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2014年11月21日(金)雨の極寒マンチェスターへ移動し科学産業博物館で過ごす


雨のマンチェスターへ
11月21日金曜日。3日間を過ごしたリヴァプールから40kmほど隣のマンチェスターに移動することにした。理由はさほどたいしたことではなくて、ロンドンで列車の往復チケットを購入した際、係員が「帰りはマンチェスターから乗っても良いよ」とか言ってたことを思い出したからだ。ガイドブックを読むと「科学産業博物館には行くべし」って書いてあったので、ああそれもいいなあって。列車で行こうかと考えたけどやっぱり高価だしなあといろいろ探してたら都市間バスが走っていることがわかり、そりゃ気軽でいいなあってことでバス移動に。

コーチステーションでチケット購入
3泊したホステルをチェックアウトし、1kmほど歩いてリヴァプール・コーチステーションへ。バスセンターです。チケットの自動販売機が並んでおり案内人のおばちゃんに聞いたら親切に買い方を教えてくれた。わずか7ポンドで行けるというからラッキーだ。しばらくすると大型バスが到着、中ほどの窓際に座る。客は数えるほどしかいない。運転手は外に出てコーヒー片手にリンゴスターばりのリヴァプール訛りの英語で男同士笑いあっている。

売店で買った朝食と葛根湯
マジカルミステリーのテーマ曲が流れることなどなく静かにバスは出発した。僕は売店で買ったサンドイッチとミネラルウォーターで簡単な朝食をとりながら葛根湯も飲んでおく。喉は相変わらず痛いままだし、何となく疲れも溜まっている。しばらく寝ていこうと思ったけどうまく寝つくことができず鉛色の分厚い雲ばかりが続く空を淡々と眺めていた。こんな景色ばっかり見てたら皮肉っぽくもなるだろうし、でもだからこそここでロック音楽が爆発したのかもしれないし、もしかしたら産業革命だってそのせいかもしれない、なんて妄想膨らましたり。

バスは快適だけど狭い
GoogleMapで現在地を確認しながら外の景色を眺めるのは楽しい。でもどう考えても最短ルートではなくずいぶん迂回してマンチェスターに向かっているようだ。もしかしてバスを間違えたか?まあそれでもいいけど、なんて考えてたら次は空港だという。そうかマンチェスター空港に寄るために南回りしてたのか。空港に着いたらたくさんの人が乗り込んできた。空港バスでの役割も果たしているらしい。このバスは革張りシートでとても座りやすいんだけど、前後左右の間隔がわりと狭い。島国サイズってことかもしれない。
リヴァプールとマンチェスター
日本のバスに比べてもそう感じるから体格の大きな西洋人にはさぞ辛いことだろう。アメリカ大陸はトイレに行くだけで「なんでこう何もかもデカイんだよ」って思うけどここではそんなことは感じない。むしろ意外なほど日本サイズだ。

ヒルトン通りにあるホステル受付
マンチェスター・コーチステーションに到着。Booking.comで予約していたホステルまでGoogle Mapを頼りに歩く。霧のような雨だ。まだ午前中なのでとりあえず荷物だけ預ける。今までになく若者が多い印象の受付だった。ドミトリーもここで3ヶ所目となるわけだけどだんだんと雰囲気に慣れてきたというか、普通のシングルルームに泊まるのがもったいなくも寂しい気すらしはじめたのだから面白い。

「これだけは譲れない」とか「それは絶対に耐えられない」とかって言葉をこれまで気軽に口にしたりもしたけど、そんなこだわりなんてのはほんの数日でどうにでもなるって気がしてきた。旅は贅沢に慣れきって無駄に神経質になってしまった自分をリセットさせるものなのかもなあ、なんて思う。

マンチェスターのトラム
まずは科学産業博物館へ行こう。雨も上がったみたいだから歩いていく。距離にして2.1kmというからちょうど暖まるくらいだ。目に入るのは路面電車だ。そこそこなスピードで特徴的なクラクションを鳴らしながら道をかき分けていく。なんとなくだけど僕はいまイギリスではなくドイツの街を歩いてる感覚にとらわれてしまう。なぜだか分からないけど。

どこに行っても観覧車
大きな観覧車がここにもそびえ立っている。ロンドン、リバプールに続いて観覧車を見かけるのは偶然なのか英国人は高いところが無性に好きなのか。それにしてもあの観覧車の回転速度はどういうことだ。1日乗り続けて降りたら10年くらい経ってそうなそんなスピードで回っている。

華やかな市街地
繁華街を通ると移動販売車がたくさん並んでいて、美味しそうなケーキや揚げ物の匂いを漂わせている。フランスやドイツ風味を売り物にした露店が多いようだ。そういえばイギリス人って自分たちのことをヨーロッパに含まれてないって考えてる節がある。僕らだって日本はアジアに含まれてないって考えてしまいがちだし、そんなもんか。

赤煉瓦の駅舎と高層ビル
さらに歩いていくとだんだん寂しい光景になっていく。赤れんがの巨大な駅舎の向こうに超高層ビルがそびえ立って光景はどこか東京っぽい。赤れんがの東京駅みたいなのだ。そもそも東京駅が西洋建築を取り入れて建てられたものだし、世界各地で高層建築が建てられ続けているのだから当然と言えば当然なのだろうけど、巨大なユーラシア大陸を挟んだ東西の島国の風景が似ていくってのは面白い。人類の文化ってのは世界のあちこちを行ったり来たりしながらお互いに影響を与え合って変化していくものだと実感する。日本にはまだまだ大勢のビートルズファンがいるし英国にもきっとたくさんのアニメファンがいるように。

MOSI科学産業博物館
さてMOSI科学産業博物館に到着した。とにかく寒いので中に入る。ここも入場無料だ。受付で金髪青年にドネーションはどうだい?って笑顔で挨拶されたので「もちろんでござる」、とここで日本人の心意気を見せつけるように3ポンド寄附だぜ。貴殿らの知見や技術を惜しみなくおっぴろげた心意気に感謝だ。
ここは広い敷地の中にいくつかの展示館が散在している巨大な博物館である。本気で回るなら1日かけろ、なんてガイドブックには書いてある。そんな元気はないので3時間くらいで見て回るつもりで歩き始める。


人類初の商用コンピュータ
まず目を引いたのが壁一面に並ぶ古い基板の集合体だった。戦後すぐに開発されたBabyと呼ばれた古いコンピュータの書いてある。マンチェスター大学で開発された世界最古の商用コンピュータらしい。当たり前のように複数のコンピュータを持ち歩く現代からは考えられないようなアナログな機械にみえるけどこれもデジタル機器の祖先なんだなあと感慨深く眺めていると、そういえば手塚治虫のマンガに出てくるコンピュータってこんな感じだったなあなんて思い出す。それはそうとWikiPediaってすごい

なんて可愛らしい機関車
Power Hallに入るとごろんごろんとたくさんの蒸気機関車が並んでいた。もちろん実物である。当然古い。古いけどデザインがとてもポップだ。まるっきりきかんしゃトーマスの世界だ。こないだ京都市の梅小路蒸気機関車館を訪ねたばかりなのだけど、あの威圧感たっぷりな重厚長大な蒸気機関車たちとちょっと雰囲気が違うのはなぜだろう。子どもたちはもちろん、大人たちも上気して乗り込んだり触ったりしている。そんなところは日本と変わらない。

ここは産業革命発祥の地
その少し奥には蒸気機関に関するさまざまな過去の装置が動態保存されていた。さすがは産業革命発祥の地とされるマンチェスターだ。名古屋市のトヨタ博物館をちょっと思い出した。あと鹿児島で連れて行ってもらった尚古集成館も。産業革命の波は想像以上の速度で大陸や海を渡り正確に伝わっていったのだなあと感心する。江戸時代の武士や商人たちもそりゃあ興奮して海を渡っただろうなあ。
レトロな航空宇宙館
さて最後はAir & Space Gallery。外観はあくまで懐古調なのだけど中身は凄かった。たくさんの航空機が展示されているのだけど、なんというか見慣れた形とちょっとずつ異なっているのだ。90年代くらいから世界中の航空機はみな同じようなデザインに落ち着いてきた感じがする。たぶんコンピュータの進化とかで空気抵抗や燃料消費などさまざまな要素で最適化された完成型に近づいてきているってことなのだろう。

なんだこのエヴァ感満載なジェット機は
ところがここに並んでいるちょっと昔の航空機はかなりヘンだ。進化の過程で妙な方向にいったまま途切れてしまった古代の生物みたいな感じがする。だからといって古くさいという感じでもなく、むしろ僕が70年代に考えていたような「未来形」としてそこに残っているという不思議な興奮を携えているのだ。一部の人にしかわからないと思うけど、人類進化のほかの可能性としての使徒みたいな感じです(笑)。

まちがいなくギガント
自家用車みたいに小さな飛行機からなにもここまでってな巨大な輸送機に至るまで所狭しと展示されている。イギリスって国が作る機械はとんがってて面白い。ソ連のロケットとかフランスの戦闘機とかイタリアのクルマもそうだけど、あんまり優しくない感じがしてちょっとドキドキする。アメリカやドイツや日本のデザインの方が絶対売れるし安全だし効率も良いとは思うけど、頭からなかなか離れようとしない何かを発している気がした。


日本の特攻機桜花がいた
そんなデザインの中で異質だったのが日本のロケット機だった。機体の日の丸を目にしたときは何でこんなところに日の丸試作機が置いてあるんだろうと不思議に思った。でも英語の説明文を読んでいたらこれが戦時中の特攻機であることを知った。桜花という名のロケット特攻機だった。1944年に発案され、終戦まで755機が作られたという。航空機に吊り下げられ、1,200kgの爆薬を積みロケットエンジンで加速しながら操縦士もろとも敵艦めがけて体当たり突撃するという自爆特攻機だと書かれていた。操縦士の多くはこの機体を作った者の中から選ばれたとも。

上から見た桜花
桜花は他の英国機と明らかに違う雰囲気を発していたように思う。その細部が日本製らしくないのは1回限りという発想のせいだろうけど、それでも全体としてちょっと優しい、のだ。naiveなのだ。
周囲の獰猛さを発する戦闘機たちとは何かが違っている気がした。敵ばかりか自分の操縦士まで殺すことを前提としたマシーンとは思えないそのフォルムからは「場違いな感じ」さえ発している。これもまた飛行機の進化の途上で迷い込んでしまった姿なのだろうか。いやそうではない。これは進化の神様とは関係ない。人為的に間違った機械だ。徹底的に間違っている。では何が間違っているというのだろう。しばし考え、「手段と目的が間違っている」と思うに至った。

太平洋戦争は「外交問題の解決の手段」としての戦争を、どこかの時点で「国家の生き残り」を目的の総力戦にすり替えてしまった壮大な過ちなのだと思った。
それはどこかで「生活のため」の手段として仕事に就いたつもりなのにいつのまにか「会社の生き残りを賭けた」企業戦士に変貌し、迷った挙げ句に年間数万人も電車に飛び込んでいく平成の日本とも通じている。

でも周囲に展示してある英国の戦闘機はすべて「手段」としてしかデザインされていない。敵を効率的に殺戮するという悪意のこもった手段だけど、自国民を殺してまでも国体を護ろうだなんて発想はこれっぽちも感じさせない、ある意味純粋な機械に過ぎないと感じた。

そしてふと風立ちぬを思い出す。これから僕らがデザインすべき機械について考える。手段に徹し、けっして目的を誤らせることなどない、そして優しくデザインされた機械。僕は桜花を前に立ち止まりそんなことをずっと考えている。

博物館でランチ
航空宇宙館はやたらと冷えた。外に出るとさっきよりも雨が強くなっている。博物館内で食事をとることにしてレストランで紅茶とジュースを選んでひとやすみ。雨の勢いは増すばかりだ。仕方がないので持っていた文庫本を読んだり、博物館でみたことをネットで調べたりして過ごしたけど、やっぱり雨はやまない。仕方がないので外に出て歩き始める。傘はホステルに預けてしまったのでユニクロ・ウルトラライトダウンコートのフードだけが頼りだ。でも回りの英国人もずぶ濡れで歩いてる。
Google Mapに従って歩いてるととても狭いFoot Pathなんかまで案内してくれて、ちょっと楽しくなる。

GoogleMapはこんな道も案内
ようやく路面電車の駅に出た。あまり濡れたくないので帰りは電車でと考えたのだ。でも切符売り場がどこにも見当たらないのだ。人の動きを見ても切符を手にしている人なんて見かけない。きっと車内で買うのだろう、あるいは現金で払うのかな、なんて考えてやってきた電車に飛び乗った。ところが中でも支払うべき機械や相手は見当たらないのだ。iPhoneで検索してみると「改札はないがたまにチェック人が回ってきて無賃乗車には厳しい罰が待っている」との記述を発見。やばい。急に目を泳がせ始めた僕は次の停留所でできるだけ目立たないように紳士然として飛び出したのでありました。英国人よさっきのドネーションで大目に見てくれ。

ヒルトン通りのドミトリーだ
今晩のドミトリー、Hatters at Hilton Chambersについてチェックイン。ヒルトンって名前がついてるけどこれはここの通りの名前であって高級ホテルとは関係ないのであります。預けていた荷物をもって案内された部屋に行く。6人部屋の窓際下の段が僕のベッドということで荷物をおいて少し身体を休める。ちょっと無理しすぎたかな。共用ルームを覗いてみたらテレビでサッカーをやっており英語ではないグループが盛り上がっていた。あとはパソコン片手に何やら入力したりSkypeしている連中がちらほら。屋上カフェは毎晩盛り上がるぜ、って書いてあるけどさすがにこの雨だとクローズに違いない。


雨の中華街 
何か食べに行こうと外に出る。微妙な雨だったけどそのうち本格的に降り出した。また傘忘れてきた。でもなんかずぶ濡れにも慣れてきたというか、郷に入れば郷にってやつでこれも英国式だと思って諦めることにした。周囲を見渡すと本当に老若男女みなさんずぶ濡れである。傘率は3割程度。残りもレインコート装着は半分以下で、徹底的な普段着で濡れてる英国人が大勢を占めている。フィッシュ・アンド・チップスかビールの中に撥水成分でも含まれているに違いない。こんな人たちが歩兵になるんだから戦争しても勝つ見込みがないことはだいたい想像できた。昔の日本人ならまだしも。

週末のパブは若者でいっぱい
foursquareで探したパブThe Waldorfに入ってビールを飲む。最初はそうでもなかったけど、見るみる間に客が増えてきてフロアのほとんどを若者が占める状態となった。そういえば今日は金曜日なのだ。高校を卒業した後もまだ付き合ってる同級生って感じの集団だ。番長ぽいデカ男から派手ハデ化粧の女子、いかにもオタクな青年までみなわいわい誰とでも仲良く飲んでいる。パブは日本の居酒屋ってよく言われるけどちょっと違う。特に最近の個室居酒屋チェーンみたいのとは全然違う。もっとPublicな場所だ。名前通りに。

ベトナムフォーで身体を癒す
〆はやっぱり麺だろ、と中華街をうろうろするが、どこも王将みたいな気軽なお店ではない感じだ。白いテーブルクロスのお店にはなかなか一人では入りづらい(てかもうそろそろ金がない)。見つけたのはベトナムフォーの専門店。フォーは毎日食べても良いくらい大好物だし、暖まるしこれしかないよと地下に入ると、まさに僕の目指す大食堂的な空間だった。フォー・ガーを頼んで瓶ビール片手にずるずるやってるとまるでベトナムにいるみたいな感じだ。働いている人もみんなベトナム系みたいだし。しっかり生き返った。

また濡れながらホステルに戻り、ベッドに入ってシャワー浴びる準備してたらそのまま寝てしまったようだ。気がついたら4時間も経っていた。午前1時だけど満室の6人部屋中3つのベッドは空いている。週末の夜を楽しんでるのだろう。ざっとシャワーを浴びて再びベッドに入ってぬくぬくしていたら遊び人たちが帰ってきたようだ。完全に酔っ払ってる。夜中に寒さでなんどか目を覚ます。ここの窓も完全に閉まらないのだロンドンみたいに。マスクして防寒対策してると隣のベッドの男が毛布をはだけ、上半身裸で快眠している姿が目に入った。いかに飲んでるとは言え、君らには永遠に敵わんわ、と思い知る。まあ勝ち負けではないんだけろうど。外からはどこかのクラブから騒音が侵入してくるリヴァプールみたいに。まあいろいろ面白いとこだなマンチェスター。

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