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2015年4月21日、Paul McCartneyの大阪公演に行ってきた

ポール・マッカートニーのライブに出かけた。僕にとって三度目のポール体験である。せっかくだから忘れる前にちょっと書いておこうと思う。
2015年4月21日、京セラドーム

2015年4月21日水曜日の大阪公演は、今回の日本ツアー初日であった。実は昨年の大阪公演には行く気満々でチケットも準備し、仕事を絡めた旅程まで立てていたのだけど、ポール氏の病欠ですべて取りやめになっていたのだ。
だからなんとなく今回はパスするつもりでいた。ところが直前になって仕事上の知り合いから「チケットが2枚ダブってしまったのだけど要らない?」という連絡が届いてしまったのだ。しばらく躊躇したけど、1時間以内には「行きますとも!」と返事してしまい、大阪行きの準備に取り掛かることになった。

これまでの2回は常に妻と一緒だったから今回もそうなる流れだったのだけど、その期間しばらく妻は帰省する予定になっていた。熊本の僕と群馬にいる予定の妻がそれぞれ大阪に移動して参加、ってプランも考えはしたのだけど、さすがにコストがかかりすぎる。
だから今回は僕だけで行くことにした。といってもチケットは二枚あるわけで、誰かねんごろな愛人でもいれば話は簡単なのだけどあいにくそういうこともないわけで大阪在住の友人に声かけると二つ返事で行くというのでオッサン二人の参戦がきまった。

昨年暮れのイギリス旅行ブログでもなんどか書いたような気がするけど、僕はわりと年季の入ったビートルマニアなのです。小学生の頃に友人宅のステレオで聴かされた赤盤・青盤に衝撃を受けて以来だから、もうかれこれ40年近くになる。すっかり伸び切った筋金が頭頂からつま先まで錆びつきながらも通ってるようで、まだ生きてるビートルに会えるとなるとつい脊髄で反応してしまう。

2002年11月17日、奇跡的に入手した一列目チケット
初めてポールの生声を聴いたのは2002年11月の大阪だった。この時もはじめは行く予定などなかったのだけど大学時代のバンド仲間が久々に連絡してきて「チケット余ったので買わない?」という流れだったのだ。ならば行こうか、とたいして興味のなさそうな妻と息子を誘ってフェリーに乗って大阪まで。細かな経緯は当時の記録に譲るとして、奇跡的にステージのフロントロウ席に回され、最後まで一度も座ることなく踊りっぱなし、叫びっぱなし、しかも周囲のみんなと号泣合戦、という珍しい体験をすることになり、錆びてたはずの筋金が増強され今に至ることになった。

Driving Japan 2002
当時は30代後半で、父の経営する会社を引き継いだばかりでもうむちゃくちゃ忙しく、将来性とかやり甲斐も見失ってる時期だった。きっと自分は死ぬまでずっとこんな調子なんだろうなあ、となかば諦めかけていた。でも老境に達した(といってもまだ60歳くらいだったはずだが)ポールのパフォーマンスはそんな僕をおおいに発奮させてくれ、枯れかかってたエネルギーが湧き上がってきた気がしたものだ。
熊本に帰ってもその興奮冷めやらず、古いアンプをほじくり出してギター弾き始めたり、乗っていた4ドアセダンを2シーターオープンカー(軽自動車だけど)に乗り換えたり、それから3年後には父から引き継いだ事業を他社に譲渡したりしたわけです。

二度目もアリーナで経験
二度目のポールは2013年の福岡公演。大学の軽音楽部仲間だった妻も前回の大阪公演では僕と同じくらいポール魂に感化されたらしく、今度もぜったいに行くのだとネットでチケット予約し、ちょっと後方だけど一応はアリーナ席を確保し当日に挑んだ。その日は僕らの20年目の結婚記念日から数日後だったこともあり、僕らにとっては記念日的なイベントにもなった。前回同様、最後まで立ちっぱなしで大騒ぎした。70歳を過ぎてたはずのポールは11年前よりも長時間のステージを軽々とこなし、最後の方ではむしろ観客サイドがバテ気味ですらあった。誰だよ今回が最後かもしれない、なんて言ってたのは!なんて言い合いながら僕らは遅くまで福岡の夜を楽しんだ。

Jetstarで関空へ
さて今回の大阪公演も初回と同じく京セラードームだった(名前は変わったけど)。譲ってもらったチケットを見ると僕のシートはフロントロウでもアリーナでもない二階席だったけど幸いなことにセンターど真ん中だった。ポールのステージにはいつも巨大なスクリーンがセットされ、リアルタイムに撮影された映像が表示されるからあまり距離は感じさせないことだろう。
今回は福岡空港から関西空港へと飛ぶJetstar機を利用して1泊2日の旅である。福岡まではオープンカー(そう、あれから12年も乗っている軽自動車)で行くことにした。

片道5,000円以下というビートルズが現役時代だった頃よりも安いんじゃないかって思わせるLCCに乗り、当時は存在しなかった関西国際空港に飛ぶ。そこからはJRで大正駅へ。駅を降りるとすでに人目でそれとわかる集団がどことなくアニメチックな外観の京セラドームへと続いていた。

1991年鈴鹿
年齢層はもちろん高めだけどバラエティに富んでいる。どこか上気しているけどでももう慣れてるもんね、でも実際に始まったらそこいらの誰よりもクレイジーになるぜヘヘイ、という妙な空気が漂っている。これって昔どこかで吸ったことのある空気だと思うけどなんだっけ。しばらく歩いているとふと思い出した。一昔前のF1鈴鹿だ。何度目かのF1日本グランプリ。当時はまだバブリーなF1ブームの残滓も少し残っていたけど、毎年通い詰めてるコアなファン層はもう馬鹿みたいにお祭り騒ぎしたりお土産屋にならんだりすることをやめ、ただ自分の楽しみのためだけにやってきてる感じを発散していた。でもそれでもいったんスタートの轟音が響きわたると、もうそんなクールさを脱ぎ捨て、何もかも以前と同じように馬鹿騒ぎするのだった。俺はもうそんな若くねえが、まだまだ枯れちゃいねえ的ないかにも中年的なノリが場を支配していたのである。あれ、なんの話だったっけ。

早い時間から開場外は興奮気味
そうだ、セナじゃなくてポールの話だった。
まだ何時間も前なのにドーム前は人の波で溢れていた。チケットを見せるとすんなりとシートまで案内してくれたけど、一方でお土産でも買おうとすれば往年の鈴鹿に負けない長蛇の列ができていた。諦めてぼくはシートに座りビールを飲みながら友人との合流を待つ。ほどなくしてスーツ姿の彼が到着。とにかくな、これが終わるまで仕事の話は一切禁止だからな、歯科のシでも出したらお互い殴り合うぞ、という約束のもと写真を撮り合ってぎゃあぎゃあ騒ぎ始める。ステージはすでに出来上がっており、VJらしき男がリミックスされたポールの曲を流し続けている。

パノラマな光景
時刻は19時を回ったがまだスタートする気配はない。大方の席はすでに埋まり観客はスタンバイ体制だ。流れている曲や映像はたぶん一昨年の福岡公演と変わっていないのでなんとなく、あ、これが最後の曲だな、そろそろ始まるんじゃないかなってのが分かった。それが分かったのは僕だけではないらしい。そう会場の多くはリピーターなのだ。
スマホの明かりが演出する
客電がおちると否応なしに満席の客が騒ぎ始めた。もはや阿吽の呼吸。客電ばかりかステージの照明までもが一気に落とされると歓声は驚きの声となった。まるで宇宙ステーションから眺めた夜半球の地球のような青白い光の絨毯が現れたからだ。アリーナから二階席に至るまでに散らばった何千何万というスマホのスクリーンだった。ポールのコンサートではずいぶん前からプロ用の機材や動画でない限り撮影が許可されている。むしろ奨励しているくらいの勢いすら感じさせる。だからみんな当たり前のように電話やメールやSNSで「いよいよ始まるんだよ、すごいよね!」なんてあちこちに連絡しているというわけだ。ステージング担当はきっとそこまで計算してこの演出を考え出したのだろうと思った。

リバプールで乗った
Magical Mystery Tourバス
12年前にはじめてこの場所で生ポールを見た時はディストーションの効いたコードで始まったHello Goodbyeがオープニングだった。あのコードとバイオリンベースのシルエット映像だけで会場の全員がノックアウトされた衝撃を憶えている。でも今回は普通にヤアヤアとばかりにポールが登場し、カウントとともにあの虹アニメが展開する中でMagical Mystery Tourで始まったのだ。そう、去年11月にリバプールで僕が乗った観光バスツアーと同じ名前ですよ。偶然かな。そんなわけない、こっちが本物だ!ここへ来て突然ロンドンやリバプールで尋ねたポールの実家やAbbey Road前の横断歩道の記憶がフラッシュバックしてきた。

今回も総立ちになるのかと思いきや、そこは狭いシートである。誰かが立ったら必然的に後ろの席も立たないとステージが見えない。みんな行儀が良いのか遠慮してるのか足腰立たないだけなのかわかんないけど、僕は今回は生まれて初めて座ったままでポールライブを体験することになった。

・・・・さてこの調子で最後まで全曲解説しても良いのだけど、たぶん誰も最後まで読まないと思うし、僕の感想を他人に強要するのも良くないだろうから割愛しておきます。あの元気さだったらまたしばらくしたら日本に来るだろうし。

でもやっぱり印象に残った曲についてだけちょっと書いておきたい。

まず7曲目に歌われた My Valentine。福岡で見た時と同じ動画を背景にしっとりピアノで唄った曲、古いジャズのカバーだとばかり思い込んでいたのだけど、これはポールのオリジナルなのでした。あらためて良い曲だと思う。どうしてシンプルなコードでこんな曲ができてしまうのだろう。



それから13曲目のAnother Day。僕はYesterdayよりこちらの方が好きだ。ポールの曲といえば(さっきのMy Valentineもそうだけど)長調と短調が違和感なく融合している進行が特徴的だけど、ビートルズを解散したばかりの頃の彼は従来のスタイルから抜け出そうと実験的な模索を繰り返していた。でもこの曲はそんな中でもふっと力が抜けて昔に戻ったようなそれでいて従来とは違う良さを見つけたぞ、って感じの優しい曲だった。どこかペニーレインっぽさも感じさせる。



「世界初公開デス」と始まったHope for the Futureは以前YouTubeでみた時とはまるで違っていて、よく練られたポールらしい曲だなあと感心した。ゲーム画面とともにみた時には「おいおい仕事は選ぼうよ」って思ったんだけど。昔から彼はコンセプトを重視するあまりついやり過ぎてしまう。だから初めて聴くと「なんだこの全部盛り感は」と戸惑うのだけど次第に耳から離れなくなり、しまいにひょっとしてこれは名曲なのでは、って説得されてしまうのである。そういう媚薬はどこに仕込まれているんだろう。


ウクレレから始まるSomethingはここのところライブの定番だけど、前回2013年くらいからはアレンジがちょっと変更されて、Georgeの追悼コンサートでEric. Claptonと共演した時のバージョンをベースにしたみたいだ。具体的にはバックバンドが入ってくるあたりの演出。あの動画はYouTubeで何度みても感動的だった。きっとポールもこれはいいね、って思ったのだろうな。いつかクラプトンも一緒に連れてきてほしいものだ。


おばちゃんに習って僕も立ち上がった
アンコールも2度目になるとさすがに我慢できなくなって僕も立ち上がった。面白いものでわずか50cmほど視点が上がるだけで何もかも変わって見える。まずは会場の満員感に圧倒された。周囲の人たちも次々に立ち上がりようやく若者に戻ろうとしている。
こうなるとさっきからずっと通路に立って踊り狂っているおばちゃんこそが我らがリーダーだ。時おり感涙にむせびながら彼女はずっと拳をあげ、声をからしてノリノリなのだ。周囲の僕らは彼女に勇気づけられ、次々と立ち上がる(いや、後ろの席はそうしないと見えないのだけど)。

この会場との一体感はアリーナでは体験できないものだ。見渡すかぎりのヒト、ヒト、ヒトを視野の片隅に入れながらステージやスクリーンに向かっていると、まるで団体戦を戦っている気分になってきた。生き残った伝説 vs 異国のファン連合。さっきまで隣で泣きっぱなしだったおっちゃんも立ち上がった。 I saw him standing here、そうだそのイキだ。


立ち上がると会場の満員感
今回もアンコール6曲を含む37曲をまったくの疲れも見せずに演奏しきったバンドにはいつまでも万雷の拍手が止まなかった。2001年くらいからずっと同じメンバーでツアーしてると思うからメンバーもそこそこな年齢なはずである。バンマスが72歳だからひよっこ扱いかもしれないが、それでも世界的に見ると中高年の星みたいな存在だ。往年の名曲を演奏するからといってキャバレーの箱バンみたいな手馴れた演奏するわけでなく、しっかり楽しんでいる感じがする。テクニック的にも最高峰だろうしそりゃ信じられないくらいギャラももらってるに違いないのだけど、なんだか荒削りな若々しさを感じさせてくれてとても気持ちよかった。そこそこ売れたバンドのメンバーとかを田舎のライブハウスとかで見かけるとどことなく業界臭的大物感を漂わせてて、厭らしい感じを振りまいたりするもんだが、なんとなくだが彼らはそういう感じと無縁だった。

何万という笑顔がステージに向いていた
The Endでコンサートも終わる。お約束といえばそうだけど、まさか本人もこんなかたちで利用できると思ってこの曲を書いたわけではあるまい。次に彼のステージを見ることができるのはいつになるのだろうか。毎回今回で見納めかもしれないなんて思うけど、でも実際にやってくるとあと10年は大丈夫かもなって思えてくる。特注の車椅子で走り回りながらベース弾いてる姿が目に浮かぶ。いやもしかしたら次に来日する前にこちらが逝ってしまうかもしれない。次のコンサートに僕はチケット代も払わずドームの天井あたりに浮かんで踊っているかもしれないのだ。そう考えたらこの会場にも往年のビートルズファンがたくさん浮いてるのかもしれんぞ、なんて。The Endはいっこうに来ないのだ。


慌ただしい一泊二日の大阪だったけど、終了後は友人と泡盛飲んで、翌朝はちょこっと仕事もし、福岡経由で自宅に戻った。日が暮れる前においおいどこへ行ってたんだよ寂しかったぜ、という表情の柴男を連れ出してしっかり散歩しながらも僕の脳内ではDriving Rainが何度も鳴っていた(今回も演奏されなかったのだけど)。

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