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2015年4月に読んだ本の記録

春の大型連休は特に予定もなく、家でだらだら過ごしたので先月の読書感想文を書く時間がたっぷり過ぎるほどあった。2015年4月も先月と同じ12冊の本を読了し、そのうち紙の本が7冊、Kindleが5冊といつもよりか少しリアル本が多いのはブックオフオンラインの利用が多かったからかな。
僕は新品や電子書籍でなく中古本を買い求めるときの基準ってのを考えてて、
  1. 十分に著名な作家・音楽家で今さら稼ぐ必要もないんじゃないやろか 
  2. 新品の本がすでに入手不可能だし
  3. 高くて手が出ませんもので
という順序でセコハンものに手を出すかどうかをなんとなく決めてる。
でもそれはあくまでスクリーンを前にしての話であって、書店や古本屋にいったん入ってしまうといちいち考えもせずにたいして値段も見ずに買ったりする。
幼少の頃、「本代だけは月々のお小遣いとは別に払ってやる」という親に育てられたせい(おかげ)だと思う。

期間 : 2015年04月
読了数 : 12 冊
ロング・グッドバイ (Raymond Chandler Collection)
レイモンド・チャンドラー / 早川書房 (2009-03-06)
読了日:2015年4月30日
ずっと前にブックオフから届いていた本だけどずっと本棚の重しになっていた。ふとした拍子に「あ、まだ読んでなかった」と手に取るとそのまま1週間くらいずっとあちこち持ち歩いて読んでしまう。僕が図書館をあまり利用しない理由はこんなところにもある。中古でもよいのでとにかく手に入れたら目に付くところに転がしておくのだ。それだけでその本となんらかの縁ができた気がする。でもまだ熟しない。ある時なにかの拍子にその本は僕の手元にまでぐぐっと接近してくる。ページを開いて1ページ読んだらあとはしばらく付き合って、そして死ぬまで一生僕の脳のどこかに沈んで次のご縁を待ち続けるのだ。

戦後アメリカの有名な探偵ものってことだけど、話の筋としては特にびっくりするようなことはない。いまや練りに練られ心地よい刺激や興奮が途切れないように計算された素晴らしい物語なんて、そこいら中にごろごろ転がっている21世紀なのだ。古典と呼ばれ始めた物語を今の時代に手にする意味合いがあるとすれば、やめくるめく興奮を願ってページをめくるものではなく、ちょっとした異世界(でも微妙に現在との連続性も途切れないとこが重要!)で繰り広げられるシーンの一つ一つを味わうことなのかもしれんなあ、と読後に思いつく。

時代を生き抜いてきた作品は最後まで読んだ後に、何度も読み直す方がきっと何倍も楽しめるものだと信じて、またそっと本棚に戻しておく。まるで勝手に利息のつくタンス貯金みたいだ。
アフターダーク (講談社文庫)
村上 春樹 / 講談社 (2006-09-16)
読了日:2015年4月26日
ブックオフで。これで昨年夏から始めた村上春樹の長編小説コンプリートも一段落できるはず。

手頃な長さで読みやすい文章だったので二日ほどでざっと一読できたのだけど、読後にどうもなんか引っかかるというか、なんだよこれ?って感じだった。

とりあえずその晩は良く寝て、しばらくあれこれ思い出しながら再びページをめくるだけど、その引っかかりの原因がよく掴めない。

どうも原因は高橋にありそうだ。こいつどうもヘンだ。ひょっとして悪いヤツなんじゃないの? あるいはちょっと病んでるのかも。病んでいると言えば姉のエリもそうだしもちろん白川もだ。マリだってどこか普通じゃない。みんなしてどこかヘンだ。一番まともだと思ったのはカオルだけだ。大都会の夜って変なヤツばかりうろついてるってことか。

もう少し時間を置いてみて読み直してみないとよくわからない気がする。

でもこの都会の深夜に蔓延る「気持ちの悪さ」こそが作者が表現しようとしたものかもしれないのだから、だとすれば少しでもその納得できない気分を長く味わってみるのも悪くないって思えてきた。

一筋縄ではいかない小説。
足元の小宇宙 82歳の植物生態写真家が見つめる生命
埴 沙萠 / NHK出版 (2013-11-29)
読了日:2015年4月25日
何年か前にテレビ番組で著者の特集を見てたいそう感激したので気になっていたら日替わりサービスにやってきたので思わずクリックした。写真集をPapaerWhiteで読んでも仕方がないとタブレットで読んだのだけど、思わず巨大なタブレットを買いたくなったくらいに美しい写真だった。
読了後iPhone6でも見てみたけど、これはこれで可愛らしく印象的だったけど。

毎朝の散歩で持ち歩いてる中古で買ったNikonコンデジの取扱説明書を引っ張り出し、マクロモードでの撮影方法を会得して以来、散歩中にところかまわず寝っ転がって雑草を撮り始める始末。もちろん著者のような写真にはほど遠いけど、道ばたに驚くほど美しく、変化に満ちた世界が転がっていることを教えてくれた貴重な本となった。

著者は妻の実家の近くに住んでるらしい。次に帰省することがあったら著者になりきって道ばたに寝転がってみようと思う。
アウトサイダーの幸福論 (集英社新書)
ロバート・ハリス / 集英社 (2015-02-17)
読了日:2015年4月19日
ラジオで聴いて買ってみた。いままでまったく知らない著者だったけどなかなか面白い人がいるもんだなあと思いながら数時間で読んだ。

いろいろ悩みながらも体当たりでなんでも体験し、世界中の怪しい人たちとも良い感じの距離をキープしながら、常に肯定的な態度を保てるなんて人なんてなかなかいない。マッチョなだけの人にはそんなこと無理だと思うし、逆に依存的なタイプの人は継続が難しい。だいいち若い頃には何をやってもたいていうまくいかない。

人生のある時期に、無茶をしてでも突っ走り、限界とか壁を見つけてそこからちょっと戻って来た人はとても魅力的だなあと思う。そんな自らの弱さを認めながらもけっしてそれを言い訳にしない人だけが、気持ちの良い文章を書くことができるのだ。

ポーカー好きなだけでぶらぶらしてるらしい大学生の息子に送っておこう。
江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
原田 実 / 講談社 (2014-08-26)
読了日:2015年4月19日
ラジオに著者が出ているのを聞いて買ってみた。どこかで読んだことのあるこの感じ・・あ、と学会みたいだと確認したら著者は会員さんだった。

自分が専門とする分野に対し、門外漢から口を挟まれるとなんだよその稚拙な陰謀論はってムキになってしまうけど、そんな自分が専門外の分野における与太話を頭から信じてしまう、なんてことはままある。もしかしたら僕だってやってるかもしれない。

SNSに溢れる「たとえ嘘でも良い話だし今の世の中を良くできるなら良いじゃない」みたいな気色悪さはそういう危うさに無頓着な僕らが作り出しているものだと思う。

自分の中にある常識や直感だけを使って「これは拡散しても良いのか」などと判断するのはとても困難でかつ危険だ。魅力的で容易に腑に落ちる類の話はとりあえず眉に唾つけて棚上げし、人前では話題にしない、くらいの「しぐさ」が要求される時代なのだろう現代は。


ひとつの偽史が生み出され、流行し、否定され潜行していくさまをリアルタイムで体験できるという意味で、こういった書物の存在は大きいと思う。だからといって江戸しぐさに言及する人たちを大人げなく攻撃をするのはどうかと思う。おそらくは良い反応は得られず、むしろ逆効果だと思うからだ。

そんな事態に直面したとき、いったいどうすれば良いのだろう。
誰か納得できる答えを呈示してくれたら僕はそれを「平成しぐさ」とでも名付けて広く社会に普及させるためにNPOでも作ろうと思う。


なわけない。
人を殺してみたかった 17歳の体験殺人! 衝撃のルポルタージュ (双葉文庫)
藤井誠二 / 双葉社 (2003-04-08)
読了日:2015年4月19日
以前から読んでみようと思っていたところに日替わりセールで購入。
読み始めてすぐにこれは問題作だと思った。2000年に愛知県で起きた高校生による無差別殺人のレポートだが、タイトルに!マークがついていることに象徴されるように、より細かな真実を知りたいという人々の欲望を満たす週刊誌的な書物だと感じだからだ。

読み進めていくうちに著者もそんな悩みをぬぐいきれずに書いていることが伝わってきた。

この本でもっとも重要な部分は「文庫本あとがき」である。
宮台真司、宮崎哲弥両氏のメールが特に重要だと思う。宮崎氏に至っては「常に正しすぎることこそが彼の問題だったのではないか」とまで言及している。実際のところそうかもしれない、という気にさせてしまうレポートなのである。著者の意向とは別にだが。

病名の数だけ病気が増える、という言葉は事実である。それは医療業界の陰謀なのだなんて青臭いことは言わないけれど、これまで正常とされてきた現象に病気というネーミングを与えるとで、次の日からその現象はもはや「正常」という範囲から逸脱していく、なんてことは僕の働く業界でも日常的に起きていることだ。

だから特に成長期の青年のしかも精神的な側面を安易に「病気」として扱うことには慎重であるべきと思う。それにこの世にいわゆるアスペルガーが存在してなかったら緻密な宗教も、美しい絵画も語り継がれる物語も天国を感じさせてくれる音楽も、そして今ぼくがこれを描いているMacだって存在しなかったはずだ。
節ネット、はじめました。 「黒ネット」「白ネット」をやっつけて、時間とお金を取り戻す
石徹白 未亜 / CCCメディアハウス (2014-09-18)
読了日:2015年4月18日
日替わセール案件。
僕も仕事がら仕事中はほとんどずっとネットに繋がってるわけだけど、以前に比べて漫然とリンクを踏んでいくいわゆるネットサーフィンの時間は短くなってきたなあと思っていた。もう20年近くインターネットの海を漂流してきてるのだから、少しは飽きたんだろうなって自分では思っていたのだ。

でもこれを読んでいるうちに「それは単にSNSをウロウロしてる時間に置き換えられてただけだった」ということが判明、確かにそこはしっかり自覚しておかないと漫然と歳食うだけの人生になってしまうと思いしらされた。
白ネット、黒ネット、無害、という分け方は言われてみれなその通りで、実は僕もTwitterやFacebookはその手のリストを作っていてたまに黒いのを覗いてはモヤモヤした気分を楽しんでいたりするのです。たまにじゃないか。そんな黒い発言にも「発憤」という作用があると思っていたのだけど、それにしても時間の無駄だし、中毒性もあるし、なんといっても「発想や口調が伝染する」という副作用もありそうだし、著者が提案するように何らかの自制策を施しておくことはた大切だなあと反省いたしました。

検索したらここに短くまとまったこの本の紹介文があったので、チラ見して「あっ」と思った人は買って読んでみると良いかもです。


でもまてよ、それって「会議を少なくするための会議」みたいな話じゃないか(笑)
宇宙論と神 (集英社新書)
池内了 / 集英社 (2014-02-19)
読了日:2015年4月18日
Kindle日替わりセールで。最近は宗教とか神とか名のつく本ばかり薦められてる気がする。日替わりセールも個人の購入データベースを利用しているんだろうか。

「科学」と「技術」との違い、国家・経済・宗教・欲望と科学の関係、予防原則、地上資源文明など大いに考えさせられるキーワードばかりだ。

古代、砂漠や船上の夜空を見上げた人類はそこに神の存在を意識し、神話を生み出し啓示を受け契約を想定した。しかしそれは地域や時代ごとに様々なバリエーションが存在し、時間の流れと共に地球上でさまざまな交配が行われたが今でもまだ大きな差異を残している。特に西洋の文明開化は神の特定、否定、超越をテーマとした科学との切磋琢磨であった。しかし科学が神に追いつき追い越したと思ったらいつのまにか競争がスタートしてしまっている。

なんて要約するとまるでスピリチュアル系の話みたいになってしまうけど、世界的な天文学者、宇宙物理学者が書いているわけで説得力に満ちあふれている。これから再読するたびに発見があることだろう。
武器よさらば (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2006-05-30)
読了日:2015年4月17日
たくさん本を読むようになったのはここ数年であって、だからこれまで読んでいない古典は山のようにある。ヘミングウェイもこれが初体験。レマルクを読んだのなら本書も読むべきだ、とAmazonの機械書店員に言われ、素直に従った。正解だった。

本作は「西部戦線異状なし」と同時代の第一次世界大戦を描くがドイツ側と反対のイタリア軍側に参加したアメリカ人からみた物語である。そのせいかレマルク作品とは少しばかりイメージが異なる。悲壮さが後退しむしろゴージャス感というかゆったり感すら感じさせる。実際にそんな差があったのかはわからないけど。それはそれとして西洋人はいつでもアルコールを手放さないものだなあと妙なところに感心したり。

本作でも僕は「異常事態」と「日常」が交錯するさまに感銘を受けた。きっとそういうこことに関心が向いている時期なのだろう。戦争という非現実的な殺し合いの現場であっても出会いと恋愛が生まれ多くの生命とおなじ軽さであっけなく喪われていく。

まるで映画を観ているように描かれる劇中であっけなく死んででいく一人一人にすべてそんな日常が積み重なっているのだと想像すると、人類の歴史の巨大さとそのあまりの無常さに陶然としてしまう。

それはそれとしてだけど、西洋人はアルコール飲みすぎだよ!と何度も思った。
西部戦線異状なし (新潮文庫)
レマルク / 新潮社 (1955-09-27)
読了日:2015年4月11日
購読している地元紙日曜版の書評で見つけAmazonに注文した。
僕ら日本人にとって戦争と言えばまず太平洋戦争だと思うけど、昨年暮れにイギリスに行ってみるとそれは日本だけの話なのだと感じた。ちょうど第一次大戦勃発から100年ということでロンドン市内でさまざまなイベントが行われ、多くの市民が関心を持ち続けていたように思えたからだ。

この本を読むのは初めてだし、映画も観たことがない。文庫本を手に取り読み始めると想像に反して驚くほど読みやすいのだった。まるで誰かのブログを読んでるような感覚だ。若いドイツ人たちが、日常と前線を行き来しながら徐々に平常な感覚を壊していく様がひしひしと伝わってくる。彼らはとてもイノセンスであるけど現実は血まみれだ。周囲にあるのは飢えと死だらけが、そんな中でもちょっとした日常の楽しみまで失わうことのないよう命がけの努力をするのだ。日常とはなんてすごいのだろう。

入院中のレワンドウスキーを妻が訪ね、主人公らに腸詰めを分ける場面にははからずも感動してしまった。本来ならこっけいなシーンなのだろうけど。でも夫婦の日常をみんなで支える戦友たちはまるで彼らの子どもたちみたいに思えたのだ。

毒ガスや戦車や戦闘機が登場しはじめたといってもまだ19世紀的な歩兵による撃ち合いが主流だった第一次大戦は第二次大戦やその後の大量破壊戦争とはまた少し違った残酷さとそれによりかえって浮き彫りになってしまう人間性に満ちた闘いだったようだ。歴史を読む限りそこに何らかの大義があったようにも思えないのだけど、多くの犠牲に値する価値を見出していくのが後世の責任であるとも感じる。

映画を観るべきかについてはまだ迷っている。
私たちはどこから来て、どこへ行くのか
宮台真司 / 幻冬舎 (2014-03-14)
読了日:2015年4月5日
数年前にたまたま同じタイトルで講演したことがあり、Kindle日替わりセールをみて思わずクリック。お正月休みに読み始め、たびたびの中断をはさみ読了したのはもう4月になってからだった。

宮台氏の主張は硬質で一貫しており力強い。何ごとに対してもけっしてぶれることなく常に核心を突こうとする。Kindle画面の向こうに浮かぶのは膨大な知識と抜かりない弁術を身につけた頼りがいのあるタフな僕らのアニキってイメージだ。反面、ここまで圧倒的だと盲目的な信者をも生むのではって心配しそうになる。彼がラジオでときおりみせるお茶目な態度に接するとその不安もちょっと解消するけど。

巻末に分厚い独特な注釈はとても重要で誰かと議論するときなどに役に立ちそうだ。それに対応するだけの記憶力があればだが。

最後あたりにおそらくは荻上チキ氏を意識した強烈な表現が出てきてびっくりした(そういえばちょっと前にラジオに共演してやり合ってたっけ)。言論の世界だとこういうバトルもありなんだろう。そのあたりを読みながらなんとなくだが、宮台氏は村上龍的であり、荻上氏は村上春樹的だ、と感じた。

男性的でパワフルで強く正確な言葉で実社会と直接的な関係を構築する村上龍氏と、いつも自信なさげで自分のぶれる心を心配しながらできるだけたくさんの声に耳を傾けつつも最後は自分の感性を頼りに表現を続ける村上春樹氏。僕はどちらの作品も好きだ。
核と日本人 - ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ (中公新書)
山本 昭宏 / 中央公論新社 (2015-01-23)
読了日:2015年4月1日
Twitterに流れてきて読んでみようとAmazonで。
どこか既読感があったのは、以前読んだことのある橋本努の「自由に生きるとはどういうことか」と、同じく武田徹の「核論」のアプローチや内容と少し共通していたからだろう。

唯一の被爆国である日本人にこそ核エネルギーを平和利用する権利があるはずだ、という時代の雰囲気について書かれた文章で思い出したのはなぜか柔道についてだった。

たとえ大きく体格の異なる相手であっても、敵の強い力をうまく利用しさえすれば最終的に勝つことが可能、だなんてまるで武道みたいじゃないかと思ったからだ。当時としてはごく当たり前に、真剣に考えられた発想だったのだと思う。

3.11以降、まるでかつての原発推進論者が福島を破壊した張本人であって、「いつか破綻すると分かっていながら実利を優先した」悪者であると烙印を押された感があるが、実際のところ戦後すぐの雰囲気はけっしてそうではなかった。

本書が指摘するのは「たしかに当時はそうだったかもしれないけど、考えを修正するチャンスはたくさんあった。現に多くの大衆作品はそれらを適確に表現し、国民の多くも徐々に危機感を感じていたに違いないが、しかし政策や産業はあまりにも動くのが遅すぎた」という戦後史の一面である、と感じた。

現代に生きる日本人に必要なことは「原子力・核さえなくせば何とかなる」という発想だけではなく、「原子力・核では見事に失敗した。もしあの時代に戻れたらどう振る舞うべきだったのだろう」という観点と、たとえば50年後の2065年に「2015年の段階でもっと真剣に考えるべきだったのに」、なんて後悔していることが実はいま進行してるんじゃないか」って冷静になる態度なのだと思う。

そのヒントはその時代の大衆作品にもあるのかもしれない、と考えさせられた。

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