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熊本地震の記録-7-4月20日(水)・21日(木)・22日(金) 徐々に仕事へと復帰

2016年4月20日水曜日、次々復旧していく熊本

朝カレー(レトルト)だ

相変わらず余震は続いているようだけどもうあまり驚かなくなってきた。むしろ揺れた後すぐに「これは3だな」「いや3と見せかけといて実は2だね」みたいにニュース速報の前に震度を予想するゲームすら楽しめる余力すら出てきた感じで、それもこれも昨夜断水が回復した効果なのかもしれない。ぼくら現代人はその精神状態すら都市のライフラインに依存しているってわけだ。
東陵高校
目を覚ますと同棲状態(笑)のエイトマン親子は早くから目覚めていてすっかり元気みたいだ。もちろん柴男(13)も散歩行く気満々。昨日に続いて今朝も妻と柴男の3人で少し遠回りの散歩に出かけることにした。近所の高校を再訪してみると先日の数倍は支援物資が集まっていた。避難している人たちにずいぶん元気を与えることだと思う。

青空に旅客機が見えた
晴れ上がった空を見上げると旅客機が徐々に高度を下げ始めていた。本震翌朝以降、熊本空港はビルが使えなくなって閉鎖されていたのだけどどうやらそれも解決したみたいだ。いつもよりどこか誇らしげなジェット音を響かせながら滑走路を目指していた。こうしてあちこち傷ついた社会の骨格や血管は全速力で治癒しはじめ本来のエネルギーを取り戻そうとしているということだろう。

働く大人たち
目を降ろすとそこには飲料ジュースの自動販売機に補充する専用車とドライバーの姿があった。彼らもこの町の「あたり前」を下支えしている存在だったことに今さらだけど気づさかれる。絆や情熱、善意もありがたい。でも普通に働いている大人たちが普通の仕事を回復し、続けることこそが街のエンジンの始動キーになるのだと思った。
僕は散歩

で、僕は何をしているかっていうと、散歩なわけだ。みんな一生懸命なのに僕らだけこんなんでいいのだろうかって思えてきた。僕の仕事はサーバーの管理とか文書のスキャンとかメルマガ書いたりとか、とにかく目の前の何かを動かして汗をかくような感じじゃないので今すぐできることはあんまりない。夫婦でそんな話をしたけど、まずは車中泊を強いられてる赤ん坊やその両親にうちでゆっくりしてもらうことが今僕らにできることだよね、という結論になった。絆も大事だけど縁はもっと大切だと思ったからだ。

夕方からはSkypeで東京のビジネスパートナーとミーティングを1時間ほど。その後ODMLサーバーに大量の文書をアップし、事務局やってる勉強会の新規加入者をFacebookグループで紹介したりと日常業務に戻った。夜は久々に僕らだけとなったのでインスタントピザで軽く食べた。上水道は水量こそ回復したけどまだ濁った状態なのでお風呂はまだシャワー。



2016年4月21日木曜日、残念なSNS、またも暴風雨、今宵もお泊まり会


小学校の朝
午後からまた大雨が来るというので早めに散歩に出かけた。近所の小学校に入ると朝食の時間なのか支援食糧の配給が行われていた。きっと教職員や行政の方だと思うけど自らも被災者なのに大変だと思う。僕らもなにか手伝いたいと思うのだけど。昨日までクルマで埋まっていた運動場はもうガランとしていて日中はみな仕事に出かけているみたいだ。きっとみんな自販機を補充したり飛行機を運転したりしてるんだ。
また雨が降り始めた
家に戻ってネットを徘徊しているとちょっと気になる発言を見つけて驚いた。ちょっとあんまりだと思ったので反論を書いておいたらすぐに反応があり30分ほどやり取りが続くことになった。どう考えてもすべてが間違っているとしか思えなかったので(言葉は丁寧にしたつもりだけど)、とっちめておいた。発言は撤回させたけどたぶん謝罪まではしないだろう。みんな気が立ってるのは分かるけど、流言やデマを善意のオブラートに包んで広めるのは良くないことだし、それに異を唱えた者を公開で罵倒することも許されるべきでない。まして被災していない海外から空襲を受けるんだからたまったもんじゃない。ネットは便利だけどやたらと興奮するとノイズが増えて本来の役目を果たせなくなる。それ以上に副作用が拡がり収集つかなくなってしまう。まあ僕も熱くなってしまった一人なのは間違いないんだけど。

納戸シェルターも万一に備えて整備
正午を過ぎる頃から次第に雨が強くなってきた。二階の仕事場が揺れを感じるほどの風も吹き始めている。隣家の二階に大きなひび割れを見つけ、大きな余震と雨風で崩れ落ちたりしないか心配になる。小さな余震は立て続けに発生しておりその都度仕事場には軋むような音が響き渡る(二階部分は木造なのです)。向かいの家の屋根に張られたブルーシートが強風に吹き飛ばされそうになっている。大雨警報はもちろん、一部地区には避難勧告も発令されたようだ。僕らは一階に下りて仕事を続けることにした。

15時を過ぎると雨風はだいぶ弱くなってきた。お風呂ボイラー用の灯油を補給しないと、とクルマに乗って近くのスタンドに出かけた。少し足を伸ばしてドラッグストアにも立ち寄る。天井の一部が崩落してたりはしたけどもう通常営業が復旧されていて、そして驚いたことに店内には以前と変わらぬかそれ以上に豊富な商品で満杯だった。販売価格も通常と変わらない。行列も全くない。いたって普通に商品が流通し、販売されていることに僕らは心底驚いてしまった。通常と違うところはレジでペットボトルのお水を2本、無料で配っていたことくらいだ。

エイトマンと柴男
道路事情が徐々に回復しつつあるいま、全国からの支援物資は今後ますます熊本県内に届き始めることだろう。無料の商品が県内に行き渡るということは、一方で長期的には地域経済を担う流通業に打撃を与えることになりはしないかと少し心配にもなってきた。流通や販売を担う人たちもまた県内の人間で被災者そのものである確率も高い。被災直後には命さえ左右する大切な支援物資だけど、効果が大きいということはその副作用もまた大きくなってしまう可能性がある。そのバランスと調整はとても難しい。今朝のネット問題となにか共通するイシューがあるのかもしれない。

夜はまたエイトマン一家がやってきて楽しく宴会。みな手に手に楽器を持ち、唄い、踊り、食べ、飲んで血の巡りをよくするのだ。


2016年4月22日金曜日、メルマガ発行、納戸シェルターに寝泊まり

初めての離乳食
朝起きるとプリンスが死んだらしいとのニュース。そこまでのファンじゃなかったけどこないだ西寺郷太氏の著書を読んだばかりだったから少しショックだった。57歳か。彼はジミヘンと同じく27歳で天に呼ばれるところを30年間この世に留まって曲を創りまくってのかもしれない、と思うことにした。ベッドを出るとすっかり天気は回復していた。

松井社長有り難う
エイトマンは朝の食卓で人生初めての離乳食を口にした。本人は思い出すことなんてないだろうけど、そんな日が僕らの家のキッチンだったなんてなんか面白いよね、とみんなで盛り上がる。いつの日か彼がプリンスみたいな偉大なミュージシャンにならないとは限らない。その時はどこかの国からやってきた取材陣に僕らが今朝の話をするってわけだ。

彼らが部屋の片付けにとアパートに戻ったあと、別府の社長が支援物資ですと野菜を持ってやってきてくれた。流通のほとんどは回復したけれど、日配食品はまだまだ店頭にないわけで、野菜不足気味だった僕らは多いに喜んだ。別府や大分の被災状況、熊本までの道路事情などいろいろ教えてもらうこともできた。

小学校に自衛隊
お昼過ぎ、また散歩に出かける。昨日いった小学校には自衛隊の車両が多数出入りしていた。熊本は昔から軍都である。それこそ熊本城の時代から。この小学校から歩いてすぐには陸上自衛隊健軍駐屯地もあるので朝晩は迷彩服姿で自転車漕いで通勤している人がたくさんいるような土地柄だ。ネットでは自衛隊の活躍を賛美する人から危険視する人までいろいろだけど、現地にいるとこの光景も日常の延長線上でしかない。
女子高生に大人気
校庭をぶらぶらしていると女子高校生たちに柴男がもみくちゃに可愛がられるという嬉しい事案発生。聞けば彼女たち学校が休校なので自発的に避難所の手伝いに来ているという。近ごろの若い連中にはまったくもって頭が上がらない。僕が高校生の頃ならボランティアなんて思いもつかなかったことだろう。大人たちの過剰な心配をよそにこの世の中は随分とだいじょうぶ、なんだな。

すっかり車の減ったグランド
グランドでは給水車の横で自衛艦が暇そうに時間を持て余していた。帰り道にはこの小学校で息子の同級生だった仲良し家族を訪ね、お互いの無事を確認したり。子だくさんの彼女の末っ子がにこにこ近づいてきたけどまったく分からなかった。だってこないだまで幼稚園児だったのに今や190センチのバレー選手なんだもの。
道に溢れる災害ゴミ
日増しに増えていく路肩の災害ゴミを眺めながら家路につく。これだけのゴミがあるってことは、直前まで各家のどこかに置いてあったってわけで、そのひとつ前の段階ではどこかの物流センターに置かれてて、そのまたひとつ前ではどこかの国の工場で組み立てられたり原料が精製されてたりしたわけで、なんて考えてしまう。
中には災害ゴミとは関係なさそうなブラウン管テレビなんてのも並んでいるけど、それだってこないだまでは家族の宝物だったかもしれない。
この物体を買えば幸福になれると誰もが信じたはずなのに今や無縁墓地の墓標みたいな扱いの黒箱やビニール袋を見ていると、なんだか信じていた夢から醒めてしまうのではないかって気がした。高度消費社会という夢。自由主義資本主義という宗教。次に僕らが何か気の利いた物体を欲しくなったとき、必ずそれを捨てるときにシーンを思い浮かべてしまうんじゃないかって。
いかんいかん、そんなことしたら僕らの共同幻想はぱらぱらと崩れ落ち日本経済はますます停滞してしまうぞ、僕の商売だってどうなるかわかったもんじゃないぞ、と危機感を募らせたりしつつも一度見てしまった夢の裏側はもう一生脳裏から離れることはないのだろう。

家に戻るとまた仕事。今月号のメルマガを書いて業界人に発信した。いつもよりレスポンスが良くて「元気そうで安心した」なんて返事をたくさんいただいた。こういう時期だからこそ特別ではないことを継続することにも意義があるのだと思った。ちょっと言い訳がましいんだけど。夜は今日も納戸シェルターで寝る。そんなに危険があるとは思えないんだけど、非日常感、特別感があってつい。ってなんか書いてることが支離滅裂だ。

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