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2015年11月に読んだ本の記録

出張が多かったせいか割と充実した読書月間となりました。
期間 : 2015年11月1日 ~ 2015年11月30日
読了数 : 12 冊
ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
高木 徹 / 講談社 (2005-06-15)
読了日:2015年11月29日
これも伊藤剛氏の著書参考文献からお取り寄せ。
著者は僕と同い年だが本書が書かれたのは10年以上前とのことだからまだ40前だったはずだ。若いのに素晴らしい取材と表現力である。
冷戦終結後の1992年から続いたユーゴスラビア内戦の内幕にPRを通して迫る。まずはPRと広告とがまるで違う概念であることを知る。アメリカのPR専門会社が外交や戦争の中枢に入り込んでいく姿を凄まじい臨場感で描く。たとえば民族浄化(エスニック・クレンジング)という単語がどのように発明され、地球上に流布していったのか。「強制収容所」という語感が与えた影響とは。人物像を中心に描かれる裏側はフィクションの映画のようだ。
しかしこれが民主主義なのだとも思う。大衆が、人民が、それも国際社会に生きる他国の人間たちの感心が国や地域に住む住民たちの命運を左右するのだ。であればそれを専門としてビジネス活動する会社があっても不思議ではないし責めることもできないのかもしれない。中世のように宗教で全てを定めたり古代帝国のように皇帝がなにもかも責任を持つ時代ではないのだから。それでも後世による検証とそのための透明性が失われることがあってはならないとも思った。

国際ニュースに興味のある人は必読の書だと思う。
文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)
アンヌ モレリ / 草思社 (2015-02-03)
読了日:2015年11月29日
伊藤剛著「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか」を読んで感銘を受け、参考文献をいくつか読もうと取り寄せた。メディアリテラシーがテーマとなる。「戦争の当事者は必ずこう言う」という法則を多くの事例で解説する。主な広報手段はマスメディアとなる。最近ではネットも加わっていることだろう。

つまりである。日ごろ私たちが接する「ニュース」や「報道」の中には「戦争当事者によるプロパガンダ」が相当数紛れ込んでいる、という事実をしっかりと念頭に置いておかねばならない時代に私たちは生きているということだ。「ニュース」が客観的な真実を報じているだなんてことは万が一にも無いという自覚を持たなければならない。すべてがウソ、という意味では全くない。事実を伝える際に必ずバイアスが掛かっていることを忘れてはならないということだ。
下記10項目について、当事者は必ず意識しているということである。
だから受け取る側もそれを前提に聞かねばならない。

「親ならばケンカした子どもたちそれぞれの言い訳を頭から信じるな」という話に近いと思う。
ケンカの当事者はそれぞれが自分に都合の良いように話を少しずつ曲げ再構成しながら自分は正しい、罰するべきは相手だ、と主張することなんて誰もが知る常識だからだ。

ネットやマスメディアに流れるニュースや話題にすぐに反応しては怒ったり嘆いたり心震わせて同意を求める活動をしたことのある人(自分含む)であればいちど目を通しておくべき本だと思う。

戦争プロパガンダ10の法則------------------------

1.われわれは戦争をしたくはない
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5.われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7.われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9.われわれの大義は神聖なものである
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
火花 (文春e-book)
又吉直樹 / 文藝春秋 (2015-03-15)
読了日:2015年11月29日
妻が読みたいというのでKindleで探したら半額セールだった。2時間ほどで読み終えた。直木賞をもらうだけのことはあり中身は素晴らしかった。
主人公の徳永は、師匠の神谷を無意識に翻弄していくのだけど、その結果師匠を追い越して大人になっていく、そんな話だと思った。アーティスティックな脆さを持つ師匠神谷は、才能はないかもしれないがなぜかしら生存能力だけは高い弟子徳永との距離感に悩んでしまう。だから無理に突き放したり、逆に異常接近したあまりほとんど同一化してみたりする。挙げ句の果てには弟子のオンナにまでなろうとしてしまう。
一見弱そうでニュートラルな主人公徳永はそんな師匠の芸風を取り入れますます爆発的に成長してしまうが本人はそれにすら気づかない。そんな物語にカタルシスなど用意されることなく、あくまでイノセントて低体温な日常感を続けていくのだ。それはまさに純文学の態度そのもの。
読み手によってさまざまな捉え方ができる可能性を秘めた小説だと感じた。
これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝 (文春文庫)
赤塚 不二夫 / 文藝春秋 (2008-10)
読了日:2015年11月28日
満州というキーワードでAmazonを検索していたら出てきたのが赤塚不二夫だった。取り寄せて読み始めるととにかく面白い。表現者なのだから当たり前なのだろうけど、一度読み出すと簡潔で正直な文章から離れられなくなる。出張中の飛行機や電車で熱中してしまった。子供時代の満州エピソード、僕が歴史で学んだニュアンスと少しばかりズレるのが面白い。それは赤塚氏が子供だったからだろう。敗戦国となり命に危険が迫る状況においてもソ連兵や中国人たちとの会話に感じるユーモアこそが後のギャグ漫画の栄養素だったのだと気づく。帰国後の貧乏生活や漫画家としてのデビューまでの話からは何もかもひっくり返った時代、それまでとまったく異なる社会が勃興していく時代ならではのエネルギーが伝わってくる。それにしても両親が素晴らしい。素晴らしいと言っても、もし僕の両親だったらとてもじゃないけど耐えられないと思うくらい暑苦しい家族思いなのだ。きょうだいがたくさんいて、ある日簡単に亡くなっても日常生活を続けていかなければならなかった人たちならではの感情なのかもしれない。戦争はいろんなものを奪い、植え付けていったのだろう。
インテリジェンスの最強テキスト
手嶋 龍一 , 佐藤 優 / 東京堂出版 (2015-09-11)
読了日:2015年11月22日
所属してる同業者団体の例会講師に著者の一人である手嶋氏が決まったとのことで送られてきたのでさっそく日曜日に一日がかりで読んでみた。これまで二人の対談本は何冊か読んでいたし、ウクライナやイスラム国に関連する書物もいくつか目を通していたこともあり衝撃的な事実を発見したとか、目から鱗が落ちた、という読書体験とはならなかったがなるほどそう考えるのね的な納得感はあった。
その後手嶋氏の講演に接したわけだが、書物で読むよりも断然分かりやすくし面白かった。
そうなるとこの本の構成や文章表現の方が僕に合わなかったのかもしれない。数年して読み返してみるとそのあたりが実感できるのだと思う。
実家の片付け、介護、相続…親とモメない話し方
保坂 隆 / 青春出版社 (2014-12-02)
読了日:2015年11月22日
AmazonKindleストアに進められて何となくダウンロード。幸いうちは両親ともに健在だし、心配するほど相続もないだろうから現実に心配なことは何も無いのだけど、最近あちこちから大変だーなんて話も見聞きするようになってきたので読んでおこうかなとと。
著者がお医者さんということもあり、合理的かつ弱者に寄り添った考え方には共感したし、なるほどそんな話法もあるわなあと勉強になりました。実際に使う場面が少しでも先になること、できれば来ないことを祈りながら。
ドキュメント戦艦大和 (文春文庫)
吉田 満 , 原 勝洋 / 文藝春秋 (1986-04-25)
読了日:2015年11月19日
以前読んだ特攻に関する本に「神風特攻全体とほぼ変わらぬ人命が一度に失われた水上特攻」という項目があり、またパリでの"Kamikaze"報道が話題になっていたこともあって以前から気になっていた本に挑戦してみた。
太平洋戦争当時、戦艦大和に実際に乗っていたり、港から彼らを送り出したりといった人間たちの生々しい証言から見えてくるのは、伝説的な美しい物語でもなんでもなく、明らかに勝ち目のないことを知りながらも「仕方がないことだから」「これは日本武士の滅びの美学」などと当時の空気に抗うこともなく若者たちの命を海に捨て去ってしまった大日本帝国指導者たちの愚かな姿だった。

勝ち目のない戦いと知りながら爆弾を抱えて次から次に突っ込んでくる若い日本兵を目の当たりにした米軍はさぞ怯えたことだろう。日本人はみな自分たちとまったく異なる考え方を持つ狂信者であり、もはや「話し合うことなど不能」だと信じ込んでしまったことだろう。あるいは彼らの狂信的な突撃を止めるためには大量破壊兵器を使うしかないのだと、正当化したとしても不思議ではない。それくらいの副作用は「滅びの美学」には、ある。

いまISによる自爆テロが大きなニュースになっているが、パリでの同時多発テロ以降、「彼らは狂信者であり分かり合うことなど絶対に不可能だから徹底的に潰し、排除するしかない」という世論が日に日に大きくなってきたように思う。日本の特攻と自爆テロを一緒にするなという議論にも一理あるが、いずれもそれを目の当たりにした人間から理性を奪い、より大きな暴力を誘発するという意味では同じベクトルにあるのではないか。
その意味で僕らにとってまったくの他人事でなくなっていることは明かななのだと感じた。
なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~ (光文社新書)
伊藤 剛 / 光文社 (2015-07-20)
読了日:2015年11月15日
最近読んだ本の中では群を抜いて分かりやすく、参考になった新書だった。
双方が「正しい」と信じる間でコミュニケーションを成立させることはとても困難だということをあらためて考えた。ネット上でよく目にする「はい論破」といった態度が導く結果は戦争であり、平和とはその対極に位置するものだ。これもよくネットで目にする「もっと勉強しろ」「歴史に学べ」という言葉もおそらく対立を深め、行き着く先は戦争だといつも思う。自分が生まれる前の過去に遡り、民族の恨みを学ぶことで平和が生み出されるとはまったく思えないからだ(過去を振り返るなという意味ではない)。深まる一方の対立を正当化するために「学ぶ」ことと、誰かのプロパガンダに屈することにさほどの差があるとは思えない。

でも僕にはどうしてよいのかまだわからない。とりあえず本書の参考文献を片っ端から読んでみることにした。そしてまさに本書を読んでいる最中にパリの同時多発テロ事件のニュースを見ることになった。その意味でも忘れられない一冊となりそうだ。僕より10歳も年下の著者には大きく刺激を受けることになった。参考図書を一通り読み終えたらあらためて再読してみたいと思う。
余談だけど一方でこれはマーケティングの本としても読めると感じた。商売も戦争も心理戦という意味では似たところが多いからだ。人間がいつまでも離れられない愚かな習性という意味でも。
世界最終戦論
東亜聯盟協会関西事務所 , 石原莞爾 / Kindleアーカイブ (1940-01-01)
読了日:2015年11月10日
Twitterでみつけたのか青空文庫経由でEvernoteに入れておいたもの。
現代日本の常識を持って読めばどう考えても誇大妄想としか思えない講演録なのだけど、当時は驚きと納得を持って迎えられた最新の思想だったのであろう。全体像を見渡せない状況のなかで(それは当たり前のことだし、現代であってもそんなことはできないわけだけど)自分なりに情報を集め、あり得そうな物語を推論で組み立て、世に問うこと自体はそんなに異常なことではないと思う。だけどいつの間にか言葉は一人歩きし、大きな物語は想像以上に多くの人間を巻き込んでいく。どこかで予言の自己実現が始まる。いちど物語を信じた者は真実味を強化する情報ばかりを選択的に取り入れ、異を唱える者を攻撃するようになる。

石原完爾もきっとそんな体験をしたのだと思う。後世に生まれた僕らができることは彼の体験を繰り返さぬためにもしっかりとした冷静な態度をそこから学ぶことではないかと思った。
テロルの決算
沢木耕太郎 / 文藝春秋 (2008-11-10)
読了日:2015年11月10日
1979年の名作が安くなっていたのでこれを機会にとKindleで読んだ。17歳の思い詰めた右翼少年山口二矢と、けっして大政治家とは言い難い61歳の政治家の運命がさしたる理由もなく交錯し、二人の命が消滅するまでを描く。純粋な青年だった山口二矢は昭和18年生まれだからもし生きていたら今年で72歳、まだまだ元気な老人として近所のスポーツジムで暇を潰していてもおかしくない年齢だ、一方の浅沼稲次郎は1898年生まれだから明治生まれだ。そう考えているとすっかり過去の出来事みたいだけど、案外に歴史は遠いものではないのだなあと実感できる。

ところでこれを読みおわってすぐにパリでの同時多発テロ事件のニュースに接することになるとは。動乱の日々は過ぎ去り平和な日常が続く日本で暮らしている僕からは想像のつかないことだけど、世界中にはまだ山口青年のように思い詰めた若者たちがたくさんいるのだとあらためて思いなおすこととなった。

本書で沢木耕太郎がただの貧乏旅行作家ではなかったことを知る一冊となった。ただ「あとがきⅢ」に関しては不要だったようにも思う。
「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
エマニュエル・トッド / 文藝春秋 (2015-05-20)
読了日:2015年11月8日
読んでも良いかなと思っていたところにKindle安売りで購入、すぐ読んでみた。ちょっとだけ調べると著者は実績のある学者みたいだが、そんなこと知らなければただのヘイト本じゃないのこれ、というのが読んだ直後の感想だった。というか今でもあまり変わってないのだけど。文中の「ドイツ」を「中国」や「北朝鮮」や「韓国」あるいは「日本」に置き換えるだけで、同じような主張の本は町の本屋に立派なコーナーが設置され売られているはずだからだ。
フランス人である著者がドイツ人をその家族構成や教育に対する考え方を批判すること自体は良くある話だと思うが、それが日本でも大まじめに販売されしかも売れているという意味がよくわからない。
「まじめに研究している学者でも隣国に対してはバカげた主張をする人間は世界中どこにでもいる」ということを知らしめるために出版されるのであればそれもありかなとは思うんだけど。
ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
広井 良典 / 岩波書店 (2015-06-19)
読了日:2015年11月7日
取引先がこの本は面白いから読むべきだと強調するのでさっそく読んでみた。学生時代は曲がりなりにも経済学部にいたので、いやいやながら経済原論なんて名のついた読みづらい教科書を試験前に焦って読んだことを思い出した。当時はマル系(マルクス経済学)と近経(近代経済学)とがしっかり対立していて僕ら学生はその両方を適当にかいつまんでは、採点する教授の考え方に合わせて作文するという芸当ができないと単位が取れない時代だった。もちろん冷戦時代の話だから今そんな呑気な授業は行われていないと思うけど。

だからそんな冷戦時代に経済を学んだ人間にすれば「資本主義が人類の最終解決ツール」なんて話を耳にしたらおいおいそれって単位を取るためだけに作文した程度の与太話じゃないかって思えてしまうのだけど、考えてみれば冷戦終結から25年も経過してるのだから、そんな人間はどんどん少数派になってきたはずだ。つまり「共産主義とか社会主義なんて悪い冗談」「資本主義、自由経済は今後もずっと続いていく」と頭から信じていても問題のない世の中になりつつある。だから本書のような問題提起は有効だ。

冷静に考えるとアベノミクスとはけっして資本主義的、自由主義的な経済運営ではない。むしろ他国であれば社会民主主義政権が採用した政策に近い。他国を見渡しても純粋に資本主義的、自由主義的な経済運営で成功している例などほとんどなく、過去を振り返ってもそれが成功したのは本当に歴史の一部分でしかない。純粋な資本主義が有効だった時代はとっくに過去の話なのだ。

では資本主義がいつまでも続かないとして、その先(ポスト資本主義)とはいったいどんな世界なのだろう。本書のテーマはそこにある。マルクスが予言したように社会主義や共産主義がやってくるのだろうか。ケインズが言ったように双方の美味しいところをうまく活かしていけばハイブリッドな経済体制が続くのだろうか。あるいはまったく予想のつかない体制が出現するのだろうか。

僕がざっと読んだ限りではここに答えが書いてあったわけではない。資本主義がこのまま安泰に続いてくことがないという前提には共感する。でもだからといってこれから新しい未来が開けるとも思えないのだ。恐らくだけど人類は右に行ったり左に行ったり自由にしたり規制したり戦争したり平和になったりしながら、つまり基本的には同じ場所をグルグル回り続けるだけで生き残るかあるいは滅亡していくのではないかと思ってる。その過程で何かを次に残していけるんだったらそれでもいいじゃないか、と少しSF的なことまで思いついたりしながら。

余談だけど「サービサイズ」という言葉を知ることができたのでこの本に出会えて良かった。

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