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熊本地震の記録-5-4月18日月曜日は仕事を再開、夜はお泊まり会

2016年4月18日月曜日


月曜の朝というのに静かな道路
月曜日の朝、最初の地震からは5日目の朝ということになる。エクアドルで起こったM7.8地震のニュースに驚く。地球の裏側と言えば遠いけど太平洋の向こう岸という見方をすれば隣国なわけで日本国は熊本地震の直後であっても、いやだからこそエクアドルへの支援を惜しまないでほしいと思った。それが地震国の気概であり矜持のはずだし、その行動や信念は熊本の被災者をも勇気づけることにちがいない。

バスやタクシーが戻って来た
そんなことを考えながら朝の散歩へ。月曜にしては静かな道路だ。雨が降りそうなので少し足早に歩いていると僕らの後ろから都市バスとタクシーが追い抜いていった。なぜかほっとする。道路という血管に血が通ったような気がしたからだ。傷ついた組織に近隣から赤血球満載の血液が送り込まれプロの職人やボランティアに擬した白血球がやってくるとそこは活発すぎるエネルギーに発赤し発熱し、いつしか治癒していく、そんなイメージが僕の頭の中をよぎっていった。
コンビニ前でおどける柴男
交番前のコンビニに近づくと時間を限定して開店するとの張り紙があり、まだ開店まで2時間以上あるのにドアの前には若い女性が二人並んで待っていた。雨が降りそうだから大変ですよね、と話しかけるとひとりの女性が柴男を指さして笑い始めた。どうしたんだろうと見下ろすとソーセージのビニール袋をくわえているではないか。子犬の頃はよくやったものだけど珍しいな、彼なりにおどけて見せてるのかなと僕もおかしくなって一緒に笑った。幸い雨はまだ降り出しそうにない。

インスタント味噌汁+納豆
自宅に戻り、断水対策にとお皿をラップで包んだ朝ご飯をとる。月曜日だから仕事をしないとね、と仕事場に上がると9時を回った頃からお見舞いの電話やメールが続々と届き始めた。地震当時の経緯やその後の状況をなんども説明するうちだんだんと要領が良くなってきて、短い時間で笑いを取れるレベルまでスキルを上げてしまった。

本震の発生時刻
相変わらず余震は続いている。やはり2階の方が1階より揺れを大きく感じる。2階部分が木造のせいかもしれないけどミシッと軋む音が携帯の速報よりも速く届くのだ。散らかった本や書類を整理した妻が「ほらこれ見て」と時計を持ってきた。最初は意味が分からなかったけど、この止まった時間はまさに16日未明の本震発生時刻だった。本棚に置いてたので2mほど落下した時点で壊れてしまったらしい。電波時計だから秒単位で正確だよね、と記念に写真を撮っておいた。


夕方の町を走る
歯科医師会から電話があり、夕方に災害対策会議を開催するので顔出してくれないかとのこと。そういえば組合長だったっけ。渋滞を見込んで2時間近く前に家を出て歯科医師会館へ向かう。考えたら西の方向(街中方面)に向かうのは地震後初めてだ。予想通り道路は渋滞でちっとも進まない。だんだんと日が暮れていき、美しい夕焼け空を背景に微妙に曲がってしまった電柱や看板が一種異様な雰囲気を醸し出していた。

災害対策会議に参加
2時間半ほどの会議は東京の日歯と動画中継も行われ、会員の被災状況や今後の避難所での口腔ケア対応や物資輸送について念入りに話し合われた。僕も歯科器材店組合の立場で組合員の被災状況と今後の支援手段について発言したり。終了後は時間が遅かったせいかほとんど渋滞もなくスムーズに自宅に戻ることができた。もう22時半を回っている。


家に入るとそこは盛大な宴会場と化していた。ずいぶん前からバンド関係でつきあいのある0歳児と愛犬を抱えたミュージシャン夫婦とのお泊まり会を企画していたのだ。彼らの住む近くのアパート4階の部屋は天井がおちたり熱帯魚の水槽が破壊されるなどの壊滅的な被害を受け、余震も続いていることからずっと車中泊が続いていると聞き、だったらほとんど被害を受けていない僕らの家でゆっくり眠ってくださいなってことになったのだ。
それにしても大人たちは皆極度の飲兵衛かつ音楽ジャンキーであってとりあえずあるだけのビールやワイン、即席ラーメンやおにぎりなどでまるで学生ノリの宴会となっており、途中参加の僕も乗り遅れてはいけないと急ピッチで飲み始め、持ち込まれた高級ギターを掻き鳴らしては飲めや唄えの大宴会、午前1時を過ぎるまで余震を忘れての大騒ぎをしてしまった。いかなるときも常に笑顔の0歳児「エイトマン」には始終癒されっぱなしで僕ら夫婦はまるで孫を得た老夫婦のごとく大喜びの大はしゃぎ。柴男といえば友達犬のジャン君には見向きもせずにエイトマンにずっと寄り添ってすっかり親代わりになっていたのでした。

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