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2014年11月22日(土)ロンドンに戻り帝国戦争博物館。夜はレゲエナイトだった。


雨上がりのマンチェスターの朝
2014年11月22日土曜日、マンチェスターのドミトリー目を覚ますと窓のすきまから少し暖かい空気が流れ込んできた。同室の酔っ払いどもはiPhoneやらスナック菓子やらを盛大にベッドの外に落下させたまま眠り続けている。お腹が空いた僕は食堂へ向かう。ここは徹底的にセルフサービスらしい。トーストを焼き、オートミールにミルクを注ぎコーヒーで流し込んだ後はみずから皿まで洗う。悪くはない。

露天商が準備を始めた
チェックアウトする前にiPhoneの充電をしなければ。ベッドルームにはコンセントがなかったのでフロント横のプラグを借りることに。続いてモバイルバッテリーが満タンになるまでソファでぼーっと読書したり満タンになったiPhoneを弄ったりしていたら隣に腰掛けたアジア人が「それiPhone6Plus?」って聞いてきたので「いやただの6だよ」と答えると彼は自分のiPhoneを取りだして「僕のなんてまだ4だよ、遅いよ」とひとしきり嘆く。きけば彼は韓国人でここ半年ばかり旅を続けているという。「来月は日本に行く予定なんだ、東京に友だちがいてね」という。彼の生まれた場所をiPhone4の小さな画面で教えてもらった。ソウル近郊の知らない名前の町だった。「東京は原発事故の影響が残ってるって聞いたけど大丈夫だろうか」と真顔で訊くので大丈夫だよ、心配しないでと答えた。空間線量だったら少なくともソウルより低いらしいし、と付け加えようと思ったけどやめた。僕らの英語力だとうまく伝わらないかもしれない。

日本にはない義歯修理屋さん
チェックアウトして外に出るとちょっとした陽気だった。雨も止んでいる。しばらく歩くと露店で1ポンドの自家製スープが売られていたので迷わず頼んだ。じっくりと煮込んだ野菜スープは風邪っぴきの身体を芯から温めてくれた。雨上がりの朝に露天商たちが仕事の準備をしている光景はとても美しいものだった。今日は週末だからみんな書き入れ時だ。天気も晴れてよかったと思う。本当は今日来るべきだったのかもしれない。僕は雨で寒いマンチェスターってイメージを持ち帰ることになってしまった。しばらく歩くとDenture Repairなんて看板のお店をみつけた。入れ歯を修理する歯科技工士の店らしい。日本の法体系で存在しえない店だ。でも法律だからいつか変わるかもしれない。常識なんてのはできるだけ揺さぶっておいた方が楽に長生きできると思う。

マンチェスターの観覧車から
昨日の高速回転観覧車が近づいてきた。ちょっと高いけど乗ってみようかと思う。せっかくだから晴れたマンチェスター市街も見ておきたいし。9ポンドだから1,500円くらい。さっきのスープ9杯分だけどまあいいやってチケットを買うと係員がゴンドラに案内してくれた。まだ客が少ないせいか僕一人で占有みたいだ。驚くべきことに、僕が乗る瞬間、観覧車は回転を停止したのである。まああんだけ速く回転してるんだからそうでもしないと乗り込めないんだけど。

観覧車に乗り込むとこ
ぐんぐんと高度を上げていくゴンドラ。あららこの調子だと1分くらいで9ポンドが消費されちゃうよ、なんて思いながら景色を楽しむ。朝日が美しい。しかし。頂上を越えたあたりで唐突に僕のゴンドラはその動きを止めてしまったのだ。やばい何かが壊れたに違いない、僕はこのまま何時間もここに留め置かれ最後はクレーン車で救出されその姿が日本のNHKニュースでも流されるに違いない、と若干そわそわしたけど、考えてみたらさっき僕が乗り込むときだって停止させたんだから、ただ新しい客が来ただけなんだろう。

トラムを見下ろす
その後もなんどか停まりながら地上へと降りてきた。おかげで天空の景色はわりとゆっくり楽しめた。しかし。最低部に到達してもゴンドラのドアは開けられることなく再びぐんぐんと上昇していくのだ。けっきょく僕は4回転した。なんども停まりながら。これなら1,500円でも文句は言えないなあ、それにしても安心安全路線の日本だったらきっとスピーカーでしつこく説明を繰り返すかあちこちが案内板だらけになるに違いない。

マンチェスターピカデリー駅
そろそろマンチェスター・ピカデリー駅に向かおうと歩きだしたのだが、どういうわけか道に迷ってしまった。Google Mapを見ながら、なのに。気がつけばまた同じところを歩いている。いったいどうしたってんだ?と何度も立ち止まって方向確認するがそのたびに僕のiPhoneはあらぬ位置と方向を示すのだ。どうやら高い緯度が災いしてGPS衛星の位置をうまく掴めないでいるらしい。でもそれだけではなくて一日で離れちゃうだなんてひどいよ、と街に言われているような気もした。

ロンドンユーストン駅についた
どうにか駅につくと係員に帰りのチケットを見せ、これでロンドンまで行けるの?と尋ねたら問題ないわよ、この奥のプラットフォームからもうすぐ出るわよ、と教えてもらう。来るときと同じように席を確保したら定刻通りにロンドンへ向けて出発。来る時と違ってさしたる感動もなく淡々と移動し気がつけばロンドンだ。ユーストン駅でトイレを探したらずいぶん奥まったところにあってそこは有料だった。自動改札機みたいなところに硬貨を入れるとトイレに行けるって仕組みだけど、なんと機械が故障していてドアが開かない上に僕の硬貨は戻ってこなかった。今さらだけど英国の洗礼を受けた気がした。

ユーストン駅の廊下に座ってランチ
お昼ご飯は駅ナカ売店で買ったサンドイッチとコーヒーを地べたに座って食べる。いや別にそうしたかったわけではないのだが、レストランはどこも満席だったし若者たちは皆壁にもたれかかったり廊下に座って食事してたから郷に従ったまでなのだ。いろいろどうでも良くなってきている。よい傾向だ。さて次にやるべきはオイスターカードに入金だ。ロンドンについた時に買ったのは1週間乗り放題だったのですでに残額はゼロである。今日と明日の二日間の移動のためにいくら入金しておこうか迷ったけど20ポンドにしておいた。たぶん余るけどまた来ればいいわけだし(来れるのか)。

ユーストンからロンドン縦断だ
今宵の宿はテムズ川を渡ったロンドン南部のニュークロスという街のドミトリーだ。週末だからだろうけどまったくといってよいほど安宿が確保できずちょっと遠くになった。地下鉄とバスを乗り継いで行くのもそこそこ時間がかかる。でもそうでもないと一生行かない街だろうからこれもラッキーと思って移動開始。道中調べてると「危険なので観光客は少し注意を」とか書いてあるけど安宿旅行者はそんなこと気にしていられないのだ。

雨の中を歩いて帝国戦争博物館
Elephant & Castleという駅で地下鉄からバスに乗り換えようと地上に出ると「IWMはこちら」という看板が目に入った。ここから歩いて行けるんだ。実は今朝マンチェスターを出る前に「マンチェスター帝国戦争博物館」に寄ろうと思っていたのだけど、よくよく調べると同じ博物館がロンドンにもあり、そちらが本家だからどうせならそっちに行こうかなあなんて考えていたのだった。それがなにも考えずGoogle任せで降りた駅のすぐそばだったとは。これはきっと呼ばれているな、とそのまま小雨のなかを英国帝国戦争博物館まで歩いて行くことにした。

戦争の目撃者フロア
思った以上に歩いたけど博物館の立派な門をくぐるとここもまた無料だった。バックパック持ったままなのでコインロッカーに入れようとするが満杯なのでしばらく待つ。ようやく1つ空いたので入れようとしたら小さな子供が「空いてたー取ったー」と僕が入れようとしてたロッカーを強奪するのだった。しょうがねえなあ、と思って諦めかけたらお父さんが「ダメだよ、順番だよ、この人が先だ」と叱ってくれた。悪いね、と荷物を入れて扉を閉めようとしたら・・・なんとコインが足りない。まいった。仕方なくさっきのお父さんに「すみませんが両替できませんか?」と訊いたけど彼のコインも足りなかった。「あの男に頼んでみたら」といわれたので近くの男にお願いしたら「オッケー」と快く両替してもらって事なきを得た。いやなんてことない話なんだけど、もうこれだけで僕は英国人とは戦争したくなくなったという話です。

エジプト軍仕様のT-34戦車
最初に訪問者を迎え撃つのは「戦争の目撃者」というフロアだ。そこには世界各地の戦争に使われた兵器や破壊された車両などの実物が置かれており、ビデオ画面でとてもわかりやすい解説がなされている。英語なんかわかんなくても理解してしまえるほどクォリティの高い動画に感心する。たとえば左の写真は東欧で製造されたソ連戦車が実際にどこで戦ったのか、そして戦後再塗装されエジプト軍に渡されてまたそこで働き、最後にここにやってくるまでのヒストリーがビジュアルに語られている。戦争という言葉で一括りにすることなく、個々の細部から歴史の実感を手渡していこうとする発想が秀逸だと感心する。

ナチス製V-2ロケット
見上げるとドイツからロンドン市内へと飛んだV-2ロケットやV-1が吊り下げられている。イギリスといえば戦勝国のイメージだけど実際には日本と同じくドイツの空襲に悩まされていたわけだ。ロケットの父、ブラウン博士の人生についても分かりやすくかつニュートラルに解説されている。フロアに目を戻すと今度はこの2007年3月5日にバグダッドで攻撃され鉄の残骸になってしまったクルマが展示されている。ビデオをみるとこの残骸は爆撃された後、アート作品としてそして戦争の証言として世界各地を旅してここにやってきたことが分かる。

バグダッドで爆撃された車両の残骸
館内はどこも若者同士や親子連れの人だかりができてる。土曜日の夕方にこんなにたくさんの人たちが集まり、真剣な眼差しで兵器を見つめたりポーズ取って写真を撮り合ってる風景は日本とは少し違う。俺たちの民族カッケーとかわが国家サイコーとか、逆に殺人兵器は最悪だとか戦争賛美反対といった情緒的な反応はまったく感じなかった。目の前に提示された自分たち人類の現実を淡々と受け入れている感じがした。

垂直離発着機ハリアー
上のフロアへ進むと第一次大戦や第二次大戦で使われた兵器が時系列で並び、それぞれ詳細な説明が続いている。期せずして呼ばれてしまった以上、閉館時間までここに居座る覚悟で見て回ることにした。ちなみに僕はこれまで兵器オタクになった経験はない。小学生の頃にプラモデルで戦車や軍艦に戦闘機などを作ったことがあるくらいだ。戦記物を愛読した経験もほとんどなくて、ここ数年いくつかの戦史を読んだくらい。だから詳しい人だけに許される種類の感激はなかったと思うけど、それでも現物の持つ力に圧倒されて次、次と足が進んでいく。

カギ十字が描かれた尾翼に並んでいるのは撃墜マークだろう。打ち落とされた機の操縦士の多くは命を落としたはずだがそんな情緒は微塵も感じさせない。その誇らしげな尾翼を眺めるうちビデオゲームに夢中になる子どもたちの目が浮かんだ。敵を設定したら打ち落とす。そのための腕を磨く。アイテムを手に入れる。クリアーしたら表彰されさらに困難な戦いに加わる権利を手にする。ゲームに限らず僕らが毎日やってる商売だって考えたら同じような繰り返しだ。人類はずっとそれを繰り返しているのだ。そのように設計されているといっても良いのかもしれない(宗教的な意味合いではなく)。そこから逃げることはできないって気がする。繰り返す気もないけど。だったらどうすればいいんだろう。

イタリア製有人魚雷のコクピット
まるでF1みたいなコクピットを見つけ、これはいったい何だろうと説明書きを読んだらイタリアの有人魚雷だった。えっイタリアも日本海軍みたいな自爆攻撃してたの?あのイタリア人が?と驚いて読み進めると、どうやら爆発直前に操作部分が分離する仕掛けだということが分かった。といってもうまく分離できた例がどれだけあったかわからないけど。魚雷やミサイルを発射する直前までは数学と物理の世界だけど、その後は天に任せるしかなかった時代、どうにか命中率を上げようと人間が運転するという方法に行き着いたってことなんだろう。運転手が直前で離脱する設計が当然至極であってそうでない仕様、つまり自爆兵器なんてのは考えもつかなかったのではないだろうか。昨日も書いたけどそれだと何のための戦争か分からなくなる。手段が目的化してしまう。連合国の人間にとって当たり前の発想を突き破ってきた日本の特攻兵器を目にしたとき、彼らの心にもまた異常な反応が芽生えたとしても不思議ではない。

リトルボーイの模型
広島に落とされた原爆リトルボーイの模型が展示してあった。なんでそんなニックネームがつけられたのか僕は知らないけど、その威力に比べると意外に小さな気がしたのは確かだ。リベットも生々しい何とも形容しがたいぬめっとした外観に戦慄を覚えるのは僕が日本人だからだろうか。でもたぶんそうではない。その証拠にここに張り付いて動こうとしない男女がたくさんいる。彼らと語ってみたい気もしたけどあいにく僕には知識も語学も半端だ。でもそういう気にさせてしまう威力がこの博物館にあることは確かだ。

ゼロ戦の残骸
フロアの奥に寄せ書きされた日の丸が見えたので近寄ってみると、ゼロ戦の残骸が置いてあった。説明書きには戦争終結から50年後に太平洋の島で発見された、と書いてある。空中戦でダメージを受けたが、当時の日本軍はすでに修理するパーツを持たず、いつか修理できるときまでタロア島のジャングルに隠したのだという。今年はゼロ戦に関する映画が複数公開されたりして僕も何冊かそれに関する本を読んだりしたけど、実際に南の島で息絶えた機体を戦勝国の博物館で見るとまったく異なるイメージが浮かんでくる。優雅な機体から想像する軽やかなイメージとは正反対のごつごつとした機械そのものの姿だ。飛行機に限らず、機械はいつだって二面性を持っているものだなと思った。

これはそのゼロ戦の横に書いてあった説明書きだ。いくつか分からない単語はiPhoneで調べながら読んだ。あの戦争については左右様々な立場の人がいろんな正論を述べているけど、ここに書いてあった最後の文章は印象的だった。なんというか、対象との距離感というか。いつまでも左右言い争うのをそろそろやめてこんな距離感で見つめ直す時期なのかも、と思わされたのだ。

アウシュヴィッツの模型
最後の部屋はホロコーストに関する膨大な展示だった。写真を撮る気にはならなかった。イギリスは戦争前にナチスとの宥和政策を取った経緯があることから、彼らの暴走を止められなかったという意識を持っているのだろう。多くの被害を受けながらも最終的に武力で解放し敵を滅ぼしたという自負もあるには違いないが、この展示を見ていると「止められなかったことにも責任の一端はある」という態度が感じられたのだ。それはとても大事なことだと思った。一方で行き過ぎると今のアメリカのように頼まれてもいない戦争をあちこちで仕掛けることにも繋がってしまう。これからもずっと人類、特に先進国の住民はその両者のバランスに苦しめられていくのだと思う。だとすれば過去にしっかり向き合うことはとても大事なことだ。戦争のスイッチを押す一部のエリートだけでなく、こうやって市民たちにむけて広く公開することも大切なことなんだな、と実感した。

Imperial War Museum London
そろそろ閉館の時間だった。外に出るとまだ雨は降っていてもう真っ暗だった。すっかり長居してしまった。でも一生忘れられない体験になったと思う。もっと若い頃に来ていればとも思ったけど、この歳になって来たからこそ考えたこともたくさんあるはずだ。なんせ地下鉄の駅でたとこで呼びつけられたんだもの。

今回IWMで撮った写真をこちらにアップしてます。興味のある方はどうぞ。

バスでニュークロスへ
雨の中バス停までずぶ濡れで歩き、けっこう長い間待つとようやくバスがやってきた。オイスターカードで気軽に乗って二階に上がると疲れが出たのか眠くなってきた。ここで乗り過ごしたりしたら遭難するぞとiPhoneの地図で現在位置確認しながら頑張る。ふと目を上げると前の席の人がKindle PaperWhiteで読書してる。日本ではそんなに見かけないけどイギリスではけっこうたくさん見かける光景だ。僕も今回持ってきてるけどそんなに使ってないな。なんとなく文庫本に手が行ってしまうのだ。それでも未読の文庫本がまだたくさんある。

最後のドミトリーだ
ニュークロスで降り、雨の中しばらく歩くとNew Cross Innという看板を見つけたので中に入ったらそこはパブだった。ホステルのフロントも兼ねてるのかなと訊ねてみると、裏手に回ってね、と言われいったん外に出る。同じ建物の裏口にはいかにもな若者がたむろしている。ドアをこじ開けるとそこがフロントだった。みたとこインド系なおじさんに予約があることを告げると、本気のインド英語が帰ってきて驚いた。部屋に行くと4人部屋ベッドは木製である。
ニュークロスの街を歩く
まずは空腹を満たさねば、と外出する。ニュークロスはさほど大きくない街みたいで食べ物屋があるのは歩ける範囲でしかない。ウロウロしているうちにまずはビール飲みたくなってきたので角地のパブMarquis Of Granbyにぶらっと入ってみた。テレビでサッカー中継やってて大いに盛り上がっている。僕はカウンターに座って女性バーテンダーの薦めるエールを注文。袋入りの塩ナッツもついでに買って一人おっさん呑み開始である。

角地のパブで一杯
隣に座った常連ぽい無口のオヤジはひたすら飛んでる虫を潰そうとバタバタ手を振り回している。そういえばこの街はよそより有色人種の比率が高い気がする。並んでいるお店も中東系とかインド系が多かったようだ。そのせいか知らないけど僕はこれまでよりもちょっとリラックスできてる。生まれてはじめて渡った海外はインドのカルカッタだった。どうも僕の頭の中には「海外=アジア」みたいな図式ができあがってて、いやだから今回の英国はそうでなくて面白いんだけど、やっぱり長くなるとアジアが落ち着くのです。

インドレストラン
というわけでディナーはインド料理にした。ネットで調べたら「イギリス式カレーと言えばチキンティッカ」って書いてあったので、それを食べようと思ったのだ。Nouvelle Spiceという店だ。きちんとしたテーブルクロスの掛かったレストランだったけど思いきって入り、ビールとチキンティッカとライスを頼んだ。いやいやこれが美味しくて僕は満足。もう一杯ビール飲んどこかと「ビール持ってきて」とオーダーしたらなんと勘定書きが届いた。そうか、インド式英語は語尾のRまできっちり発音するもんだという思い込み+日本人独自のLR混用発音でもって誤解を招いてしまった。食事中に勘定書きもってこいだなんて感じ悪かったかも。

ホステルのパブでライブ演奏してた
すっかり満腹になってホステルに戻ると1Fのパブに土曜日の夜はレゲエナイトって書いてあり、ちょっと寄っていくことにした。入口でチャージを払いビールを一杯頼むと演奏が始まった。なかなか味のあるレゲエバンドだ。トランペットとベースの演奏がとても良い感じ。客もどんどん増えてきて飲んだり踊ったりビリヤードしたりとみな週末を楽しんでいる。ロンドンといえばホワイトレゲエの本場だったよなあポリスとかの、なんて思い出しながら僕もレゲエのビートに揺られている。

月曜日には日本に戻るフライトだ。この旅もいよいよ終わりに近づいてきたのだ。

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