語を繋げるとたぶんそんなところだ。
わが宿Hoax Liverpool
だが問題は最後のゴホッゴホッである。僕の喉に居着いたのは彼の長靴半島に由来する病原体に違いない。一刻も早くここをでなければと引きつった笑顔でチャオーと部屋を出てフロントへ。やっぱりふらふらする。ふらふらするのは疲れが溜まっているのか熱発しているのかあるいはその両方だ。要するに侵略は完了しているのだ。本当は今日チェックアウトしてどこか別の街へと考えていたけどもう一泊ここに泊まって身体を休めた方が良い気がした。聞けば今までと同じ料金で今夜も空いているという(2200円くらい)。今夜もイタリア男と一緒になるのか少し気になったけど、今さらどうなるわけでもないし聞かなかった。


マクドナルドで朝食
厚着をして朝の街を歩く。やばいふらふらする。昨日行ったラジオタワーが生えているビルのフードプラザに入った。とりあえず寒くない。まだほとんどのお店が開いてなかったけどマクドナルドとサブウェイが並んでいたのでより簡単そうなマクドナルドへ。Breakfast Wrapという日本では見かけないメニューをコーヒーと一緒に頼んでみる。セットで600円くらい。美味しかったし暖まった。日本でも販売したら良いのに。日本から持ってきた葛根湯をコーヒーで流し込むとなんだかこれ美味しいじゃないか。味覚も変になってきたのか。

バスに乗ってみた
さてと。少し元気になったことだし、このままドミトリー戻っても退屈だからどこか行こうかなって気になってきた。そうだ昨日ツアーバスで通っただけのペニーレインにもう一度行ってみよう。特に何があるってわけでもないんだろうけど。GoogleMapで調べるととても歩いて行ける距離ではない。でも近くからバスが出ているのでそれで行ってみようか。ロンドンではオイスターカードで乗り放題だったけど、ここでは現金で乗るしかない。どうやって料金とか分かるんだろうって不安だったけどとりあえず乗ってみる。運転手さんに行き先のバス停を告げると2.2ポンドだよと告げられたので払おうとしたがこれまたコインの種別に苦労する。で、いつものようにじゃらんと小銭入れを開けて選んでもらう。アジアだとこういうことしないけどイギリスだと大丈夫だって思ってて。

有名なペニーレインの床屋さん
田舎道をけっこう遠くまで走る。ちょっと朦朧としてる僕はまるでジョンの家に遊びに行くメンバーの気分だ。iPhoneアプリに従ってバス停で降りると近くにジョンと最初の妻のシンシアが毎週金曜日に会ってたという街角があった。閑散としている。木曜日の朝だからかもしれない。それから昨日通ったペニーレインの歌詞に出てくる銀行や床屋が立ち並ぶコーナーへ。髪も髭も伸び放題だしせっかくだから入ってみようかとも考えたけどあいにくまだ開店前だったようだ。ショーウィンドウに小さく「あの曲に出てくる店はここです」って書いてある。でもだからといってペニーレイン饅頭のノボリがひらめいたりしてるってことはない。僕のほかに見物客らしき姿も見かけない。ほんとになんてことないけど、そのなんてことないところを見たかったのだ。

ジョン・レノンが生まれた家
アプリの紹介するほかの場所にも回ろうかと思ったけど、ロンドンと違いどこへでも歩いて行ける距離というわけではない。とりあえず一番近いジョン・レノンの生家にまで歩いてみた。ジョージの生家と似た感じの長屋だった。1940年に生まれた彼はここで母Juliaと祖父と暮らしたそうだ。父フレディーは船員としてほとんど海に出て会ったことがなかったと。そして1945年にはミミおばさんの家に引き取られることになる。ずいぶん前に映画館で、そして先日HuluでみたNowhere boyのシーンを思い出しながら、誰も歩いていないその辺りをうろうろした。考えてみたら日本には1940年頃の都市住宅なんてほとんど残ってないだろうなあ、なんて考えながら。戦争や地震もあったろうし、何しろ30年くらいで建て替える文化だもの、それが良いのかどうかはわからないんだけど。

リヴァプール・ワン
ほかにやることもないのでまたバスで戻る。ドミトリーで同室だったイタリア男が働いてるというLiverpool Oneというモールまで乗ってみることにした。着いてみるとこれまたどこにでもあるようなショッピングモールだ。イタリア料理らしき店は2つほどみつけたけど彼の姿はなかった。驚かせようと思ってたのに。まあ会っても話は通じないのだけど。これといって買うべきものもないし、歩いてるだけでも疲れてしまうしでも部屋に戻っても仕方がないしって歩いてるうちにマージー川の近くまで歩いてきてしまった。

イギリスからから植民地へと
渡った子どもたち
昨日行ったマージーサイド海事博物館にもう一度入ってみることにした。まだ観てないところがたくさん残っていたからだ。まず1階受付すぐ横に展示されていたOn their own - Britain's child migrants コーナーに入ってみた。最初はなにを説明しているのかさっぱり分からなかった。でも証言ビデオや展示された古い旅行カバン、そしてたくさんの説明書きを読むうち、19世紀後半から100年間ほど、多くの少年少女たちがイギリスからカナダやオーストラリア、ローデシアなどの植民地に親元離れて移住していったという事実を知った。その多くは親の貧困あるいは孤児であったことがきっかけだった。当時のイギリスは子供たちの人口問題に悩んでいたのだ。今の日本と真逆に。

博物館には意義がある
南へ向かう大型旅客船で見知らぬ子ども同士が交流する楽しげなフィルムも見たが、植民地で過酷な労働に携わった悲劇も知った。狭い国土に増えすぎた子どもたちと、一方で慢性的な植民地での労働力不足(アメリカ南北戦争の影響もあったのかもしれない)という国際のバランスが10万人以上の子どもたちの人生を変えたのだ。知らない歴史だった。イギリスに限らず世界中で起こっていたことなのだろう。もちろん日本やその近隣でも。国によっては今でもそうなのだろう。自分や自分の子供だったらと考えると胃が痛む。しかし人類はずっとこうやって生きながらえてきたことも事実だ。まず事実を目にすることは重要だと思った。善悪についての判断など簡単なことではない。

タイタニック遭難者名簿に細野さんが
ほかの階ではリヴァプールにおける造船の歴史、この街に籍をおいたタイタニックに関するさまざまな物語と資料、アメリカ南北戦争とリヴァプールとの意外な関わりなど、多様な展示や説明が並び、時間を忘れて歩き回った。説明書きは英語だけど子供にも読めるように簡単な単語しか用いられてなく、ちょっと時間をかければだいたい読めるようになってきた。慣れだなって思う。帰国した瞬間その感覚は消えてしまうんだろうが。
タイタニックに関して、遭難者名簿が張り出されており、そういえば、と探してみたらHOSONO姓がしっかり残っていた。YMOの細野晴臣氏の祖父が乗船していたって話をふと思い出したので。

美術館TATE
近くの美術館TATEにも寄ってみた。若者たちがたくさんいて自分たちの作品を展示したりほかの作品を注視したりしていた。ポール・マッカートニーが寄附した母校の生徒たちみたいだ。荒くれ男たちの港町がこうして芸術の街に変わっていくのも人類の希望なのかもしれないとさえ感じた。アンディ・ウォホールの展示もやってたけどちょっと高かったので入らなかった。歩き疲れてもいたし。それに暑かったのだ。ユニクロのヒートテックインナーの効き目は強烈すぎて。発熱してるのかもしれないけど。


Copenに出会うとは
美術館を出て駐車場の横を歩いているとかれこれ11年も乗っている愛車のシルエットが見えて思わず立ち止まった。ダイハツコペンだ。まさかここで目にするとは。よくぞこんな小さなクルマを買ってくれたなあって思ったけど、ミニはこっちが本場だもんな。昨日はここにランボルギーニ・ウラカンも停まっていた。といっても僕はあんまり詳しくないので写真を撮って大学生の息子にLINEしたのだ。日ごろ既読スルーが通常進行な彼も珍しく「それはウラカン」と即レスしてきたのだ。

カスタムスポーツカーMONO
そのまま歩いてたら今度はヒルトンホテルの前に珍しいF1みたいなクルマが停まっていたのでまた写真を撮って息子に送る。すると今度は「BAC-monoというカスタムカーだ」と即レスが。なんでそんな詳しいんだ?とかしばらく日英LINE合戦が続いた。おまえも海外旅行すれば良いじゃないか、とか。今の子はあんまりそういうの興味ないのかな。親がこんなんだから動きにくいだけかもしれない。時代は変わるようで人間はさほど変わらないからそのうちにいつかきっと。

風邪には黒ビール?
路上ミュージシャンと銅像
マシューストリートに戻ってきた。デビュー前のビートルズがたむろしていたというThe Grapesってパブに入ってついビール頼んでしまう。今度はビールで葛根湯を流し込む。黒ビールとは割と合う気がしたんだけど。地元客よりも年配の観光客が多い気がする。店内にはたくさんの写真。僕はまだ息子や妻とLINEでやりとりしながらほろ酔い気分を楽しんでいる。だんだん気分良くなってくる。ジョンは僕の25歳年上だ。つまり父母の5歳年下だ。今月初めに20年ぶりにバンド再結成ライブやったけどそのボーカリストの10歳くらい年上なんじゃないかな。そう考えるとぜんぜん伝説とかじゃないもんな。この店で飲んだくれてる客がFab4の遊び友だちであっても別に驚かないわけで。そんなうだうだ考えながらときおり文庫本を読んだりして今日はちょっとオフビートな休息日だ。

焼きそば的な夕食
夕飯はちょっとアジアンな感じのファストフード店Ichi Noodleで焼きそば的な何かを食べる。暖まった。ホステルに戻るとイタリア男の姿はもうなかった。今日は4人部屋を僕が独占できるみたいだ。暗くなってくると例によって隣のクラブから轟音が漏れ聞こえてきた。明日のチェックアウトに備えてもう一度地下のコインランドリーに行って洗濯三昧をはじめる。機械が動いているあいだ、フロントの共用パソコンで自社サーバーにアクセスしてみてちょっと仕事してみたり。最近のWindowsってなにもしなくても日本語表示できるのか、なんて驚いたり。

ホテルの共有パソコンでODML
とにかく体調回復が最優先だ、早く寝ないとって思うんだけど、妙に気が張ってて寝つけない。同じ業界のTwitter友だちがバンコクに行ってるって呟いてたのをみつけて、こちらイギリス〜なんてしばらく会話してみる。地球は狭くなったなあと実感する。100年前の移民の子どもたちが聞いたらどんなに羨ましがることだろう。
眠れないので明日の予定を立てることにした。マンチェスターへ移動しよう。明日までに元気になってたらよいけど。

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