2016年4月17日 日曜日
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明け方の空、風はまだ強い |
まるで泣きっ面に蜂のような轟々とした暴風をBGMに僕らは酒の助けもあって数日ぶりにぐっすり眠れた。やはり寝室の窓に目張りしたりした強化策の安心感だろう。これから家を建てる人は雨戸つけるとよいです。あるいは最初からシェルター作っておくか。
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みるみるうちに青空が広がった |
夜が明ける前に目を覚まし、玄関から外を眺めるとまだ強い風が残っていた。雨はほとんどやんだようだ。もう一度寝て、今度は9時頃二階に上がると夜の嵐が嘘のように晴れていた。一つの山を越えた感じ。
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バスタブが給水槽だ |
前震の後にすぐ貯めておいた風呂の水が僕らのもう一つの生命線だ。断水中に手を洗ったりトイレを流したりしてるのに重宝している。その間にもさまざまなノウハウが蓄積されていくのだ。トイレの流し方とか。飲み水や調理には買い置きのミネラルウォーターが活躍し、米もインスタント食品もそこそこあるのでこのまま家に籠もりっきりでも僕ら夫婦と犬はあと数日間生きていけるだけのリソースがある。
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下宿スタイルラーメン |
二階に上がり窓を開けて裏手の駐車場を見下ろすとそこにはオートキャンプ気分で車中泊しているひとりのおじさんがいた。何やら美味しそうな光景だ。早朝からコンロでお湯を沸かしラーメンを作っているのだった。おい、二階に上がってこいよ、これ見てみなよ、なんだか楽しそうじゃないか、キャンプみたいだよ、と僕は妻に声を掛けすっかり気分が高揚した僕らは彼に倣って朝ラーメンをこしらえることにした。水が出ないので鍋から直接食べる学生下宿仕様だ。しかもなぜか立ったまま食べるという流儀。おにぎりに冷蔵庫に残ってた苺を併せてなんという贅沢な朝食だろう。美味しかった。
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漠然と人々が並ぶ |
午前10時、夫婦で近所の見回りがてら散歩に出かけることに。自宅より東側の方が益城町に近いので被害が大きいのかもしれないと戸島方面に歩き始めた。少し歩き始めただけで僕らの住んでいる地区の被害の小ささを思い知らされることとなった。昨年オープンしたばかりのディスカウントショップはまだ開店してなかったようだけど店の前には長い列ができていた。何ごとだろうと並んでいる方に尋ねてみると、いやみんなが並んでいるので開くんじゃないかなと思って、という返事だった。そういえば似たような話を5年前にも耳にしたことがあった。
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スタンドには平常が戻る |
しばらく歩くとガソリンスタンドに出た。昨日見られた給油渋滞はどこにもなかった。しかもガソリンの販売価格は地震の前と変わっていないようだ。被災地へのガソリン供給について業者間の協定が結ばれたと言うニュースを思い出した。きっとその成果なのだろう。この国は本来の意味での資本主義ではない気がした。そしてそれはひとつの希望なのかもしれない。
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レンタルショップも閉店 |
この散歩の目的のひとつは妻が借りていたレンタルDVDと漫画本をGEOに返すことだったのだけど、想像通りお店は閉まったままだった。きっと棚からディスクや本が崩れ落ちて大変なことになっているのだろう。入口には当面営業できないので延長料金も請求しないとの張り紙が出されていた。ちかごろはインターネットオンデマンドや電子書籍ばかり利用してるけど、こういう機会のたびにエンターテインメントのクラウド化もいっそう加速していく気がした。
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コンビニも閉店 |
コンビニに立ち寄るがここも閉店していた。高度に発達させた流通は高速道路が不通になるといった少しの変数でそのパフォーマンスを著しく減じてしまう。365日24時間いつでも近所のコンビニで安い商品を入手できるという中世なら王侯貴族でも考えつかないような生活を国民全員が当たり前のように行使する世の中は思いのほか脆いものだった。それはとても有り難い世界だったけど、これからは薄氷の上を歩いていたことを忘れないようにしたいと思う。
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コンビニの棚 |
そういえば5年前にも散々耳にしたけど「不安に駆られた人々の買い占めによってコンビニからモノが消えた」という話はけっきょくデマだったように思う。POSなどでギリギリの在庫管理を強いられたコンビニシステムにおいては、大多数の客がいつもより2〜3割ばかり多めに商品を買うだけでいとも簡単に品切れしてしまうはずだ。それは競争社会で極限まで突き詰められたシステムの脆弱性の問題であって人々の愚かな行動の結果なんかではないと思う。
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壊れて鉄筋が露わになっていた |
東に進むにつれ建物の崩壊度は進んでいくようだ。でもすぐ隣接した建物にはまったく被害が無いようにも見える。いったい何が明暗を分けているのだろうとしばらく見入るが分かりやすい答えは浮かんでこない。建物の新しさや建材、構造に答えがあることは想像つくがそれだけでなくやはり断層がどこを走っていたのか、どの方向にどれだけ揺さぶられたかなどの要因も大きい気がする。この経験は次の地震に活かせるのだろうか。あるいはこれからも偶然に身を委ねるしかないのだろうか。そんなことを考える。
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パタンと倒れた塀 |
そろそろ帰ろうかと細い道に入った。どこもかしこもブロック塀が崩れ落ちている。耐台風仕様の重たい瓦屋根とプライバシー確保のために安価に組まれたブロック塀が被害を大きくしたことは間違いないはずだ。そろそろ法的な規制を考える時期じゃないかなあとも。ただでさえ最近は重たい太陽光パネルを乗せるケースが増えているわけだし、瓦はもっと軽量化して構造的に強度を持たせた方が良いと思うんだけど、専門家ではないのであまり断言できない。ブロック塀も全員が撤去したらそれはそれで慣れちゃう気もするんだけど。
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県立高校の避難所 |
近くの県立高校まで戻って来た。避難所になってるはずだと校内に入ってみると多くのクルマが停められたくさんの家族が車中泊していた。犬ネコ連れも多く、みんな明るく仲良さそうに見えた。どこかに給水車が来ているのだろう、若い男の子が自転車にポリタンクの水を積んでクルマに戻って来た。それを見た年長の男が「ちょっと、いったん戻ってもう一回走ってきて!動画撮るから」なんて言ってみんな笑っていた。今回の地震は神戸や東北に比べて家族を失ったり行方不明のまま探し続けている人が圧倒的に少ない。そのせいだと思うけど、悲壮感はあまり感じられない。もちろん誰もが余震に怯えているのは間違いないし、いつまでこの状態が続くのかという不安も大きい。けれども大声で笑ったりお互いに写真を撮り合ったりすることへの不謹慎感や自粛モードはあまり感じられない。このあたりの被災が小さいだけかもしれないけど。
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神戸赤十字病院のDMAT |
校舎のピロティには本部席が作られ、あちこちからのボランティアや派遣された職員たちが忙しそうに働いていた。神戸ナンバーの赤十字社DMATが停められており、なんて有り難いことだろうと感激した。昼間は明るく振る舞っていても慣れない場所で余震に怯えながら暮らす人たちにとってこの赤い十字マークはとても力強く映ったはずだ。あってはならぬことだけど次の災害が起こったとき、そこには一番最初に熊本ナンバーの救援車が入ることだろう。そういえば赤十字って熊本発祥だったはずだし。災害は日常を変えてしまうけど中には良い方向の変化があってもよい。
家に戻ってしばらくするとご近所の主婦がやってきて玄関先でお互いの物資交換となった。多くの家では水や食糧の備蓄に問題はなさそうだ。前震の時点で多めに補充していたからだという。うちもそうだ。それでもちょっと多すぎるかなとか消費期限が近いものもあるのでそのあたりは主婦ネットワークで交換してるみたい。彼女はパンが少し足りないといい、しかもクルマを持っていないというので妻が運転して近隣のショップを一緒に回ることになったようだ。僕はその間キッチンに座って久しぶりに音楽を聴いたりした。仕事中も寝るときも音楽がないと落ちつかない生活をしてきたのに、そういえばまったく音楽を聴こうとも思わなかった。2日ぶりに聴いた音楽は古いStingだった。
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公園で給水を受ける |
帰ってきた妻が今度は別の主婦ネットワークから近くの公園に給水車が来ているよ、しかもまったく並んでいないという情報を得たというのでさっそく出かけてみた。消防車から供給される水はそのまま飲用には適さないがお風呂やトイレには使えますとのこと、これで我が家のバスタブに溜めた水を補充できるぞと喜んで持ち帰った。キャンプ時に愛用しているポリタンクを風呂場に設置したらより新しい水で手洗いできるようになった。
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近所に支援物資が届いた |
夕刻、お隣さんから「角のマッサージ屋さんに福岡のNPOが支援物資を持ってきたよ」との情報。さっそく妻が見に行くと水や食料品、生活物資が無料で配られていたという。それでも僕らの家は今のところどれも困っていないし、あと3日くらいはこのままサバイブできそうだというので写真だけ取って何も貰ってこなかったという。さすがだね、と褒めてあげた。僕らは被災地に住んでいるけど被災者ではないと思うからだ。
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